番記者が振り返る、大谷「エンゼルス」選択の妙

エンゼルス時代の大谷翔平

2023年4月5日「マリナーズ×エンゼルス」での大谷翔平選手(写真:東京スポーツ/アフロ)
大谷翔平選手の渡米時、現地の地方新聞で働いていた志村朋哉さんは"大谷の番記者"を任され、以来、彼のメジャーリーグでの軌跡を追ってきました。その志村さんが、大谷選手の取材を続けてきた2人のアメリカ人記者と語り合った様子を収録した『米番記者が見た大谷翔平 メジャー史上最高選手の実像』から一部を抜粋し、当時を振り返りながら、なぜ移籍先がエンゼルスだったのかを考察します。

日本時代から注目株

志村 朋哉(しむら・ともや)
1982年生まれ。国際基督教大学卒。テネシー大学スポーツ学修士課程修了。英語と日本語の両方で記事を書く数少ないジャーナリスト。米地方紙オレンジ・カウンティ・レジスターとデイリープレスで10年間働き、現地の調査報道賞も受賞した。大谷翔平のメジャーリーグ移籍後は、米メディアで唯一の大谷担当記者を務めていた。
ディラン・ヘルナンデス
1980年生まれ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校卒。ドジャースとエンゼルスの地元紙ロサンゼルス・タイムズでスポーツコラムニストを務める。それ以前はサンノゼ・マーキュリー・ニュースに勤務。日本人の母を持ち、スペイン語と日本語も流暢に話す。
サム・ブラム
1993年生まれ。シラキュース大学卒。2021年からスポーツ専門メディア『ジ・アスレチック』のエンゼルス担当記者を務める。それ以前は、ダラス・モーニング・ニュース、デイリープログレス、トロイ・レコードでスポーツ記者として勤務。AP通信スポーツ編集者賞やナショナルヘッドライナー賞を受賞。

志村 朋哉(以下、トモヤ) 大谷翔平のことを初めて知ったのはいつだったか覚えてる?

ディラン・ヘルナンデス(以下、ディラン) 彼が高校生の時。(2012年7月19日の岩手大会準決勝で)投手として99マイル(160キロ)を記録した時だったと思う。

僕は自分のツイッター(現X)アカウントに日本の新聞を登録しているんだ。だから、そういう選手の情報はいつも入ってくる。

その時、ロサンゼルスの地元球団のドジャースも獲得しようと狙っていた。それで大谷について取材するようになった。

当時、ドジャースは大谷を投手としてしか見ていなかった。プロでは打者はやらないだろうって。

トモヤ 大谷がメジャー挑戦を発表した時、アメリカのスポーツメディアは、これまでの日本人選手以上に大きく取り上げた。

その理由はやはり二刀流だから。メジャーという舞台で、それが可能なのか。誰もが興味津々だったと思う。

ディラン 彼ならできるとは思ったけど、でもそれ以上に、単にメジャーで二刀流をやる選手というのを見てみたい気持ちが大きかった。当時、二刀流が可能だなんて思っていた球団は、そんなになかったと思う。

サム・ブラム(以下、サム) そもそも日本でできていたんだから、アメリカでも可能性はあるだろうと考えるのは普通のことだと思う。

ただし、打者として50本近くホームランを打って、投手として160イニング以上投げられるとは、さすがに誰も想像していなかったとは思うけど。単にメジャーで二刀流ができるかどうかよりも、そっちの方が誰も予想できていなかったと思う。

ディラン 投手・大谷をどう使うべきなのか。その頃、ナショナルリーグは、まだ指名打者制度を導入していなかったから、クローザーで使うことを考えていたナ・リーグ球団もあった。

8回まで右翼手として起用して、その後クローザーとして起用するとか。それだと年間60〜70イニングを投げることになる。

それもあって、大谷はエンゼルスを選んだと思う。そんなに強いチームではないから、大谷の活躍のためなら、何でも受け入れてくれるだろうし。

その点で、日本ハムとエンゼルスには、多くの共通点があった。大谷が日本ハムに入団した時、ダルビッシュが退団したばかりで、チームは再建中だった。だから、「よし、こいつには二刀流をやらせてみよう」と思えたんだと思う。

それでMVPをとるまでに成長した。チームも中田翔とか若手が成長してきて優勝した。大谷は、「エンゼルスに入って、チームと一緒に自分も成長しよう」と思い描いていたんじゃないかと思う。

でも実際には、大谷は飛躍したけど、エンゼルスは低空飛行を続けるどころか下降してしまった。

エンゼルスを選んだ理由

トモヤ 大谷はいまだにエンゼルスを選んだ理由を明言していない。最大の理由は何だったと思う?

ディラン 1つは状況だと思う。

たとえば、ワールドシリーズを争うドジャースに行っていたら、「うちは必死なんだ。君に打ったり投げたりを試してもらっている余裕はないんだ」と言われたかもしれない。

そもそも、防御率27.00だった最初のスプリングトレーニングの後に、1軍に残れなかったかもしれない。

エンゼルスは、彼にすぐに結果を求める必要があるほど強いチームではなかった。

だから大谷も、「まずはエンゼルスで二刀流を完成させよう。マイク・トラウトもいるし、自分が二刀流で活躍できるようになれば、優勝も狙えるようになるはずだ」と考えたというのが僕の推測。

それともう1つ。

花巻東の佐々木(洋)監督にインタビューした時に、「大谷はドジャースかヤンキースに行きますよね?」と聞いたら、監督は、「そうは思いません。そんなにすごい伝統や日本人選手在籍の歴史もないチームに行くと思いますよ。彼は自分で歴史を作っていきたいと思っている」と答えたんだ。

そしてこう付け加えた。

「彼は全国のどの高校にも行けたはずなのに、誰もやったことのないことをやるために岩手にとどまった。そういう人間なんです」と。

高校卒業時も、「アメリカに行くからドラフト指名しないでくれ」と日本の球団に言ったよね。高校から直接メジャーに行く選手なんていなかったのに。

日本ハムは、誰もやったことのない二刀流に挑戦するチャンスを与えることで、日本に残るよう説得した。

語り合った3人の記者の顔写真

左から志村朋哉、ディラン・ヘルナンデス、サム・ブラム(出所:『米番記者が見た大谷翔平 メジャー史上最高選手の実像 』)

2017年にメジャー挑戦を発表した時も、日本球界の重鎮たちが、「アメリカでは二刀流は難しいだろう」と言っても、彼は気にしなかった。とにかく誰もやったことのないことをやりたいという気持ちが強いんだ。

ほぼ自分1人の力で球団を変えたと称されるような存在になりたいんじゃないかな。スポーツ界には、そういう選手が何人かいる。

シカゴ・ブルズといえば、何を思い浮かべる?

マイケル・ジョーダンだよね、引退して何年も経っているのに。ディエゴ・マラドーナは30年間ナポリでプレーしていないけど、チームの名前を聞いたら、真っ先に思い浮かぶのはマラドーナ。

ヤンキースに行ったら、そういう存在になるのは難しい。ヤンキースは個々のスター選手を超越するくらい伝統のある球団だから。

ドジャースもそう。エンゼルスはそうではない。それも一因だったと思う。

「君がやりたいようにやれ」

サム 2021年に、エンゼルスは彼に課されていた制限を全て取り除いて、「君がやりたいようにやれ」と言った。

もしかしたら、それが彼が再度、肘を痛めた理由なのかもしれない。体を酷使しすぎたり、投球量が多すぎたり。

でも、大谷がそれで後悔しているということはないはず。過去を変えたいと思ってはいないと思う。

というのも、ディランが言ったように、全てのチームが彼にこういうチャンスを与えるわけではなかったから。

エンゼルスでは、彼は監視されることなく自分の好きなようにトレーニングをすることができた。WBCでも好きなだけ投げて、好きなだけプレーすることが許された。

米番記者が見た大谷翔平 メジャー史上最高選手の実像 (朝日新書)

エンゼルスで過ごした6年間で、良い面もいっぱいあったはず。「勝つ」という面では、ちょっと誤算だったとは思うけど。

でも、ここ3年間の彼の活躍は、チームの勝敗なんて関係ないくらい異次元だった。野球史や人々の記憶に永遠に刻まれるくらい。

これから大谷が、大きな怪我なんかをして、殿堂入りに求められるような成績を積み重ねられなかったとしても、選ばれるべきだと思うよ。

もし、明日引退したとしても、殿堂入りする価値があるくらいの偉業をすでに成し遂げたと思う。

ほかのチームでは、それほどの活躍が可能だったかは分からない。ある程度の成功は収めたかもしれないけど。エンゼルスが勝敗を無視してでも大谷にチャンスを与えて、大谷がそれに応えたのだけは事実だよ。

大谷はエンゼルスを選んで正解だった

ディラン 僕も大谷はエンゼルスを選んで正解だったと確信している。

日本の方に、これだけは伝えたい。メジャーリーグの球団を運営する一部の人間がどれほど傲慢で愚かかということを。

そういう人間が「二刀流は無理だ」と決めつけてしまっていたら、道は閉ざされていた。そういう自虐的な行為を僕はたくさん見てきた。

だから大谷がエンゼルスを選んだのは正しかった。

もしかしたらボルティモア・オリオールズなんかに行っていたら、二刀流での成功もポストシーズン出場もできていたかもしれない。

でもそれも「たら・れば」の話。

現実として、大谷はエンゼルスで二刀流をやり続けられた。目標にしていた「世界一の選手」にもなった。WBCで優勝もできた。

だから全く勝っていないというわけでもない。十分に成功を収めたと思うよ。

(志村 朋哉 : 在米ジャーナリスト)

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