東武線「群馬の玄関」川俣と茂林寺前に何がある?

東武伊勢崎線 川俣駅

東武伊勢崎線の川俣駅東口。周辺施設へ立派なペデストリアンデッキが延びる(撮影:鼠入昌史)

東武伊勢崎線の本領は、「北関東」にあるといっていい。

もちろん、浅草―伊勢崎間の伊勢崎線のうち、「東武スカイツリーライン」という呼び名がすっかり膾炙している東武動物公園駅以南では、東京都心方面への通勤通学路線としての性質が濃い。

ただ、こと「伊勢崎線」に関して言うならば、それは北関東を駆け抜ける大動脈の1つであることに間違いはないだろう。

利根川を渡り群馬に入る

などと、ずいぶんと大仰な入り方をしてしまったが、ならば伊勢崎線はどこから北関東に入るのか。答えは、羽生―川俣間。ここで伊勢崎線は利根川を渡って、群馬県に入る。埼玉県と群馬県の県境は、おおざっぱにいえばおおよそ利根川なのだ。

「埼玉県から群馬県に入って何が違うというわけでもないのですが、やはりちょっとばかり車窓の雰囲気が変わるような気がします」

こう話してくれたのは、東武動物公園駅管区羽生駅長の相良紀章さん。相良駅長は、埼玉県内の花崎―羽生間4駅に加え、県境を跨いで群馬県内の川俣・茂林寺前の2駅も預かっている。

東武羽生駅長

東武伊勢崎線の花崎―茂林寺前間の各駅を管理する相良紀章羽生駅長(撮影:鼠入昌史)

群馬県、つまり北関東に入って最初の駅は、川俣駅だ。所在地は、群馬県邑楽郡明和町。20㎢にも満たない小さな町だが、川俣駅西側の国道沿いに広大な工業団地を持つ。

東武伊勢崎線 川俣駅

川俣駅西口にもペデストリアンデッキ。その先に「ホテル温浴複合施設」を建設中(撮影:鼠入昌史)

「町のほうでも駅を中心としたコンパクトシティ化を進めておりまして、東西に立派なペデストリアンデッキができています。東側にはキレイな病院もできまして、さらに西口では新しくホテルの建設も進んでいます。なんでも、温泉も湧いたようですよ」(相良駅長)

開発が進む川俣駅周辺

実際に川俣駅を訪れてみれば、実によく整備されていることに驚かされる。とりわけ、病院の建つ駅の東口。ペデストリアンデッキから医療施設までが直結していて、子ども向けの外来クリニックも設けられている。周囲には真新しい住宅もできているようで、子育て世代の増加を図っているのだろう。

そんな駅前を北に抜けると、線路沿いに広大なソーラーパネルが置かれている一角があった。かつて、川俣駅では石油やプロパンガスの輸送、つまり貨物を取り扱っていた。いまでも線路に接して橋本産業という石油やガスを扱う会社があった。ソーラーパネルは、大規模に貨物を扱っていた時代の名残なのだろうか。

東武伊勢崎線 川俣駅東口

川俣駅東口。駅周辺施設を結ぶペデストリアンデッキも(撮影:鼠入昌史)

そんなこんなで、明和町という町の歴史と将来に触れたところで、相良さんが教えてくれた。

「実は川俣駅、最初に開業したときは利根川の南にあったんです」(相良さん)

当時、利根川は東武にとってルビコン川のようなもので、なかなか橋を架けることができなかった。そこで、暫定的に利根川の南に駅を設けた。それが川俣駅のはじまりだ。

東武伊勢崎線 川俣駅の東口

川俣駅の東口。東口は2016年の駅舎橋上化とともに開設(撮影:鼠入昌史)

だから、川俣駅の名の由来になった「川俣」という地名は、利根川南岸、埼玉県内にある。1903年に利根川南岸に開業した川俣駅は、1907年に利根川北岸の現在地に移転した。

そのとき名前を川俣駅から変えなかったことで、県境を跨いで地名と駅名の不一致、などという珍しい例が生まれたのである。つまり、川俣という北関東入り口の駅は、駅周辺の様相の変貌とあわせ、東武鉄道の歴史にとってもある種象徴的な存在でもあるのだろう。

分福茶釜の茂林寺

川俣駅からまっすぐに北に進むと、館林市内に入って茂林寺前駅だ。その名の通り、茂林寺というお寺が近くにある。分福茶釜の言い伝えで知られる古刹で、観光に訪れる人も少なくない。

「駅から茂林寺までは、ちょうど分福茶釜の物語をたどっていきながらお寺まで歩けるように、道案内の看板も設けられています。昔はもっと参道にお土産屋さんが並んでいてにぎわっていたのだろうなという、そんな面影も残っていますよ」(相良さん)

東武伊勢崎線 茂林寺前

この先634mに茂林寺。茂林寺前駅を出て「絵本案内板」をたどっていくと着く仕組み(撮影:鼠入昌史)

分福茶釜とは、どんなお話なのか。茂林寺に伝わるものを簡単にまとめると、次のようになる。

代々の住職に仕えていた老僧が、千人法会の折にどこからか1つの茶釜を持ってきた。その茶釜は、不思議なことにいくら湯を汲んでも湯が尽きなかった。老僧は自らこの茶釜を紫金銅分福茶釜と名付け、この茶釜の湯で喉を潤すと開運出世・寿命長久などの功徳に授かると言う。ただ、その後老僧は寝ている間に狸の姿を現してしまい、正体が露見。最後に源平屋島合戦と釈迦の説法の場面を再現し、狸の姿になって茂林寺から去った――。

世に流布する分福茶釜のお話は、これをもとに脚色されたものがほとんど。ただ、共通しているのは湯が尽きない不思議な茶釜と人を化かす狸の物語、ということだ。そんなわけで、茂林寺前駅の駅前にも、狸の置物が鎮座する。信楽焼でよく見かけるアレだ。そして、そのまま駅前の道を案内板に従って進んで行くと、狸に化かされてどこかへ……ではなく茂林寺へ。

映画の舞台になった

ちなみに、分福茶釜や茂林寺、そして茂林寺前駅は、1963年に公開された映画『喜劇 駅前茶釜』に呑福茶釜・呑福寺として登場している。森繁久弥やフランキー堺が出演するドタバタ喜劇で、時代を感じるナンセンスなシーンも目白押し。そして、その中では門前町も描かれている。

東武伊勢崎線 茂林寺前

茂林寺前の駅前。和菓子店や自転車預かり所、郵便局がある(撮影:鼠入昌史)

映画の中でのにぎわいぶりとは、いまはかけ離れたものだ。それでも、分福茶釜と茂林寺の存在感が損なわれることはないだろう。少なくとも、この駅はいよいよこれから本格的にはじまる伊勢崎線の北関東の旅の入り口なのである。

(鼠入 昌史 : ライター)

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