TVマン見た「絶滅危惧種と暮す民族」驚く日常(前)

インドと中国の境界線にある最果ての村、ピンバレーへ(パブリックドメイン)
世界36カ国を約5年間放浪した体験記『花嫁を探しに、世界一周の旅に出た』が話題を呼んでいるTVディレクター・後藤隆一郎氏。
その後藤氏が旅の途中で訪れた、ヒマラヤ山脈にある辺境の地、チベット仏教の聖地「スピティバレー」で出会った「標高4000mに暮らす人々」の実態をお届けします。
*この記事の続き:TVマンが見た「絶滅危惧種と暮すチベット民族」驚く日常(中編)
*この記事の続き:TVマンが見た「絶滅危惧種と暮すチベット民族」驚く日常(後編)

1日1本のバスで次の街ピンバレーを目指す

前回までの話
何も調べずにフラフラと。チベットの定番料理、モモを美味しく味わうため、空のペットボトルに醤油を入れて持参。たどり着いたのは北インドのヒマラヤ山脈にある標高4000mの「天空の地」、スピティバレー。
その中心地カザで、もう1人の日本人の旅人、カナさんと再会した。スピティとはチベット語で「中間の地」を意味する。
やがて、2人はスピティの最果てにある、中国とインドの中間の地、国境近くにあるピンバレーを目指すことになった。

カザの中心街(写真:筆者撮影)

スピティ川の近くでは農業が営まれている(写真:筆者撮影)

スピティ

スピティの街並みを見下ろす日本人女性のカナさん(写真:筆者撮影)

宿のオーナーの情報によると、カザからピンバレー方面のバスは1日に1本だけ。しかも、出発は夕方の4時。それでも、このような辺境の地に公共交通機関が存在することに感心してしまった。

バックパックを背負い、狭い1本道にあるバス停へ向かうと、待っているのは我々だけだった。すると、定刻より5分ほど遅れて、1台のバスが到着した。

1、2時間は当たり前。時には、半日以上も遅れるのが日常茶飯事のインドのバスに比べると、ここには時刻を重んじる習慣があるのだろう。

時刻表

ピンバレー方面へのバスの時刻表(写真:筆者撮影)

スピティ地区は政治的にはインドに帰属しているが、ヒマラヤの山々で隔離されたことで、インドや中国からの影響が少なく、伝統的なチベット文化が、今もなお色濃く残っていると聞く。

この旅で、その文化や風習・生活様式などを観察してみようと思った。

長年、珍しいものを追い続けてきたTVディレクター特有の嗅覚が働きだす。

昭和のようなバスに、戦前の日本人?

スピティバレー

スピティバレーはインド北部にある

スピティ地区

カザの観光案内所にあるスピティ地区の地図(写真:筆者撮影)

バスは昭和の日本で使用されていたような型の、かなり老朽化した大型車だった。谷底ギリギリの狭い1本道を走るのだから小さなバンが来るだろうと予想していたので、その大きさに少々驚いた。

車内に座る人々を見渡すと、女性が7割を占める。着ている衣服などから察するに、働いている女性たちに違いない。

その風貌は、いつか写真で見た「戦前の日本人女性」のようだ。

真っ黒に日焼けした顔に、もう少し、厳しさとたくましさを加えたような感じ。自然を相手にしている農民や漁師たちに宿る、人間本来のナチュラルな美しさが滲み出た、とてもいい表情をしている。

バスの内装は相当古びていて、モスグリーンの塗装が施されているが、老朽化のせいで所々ペンキがはがれ、鉄が剥き出しになっていた。

まるで、映画で見たアメリカの刑務所の囚人輸送バスを彷彿とさせる。

だが、その中には小さな子どもや若い母親、そして、その親子を見守る年配の人々が存在し、優しさと温もりが漂っている。

無機質な鉄とチベットの女性たちが、絶妙な調和を見せ、異国情緒を一層際立たせていた。

バス

ピンバレーに向かうバス(写真:筆者撮影)

異国情緒が漂うバスの車内(写真:筆者撮影)

バス車内

乗客の7割は女性が占める(写真:筆者撮影)

若い親子。子どもが可愛い(写真:筆者撮影)

トイレがなく、森の中で用をたす

1時間ほど進んだところで、10分間のトイレ休憩があった。ダバと呼ばれる小さな食堂でバスを降りる。

しかし、探してもトイレはない。北インドの長距離バスではよくあるのだが、トイレがなく、森の中で用をたすのだ。

大便をするときは、ペットボトルの水を使い、左手でお尻を洗う。初めは戸惑ったが、インド縦断の長旅で、その技はすでに体得済みだ。

すると、随分と時間が経ってから、カナさんが険しい表情を見せ、こちらに戻ってきた。

「遅かったね」

「ここ、砂漠地帯だから、隠れる木がないんですよね。ダバの窓から視線を感じたんで、死角を探していたんですけど、ないんですよ。女性用に”ついたて”か何か用意してくれればいいのに」

標高が4000m近いこの場所では森のような木々は育たない。しかも、スピティは寒冷砂漠エリア。緑があっても、高木は見当たらない。

カナさんの表情から察するに、覗き見しようとした男に相当怒っているようだ。

それにしても、チベットの女性たちは、いつもどうしているんだろうか? 若い女性なら、同じ感覚を持っているはずだが。

ダバと呼ばれる簡易食堂。トイレがない(写真:筆者撮影)

酸素の薄い高地で置き去りのピンチ

「あ、ごっつさん、バスが出発している」

「やべー、本当だ」

2人は大声をあげ、手を振りながら、発車したバスを追いかけた。こんな辺ぴな場所で置き去りにされたら大変だ。

10mくらい進んだところで運転手が気づき、止まってくれた。酸素が薄い高地で猛ダッシュしたので、肺が悲鳴をあげている。

「はぁ、はぁ、インドと違って、定刻通りなんですね」

「はぁ、はぁ、多分、乗客の誰かが気づいてくれたんだよ」

やはり、このエリアでは時間を守る習慣が根付いているようだ。

それとも、乗客の人数など気にしないほど、運転手が大ざっぱな性格なのかもしれないが。

とにかく、こんな場所に置き去りにされたら命に関わる。ここはヒマラヤ山脈の最奥地なのだから。

途中で止まってくれたバス(写真:筆者撮影)

バスはさらに進み、道が二股に分かれる場所で一度降り、アタルゴ橋で10人乗りのバンに乗り換えた。

アタルゴ橋、この道を進むとピンバレー。他に数名の乗客がいる(写真:筆者撮影)

スピティ川

アタルゴ橋から見たスピティ川(写真:筆者撮影)

崖

道沿いにそびえる巨大な崖(写真:筆者撮影)

ピンバレー(ピン渓谷)に入ると、眺める景色が変わってきた。山々が高くなり、より険しく、雄大になっていく。頂上部分に、雪が残った標高6000mを超える山々がいくつも見える。

太陽が落ちてくると、谷底に川が流れる渓谷全体に青みがかり、美しい景色が、なぜか「死」を連想させる不気味な景色に変わった。

山肌の巨大な崖が黒みを帯び、圧迫感を与える。

何とも言えないざわつく感情に陥るが、車内のたくましい女性たちを見ると、特に危険を感じている様子もなく余裕の表情をしている。

「じゃあ、大丈夫か」

そうやって、怖気付いた気持ちをのみ込んだ。

ピンバレーへ続く悪路の先に、頂上付近に雪が残る6000m級の山々(写真:筆者撮影)

やっとの思いでたどり着いた「ゲストハウス」

ムド村に到着した頃には、夜の6時を超えていた。空は薄暗く、夜の様相を呈している。2人でバックパックを背負い、今晩泊まる宿を探し、辺りをうろついた。

気温が下がりダウンジャケットを着ていても寒い。すると遠くに「TARA CAFE」という看板が見えた。なんとなく、ゲストハウスの匂いがする。

宿泊所「TARA CAFE」(写真:筆者撮影)

「ここ、宿ですか?」

「あーそうだよ。2人?」

真っ黒に日焼けした30代くらいのたくましい、平たい顔の男性がそう答えた。運よく、1軒目で宿を引き当てたようだ。

「今、奥にあるヤギ小屋の上の部屋しか空いてないけどいいかい?」

「はい。大丈夫です」

部屋はカザの宿よりも質素な山小屋であったが、必要最低限のものはすべてそろっていた。2つのベッドと大きなキャンドル、硬いベッドには分厚い敷布団が敷かれ、チベット柄の掛け布団が数枚重ねられている。

さらに、寒くなったとき用の予備の毛布も積み上げられており、電灯はないが、スマホを充電できるコンセントまであった。

部屋の土壁は、乾燥やひび割れを防ぐためにわらを混ぜた粘土の厚造りになっており、そのおかげで暖かく、雪に覆われて、マイナス30度まで気温が下がる冬でも過ごせるようにと設計された、よく考えられた構造だ。

宿泊室

山小屋のような宿泊室。下にはヤギ小屋がある(写真:筆者撮影)

家族のように暖炉を囲み、名物料理に舌鼓

宿の食堂は暖炉を囲むように配置され、まるで家族の食卓のような雰囲気だった。

そこには3人のインド人男性客が座っていた。彼らは、1週間の山登りから戻ってきたばかりだという。

「なんでこんな辺ぴな場所まで来たの?」と尋ねると、3人はジョークを交えながら、目的は、スピティに住む美しいチベット仏教徒の少女をめぐる禁断の恋物語、『Paap』というボリウッド映画の撮影地だからだと答えた。

彼らのうちの1人が映画オタクで、ロケ地の美しさに魅了され、聖地巡礼のためにここまでやってきたとのこと。

ここの大自然の美しさはインド人も魅了するほどで、トレッキングを終え、「なぜ、監督がここを映画の撮影地として選んだのかがわかった」と笑いながら答えた。

それにしても、このような辺境のチベット仏教の聖地に、別の意味で“聖地巡礼”に訪れるインドの映画オタクの熱狂は、日本のアニメオタクに通ずるところがある。

その後、俺たちは暖炉を囲み、遅くまで談笑しながら、チベットの焼きそば「卵と野菜のチョウメン」を堪能した。

その後、2人で部屋に戻ると、見知らぬ土地への移動と高地を猛ダッシュした疲れからか、泥のように眠りについた。

チョウメン

チベットの焼きそば「卵と野菜のチョウメン」(写真:筆者撮影)

朝早く、床下で飼われているヤギの鳴き声で目を覚ました。「メーメー」という声に混ざり、カナさんの歓喜の声が響く。

「ごっつさん、見てください。窓からの景色、最高です」

窓の外には茅葺きの屋根があり、奥には田んぼが見える。その向こうには、美しい渓谷に沿ってまるでじゅうたんが敷かれたような緑が広がっている。

ピンバレーの景色

部屋の窓から見えるピンバレーの美しい景色(写真:筆者撮影)

手付かずの原生自然そのもの

宿のオーナーから聞いた話によると、遠くにそびえ立つ山々は、ピンバレー国立公園にある標高6550mのシグリ・パルバット山まで連なり、そこには、ユキヒョウやシベリアアイベックスを含む多くの絶滅危惧種の野生動物が生息しているそうだ。

また、近年、ピンバレー国立公園とその周辺で絶滅の危機に瀕した22種類の薬用植物が発見され、インド政府から生物圏保護区に指定された未開の地。そこは、まさに手付かずの原生自然そのものなのだ。

生物圏保護区に指定された「ピンバレー国立公園」(パブリックドメイン)

ユキヒョウ

絶滅危惧種の野生動物「ユキヒョウ」(パブリックドメイン)

シベリアアイベックス 絶滅危惧種

絶滅危惧種の野生動物「シベリアアイベックス」(パブリックドメイン)

朝食を食べた後、2人で村の探索に出た。

すると、生まれて初めて見る「珍しい動物」の姿が目に入った。

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*この記事の続き:TVマンが見た「絶滅危惧種と暮すチベット民族」驚く日常(後編)

(後藤 隆一郎 : 作家・TVディレクター )

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