映えない「ディストピア飯」地味に人気の続くワケ

(写真:三原氏提供)

「ディストピア飯」をご存じだろうか? 2017年からツイッター(現X)を中心に、SNSでさまざまな人が投稿し続けている人気の再現料理だ。ディストピア飯とは、SF映画などに出てくる食事をイメージし、崩壊した近未来に配給されるであろう、食欲をそそらず映えもしない無機質なワンプレートの再現料理を指している。

インターネット上の「ピクシブ百科事典」や「Weblio辞書」にも解説が載るほど定着。2021年、ディストピア飯ファンという集英社の編集者が、自社のウェブマガジンで、「ディストピア飯小説賞」を立ち上げて作品を募集し、2023年にも投稿が企画されている。現代の「映え文化」と真反対のこうした料理が人気を保ち続けているのはなぜだろうか。

「ディストピア飯」の展示会を開催

自らディストピア飯を作品化し、ディストピア飯事情にくわしいアーティスト、三原回氏がディストピア飯の存在を知ったのは、流行初期の2017年頃。2020年3月には、ユートピア型の食事をイメージし、「ユートピアン・ミールズ」とタイトルを付けたディストピア飯の写真と動画の展覧会を、下町のギャラリーで開いてもいる。

(三原氏提供)

希望者が実食できる形にしたところ、150人ほど訪れた来場者のうち、食欲をそそらない見た目から「自分はダメだ」と言った少数以外は、全員が実食を希望し完食した。青や緑のペースト状の料理は、キャンベルのチキンクリームスープに着色料で色をつけたもの。ほかにコーンミール、クスクス、チーズ、マッシュポテト、ヨーグルトなどを使用した。

(写真:三原氏提供)

(写真:三原氏提供)

「錠剤はデザートのイメージですが、ラムネやサプリメントなどを使っています。棒状の食べ物はカロリーメイト。カロリーメイトは、そもそも栄養補給食です」と三原氏は説明する。

ディストピア飯の明確な起源は明らかではない。が、三原氏によると、おそらく最初にツイッターに投稿した火付け役、「死んだゾンビbot」(すでにアカウントが消されている)には2種類のディストピア飯の投稿があった。

1つは、コンビーフ、さきイカ、ソイジョイ、ビタミンドリンクなどを紙皿に並べた写真で、『核戦争後の荒廃した世界』チームとして、「今日は肉にありつけただけまだマシだぜ」とタイトルを付けている。

もう1つはカロリーメイト(ディストピア飯では定番)とビタミン剤、ウィダー・イン・ゼリーなどの『コンピュータに管理された未来』チーム、「昨日Aブロックで騒ぎがあったらしいぜ」という投稿。どちらもコンビニで売られる食品だけで構成されている。

「この時点で、ディストピア飯で投稿される2つのパターンが確立されています。1つは戦争や疫病などで文明が滅び、資源が枯渇した終末後の世界を表す『ポスト・アポカリプス型』。もう1つは、共産主義の原型と言われる、トマス・モアが16世紀に書いた小説『ユートピア』に出てくるような、全体主義的な管理社会」と三原氏は説明する。

投稿者たちが影響を受けた映画

最初の投稿を含め、投稿者たちにインスパイアを与えたのはおそらく、2012年に公開されたSF映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』で、施設で主人公の戦闘員が食べさせられるペースト料理だ。その元ネタとなった映画が、1968年公開の『2001年宇宙の旅』。月でも人が暮らす社会で、科学者が木星に調査へ向かう物語だ。

「原作者のアーサー・C・クラークは、研究者からも助言を求められるような、半分科学者みたいな人。作中に出てくるペースト状の宇宙食は、当時の最先端の宇宙食にかなり近いビジュアルです。テレビ電話で地球の人と会話しながら食べるなど、もう当たり前になっている設定。一方、ヱヴァのほうは、いかにもマズそうなイメージです」(三原氏)

もともとSF好きという三原氏は、SF映画の描き方も、管理社会のユートピア型と、荒廃した未来のポスト・アポカリプス型に分けられると分析する。前者の代表が、先の2作のほか、全体主義体制で自我に目覚めた主人公を描く1984年公開の『1984』など。

後者の代表が、人口爆発による食糧不足で食事が配給制になった社会を描く1973年公開の『ソイレント・グリーン』や、大国の対戦で荒廃した社会を描く1981年公開の『マッドマックス2』。

「ユートピア型では、有無も言わさず食事が淡々と与えられる。何が使われているか、映画を見てもわからない場合が多いです。一方、ポスト・アポカリプス型では、資源がないことを表現するために、何を食べているかわかる作品が多い。『マッドマックス2』では、ドッグフードの缶詰を食べるシーンがあります。新たに食糧を自給できないので、文明時代のものを発掘する」(三原氏)

管理社会への嫌悪と規則的生活への憧憬

三原氏は冒頭の展覧会の後、2023年秋にも湘南の海岸で、ランチボックス型のディストピア飯を提供する1日だけの展覧会を開いた。その際も、15人の参加者は喜んで食べたが、このときも中身を当てる人はいなかった。

(写真:三原氏提供)

「僕自身は管理社会に嫌悪感を覚えますが、同時に、自分が規則的な生活ができないゆえの憧憬もあることを、否定できません。僕のように、自己矛盾的な気持ちを抱える人たちがいることを考えると、全体主義的な管理社会が生まれる可能性もあるのではないでしょうか」と三原氏は作品に込めた思いを語る。

三原氏によるディストピア飯のシリーズは、投稿し始めた2019年は、実験的な意味合いが強かった。というのは、食の世界では、他のジャンルのようにポストモダンの時代が到来していないと考えたからだ。

「一番売れているものが、一番製品としての質が高くおいしい」という価値観の時代が来なければ、その価値観を批判して次の時代が来ない。食の世界も飽和するのではないか、と三原氏は考えポストモダン食としてディストピア飯の投稿を始めた。

三原氏が指摘する通り、食のトレンドも近年は飽和気味で、外食・中食・家庭料理のレシピの世界、いずれも煮詰まっている感がある。グルメブームと言われて40年。飽和しないほうがおかしい。

一方で、ディストピア飯がコンビニで揃う社会は、すでにSF的未来が到来しているとも言える。三原氏が提供した料理を参加者が完食するのも、まずくないからだ。

グルメすぎる時代をリセット?

ディストピア飯の投稿者たちは、あえて映えない食事の画像を投稿することで、もしかすると無意識のうちに、グルメすぎる時代をリセットする食のポストモダンを実践しているのかもしれない。

最初の投稿があった2017年は、日本でもSDGsの言葉が広まり、食糧難時代を予見する報道が増える時代と重なる。今は代替肉としての大豆ミートなども広がってきている。

食糧危機に襲われたニューヨークを描いた映画『ソイレント・グリーン』へのオマージュとして、2014年にアメリカで発売された「ソイレント」など、完全栄養食をうたう商品もある。ディストピア飯が現実となりうる時代は、始まっているとも言える。いや、原料や製造工程がわからない食は、すでに私たちの日常だ。ディストピア飯は、ふだん見ないようにしている食の現実への批判でもある。

(阿古 真理 : 作家・生活史研究家)

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