〈最低賃金が国政の重要課題化〉リーマンショックや東日本大震災、コロナ後も大幅引き上げされたなかで令和の賃上げは…
日本の大きな政策課題となっている「賃金」の決め方・上げ方・支え方の3つの側面から徹底解説した『賃金とは何か 職務給の蹉跌と所属給の呪縛』(朝日新書)より一部抜粋・再構成してお届けする。最低賃金が国政の重要課題化した背景や、賃金があがっていった経緯とは。
最低賃金の国政課題化
二〇〇六年から二〇〇七年にかけては、それまでの構造改革への熱狂が醒め、格差社会問題が大きく取り上げられるに至り、その関連で最低賃金が国政の重要課題となるに至っていました。既に二〇〇六年から官邸に再チャレンジ推進会議が設置されていましたが、そこではまだ最低賃金への言及はありませんでした。
しかし、二〇〇七年二月一六日の経済財政諮問会議で了承された『成長力底上げ戦略(基本構想)』では、人材能力戦略、就労支援戦略と並ぶ中小企業底上げ戦略の中において、「生産性向上と最低賃金引上げ」を政策目標として打ち出しました。
そこでは、官民からなる成長力底上げ戦略推進円卓会議を設置し、「生産性の向上を踏まえた最低賃金の中長期的な引上げの方針について政労使の合意形成を図る」ことが明記されたのです。
この円卓会議で六月二〇日にまとめられた『中小企業の生産性向上と最低賃金の中長期的な引上げの基本方針について(円卓合意)』は、「働く人の格差の固定化を防止する観点から、中小企業等の生産性の向上と最低賃金の中長期的な引上げの基本方針について、今後継続的に議論を行い、各地域の議論を喚起しながら、年内を目途にとりまとめる」としました。
その上で、「最低賃金法改正案については、上記の趣旨に鑑み、次期国会における速やかな成立が望まれる」と述べ、「中央最低賃金審議会においては、平成一九年度の最低賃金について、これまでの審議を尊重しつつ本円卓会議における議論を踏まえ、従来の考え方の単なる延長線上ではなく、雇用に及ぼす影響や中小零細企業の状況にも留意しながら、パートタイム労働者や派遣労働者を含めた働く人の『賃金の底上げ』を図る趣旨に沿った引上げが図られるよう十分審議されるように要望する」と、かなり踏み込んだ見解を示しました。
地域別最低賃金は毎年大幅に引き上げ
これを受けた中央最低賃金審議会においては、大臣の諮問文の中に「現下の最低賃金を取り巻く状況を踏まえ、成長力底上げ戦略推進円卓会議における賃金の底上げに関する議論にも配意した、貴会の調査審議を求める」という異例の文言が入りました。
これに対し、使用者側委員から、初めから引上げありきの一方的な審議ではなく、冷静な議論、実態を踏まえた議論をすべき等の意見が出されましたが、結局八月一〇日に、例年よりもかなり高めの引上げ(Aランクで一九円、Bランクで一四円、Cランクで九-一〇円、Dランクで六-七円)で決着しました。
なお、継続審議になっていた最低賃金法改正案は上述のように二〇〇七年一一月二八日に成立し、その施行は二〇〇八年七月ですから、二〇〇八年最低賃金からが改正法に基づく最賃決定になります。
その後、二〇〇八年のリーマンショック、二〇一一年の東日本大震災という逆風にもかかわらず、地域別最低賃金は毎年大幅に引き上げられていき、二〇一四年には生活保護との逆転現象も解消しました。しかし、二〇一七年三月の『働き方改革実行計画』でも、年率三%程度を目途に引き上げていき、全国加重平均一〇〇〇円を目指すという目標を掲げています。
30年代半ばまでに全国加重平均を1500円に
二〇二〇年はコロナ禍でほとんど引き上げられませんでしたが、その後二〇二一、二〇二二年と大幅な引上げが続き、二〇二三年には岸田首相の強い意を受けて全国加重平均が一〇〇四円となり、遂に一〇〇〇円を超えました。なお二〇二三年八月三一日には、岸田首相が新しい資本主義実現会議で、二〇三〇年代半ばまでに全国加重平均が一五〇〇円となることを目指すと発言しています。
ここで、金額表示が時間額に一本化された二〇〇二年度から今日までの地域別最低賃金の推移を確認しておきましょう。最高値はすべて東京都ですが、最低値は二〇二二年度までは沖縄県、二〇二三年度は岩手県です。
図/書籍『賃金とは何か 職務給の蹉跌と所属給の呪縛』より
写真/Shutterstock
〈なぜ日本の賃金は上がらず、諸外国の賃金は上がっているのか? 背景に、定期昇給ありの日本と、ジョブ型社会の諸外国の違い〉へ続く
11/25 07:00
集英社オンライン