「旧本庄商業銀行煉瓦倉庫」繭が担保の時代があった|産業遺産のM&A

埼玉県本庄市には隣の渋沢栄一生誕地、深谷市と並び、渋沢ゆかりの企業建築物や産業遺産が数多く残っている。旧本庄商業銀行煉瓦倉庫もその1つ。かつて渋沢が設立・運営にたずさり、深谷市に本社を置いていた日本煉瓦製造製の煉瓦を使用して建設された倉庫だ。

不動産より繭が、担保として有効!?

この煉瓦倉庫は、1896(明治29)年に建設された。寄棟瓦葺2階建てで、かつては中山道の宿場町、近代は絹織物業で栄えた本庄市を象徴する倉庫だ。

本庄市は、江戸時代の幕末から明治期にかけて繭の集積地と栄え、日本初の民間鉄道で現在はJR東日本に多くの路線が引き継がれた日本鉄道の駅(現JR高崎線「本庄」駅)が1883年に開業すると、着実に発展を遂げていった。

その発展のさなかの1894年、本庄商業銀行が開業した。メインの融資先は繭の関連業者、絹織物業者である。多額の融資を行うために、同行は取引業者に担保を求める。その担保が不動産ではなく繭だった。繁栄を極める絹産業において、繭は不動産にも勝る価値ある担保だったのかもしれない。まさに、金融において「繭が担保であった時代」を象徴する倉庫である。

外観は下写真のように特段の変哲がない煉瓦倉庫に見えるが、漆喰板戸や網戸が併置され、床にも通気口を設けるなど、通気性を考慮した造りになっている。

現在の旧本庄商業銀行煉瓦倉庫

現在の旧本庄商業銀行煉瓦倉庫

銀行から民間へ、さらに市の所有へーたゆたう煉瓦

この煉瓦倉庫の最初の所有者は、前述した本庄商業銀行である。同行は1894年の開業後、1920(大正9)年には埼玉貯蓄銀行と合併し、1921年には武州銀行に吸収合併され、消滅した。

武州銀行はその後、いくつもの地域私立銀行と合併を重ね、1943年に埼玉銀行となった。さらに、埼玉協和銀行、あさひ銀行、埼玉りそな銀行・りそな銀行<8308>へとM&Aを重ねて業容を拡大した。

この間、煉瓦倉庫の所有と活用も変転した。本庄商業銀行時代は繭倉庫だったが、武州銀行の所有であった時代は、同行の本庄支店として活用された。

武州銀行が埼玉銀行となった翌1944年には、のちの富士紡績の所有となった。同社は戦後、多くのM&Aを重ねて成長した富士紡グループ<3104>である。煉瓦倉庫を取得した当時は富士瓦斯紡績と呼ばれ、翌1945年に富士紡績に改称した。1949年には東証と大証に株式を上場している。

ところが、富士紡績は10年ほど経った1958年、この煉瓦倉庫を手放すことになった。所有したのは本庄市である。ここで、市の施設として活用する方法もあったのかもしれない。だが1959年、本庄市は同倉庫を栗豊という会社に売り渡すことになった。

市から民間へ、さらに地元洋菓子店へ

栗豊は隣県群馬の伊勢崎に本社を置き、第二次大戦後の一時期、日本最大の織物買継商ともいわれた会社である。

ただし、日本最大と豪語しても、少々、まゆつば的に語る必要がある。織物買継商は北関東を中心としたエリアに存在する業種であり、全国区の業種というわけではなかったからだ。

栗豊は伊勢崎の名産品、銘仙(絹を素材にしてつくられた平織物)を生産する機屋と大消費地の東京や関西方面を中心に、全国の織物問屋との間に立って売買を斡旋した。

JR高崎線「深谷」駅前の渋沢栄一像。煉瓦と絹に紡がれた埼玉県北の象徴でもある

栗豊が所有していた時代がすぎ、1977年からはローヤル洋菓子店の店舗として所有された。地元店主の“煉瓦愛”が高じての購入のようだ。

高度成長期、まだ歴史的建造物の価値を認める人が多くはない時代に、地元出身のローヤル洋菓子店の社長は個人で建物を購入し、30年間ほど洋菓子店として使い、営業を続けてきた。繭の倉庫だった2階は、砂糖や小麦粉の倉庫として使ったという。

そして2011年、ローヤル洋菓子店の閉店に伴い、煉瓦倉庫は再び本庄市が買い取ることになった。現在、この煉瓦倉庫は繭倉庫であった広い空間を生かした多目的ホールとして、コンサートや展示会などの各種イベントに活用されている。

現在、煉瓦倉庫1階の展示スペースでは、企画展「縁~渋沢栄一と本庄の人々~」を開催している。1万円新札の肖像となった渋沢栄一。その生誕地深谷では今、“祝新札!”とばかりのお祭りムードだが、隣の本庄市も渋沢にとって実は縁のある土地だ。

のちに秩父セメント(現太平洋セメント<5233>)を創業しセメント王とも呼ばれた諸井恒平を生んだ本庄の諸井家と深谷の渋沢家は江戸時代より姻戚関係があり、諸井恒平は渋沢の勧めによって日本煉瓦製造に勤務していた。また、おそらく煉瓦倉庫の建設発注者は、旧本庄商業銀行の当時の頭取、諸井孝次郎だとされている。

沈むはずの煉瓦の小舟が海に漂うように、旧本庄商業銀行煉瓦倉庫とその所有者は変転していった。だが、煉瓦を積み重ねるかのように、煉瓦をめぐる産業史は堅牢に刻まれていった。

文・菱田秀則(ライター)

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