“謎の航路”が5年ぶりに復活! 「イースタンドリーム」が見せる異国情緒と運賃倍増、日韓関係改善の象徴になれるか?

韓国発・日本行きのフェリー

イースタンドリーム(画像:境港市)

イースタンドリーム(画像:境港市)

 10月のとある木曜日。筆者(カナマルトモヨシ、航海作家)は東海(トンヘ)という、韓国の東海岸にある港町から日本に向かう貨客船に乗ろうとしていた。

 さほど大きくもないターミナルの待合室には若夫婦と幼い子どもがひとり。この一家以外は、ほとんどがシニア年代。そのなかには日本に着いたらサイクリングを楽しむつもりなのだろう、ロードバイク持参の男性も。しかし、乗客は数えるのに両手の指で足りるくらい。日本行きの便だというのに、日本人は筆者だけ。あとはみな韓国人だ。

 出国手続きを終えると、1隻の船が見えた。白い船腹に波を表現したような曲線が青と赤のペンキで3本描かれ、黒く英文字で「DUWON SHIPPING」とある。ファンネル(煙突)にも同じ文字と「2006」という数字がある。2006年創業という意味だろうか。ただ、船はデビュー直後のような初々しさに欠け、明らかにくたびれた雰囲気を醸し出す。

 船側に取り付けられた長いタラップを上がって乗船する。大きなスーツケースを転がしていた老人は、重い荷物を持ってタラップを上がることができず、フィリピン人船員がそれを持って、彼の乗船をサポートしていた。

 船の入り口でフィリピン人船員にチケットを見せると、英語で「上の階です」といわれ、さらに階段を上がる。筆者はエコノミークラス(窓なし)を予約していた。そこはかつて、日本のフェリーにある和室の大部屋だったようで、そこに2段ベッドがいくつも並べられている。

 日本の長距離フェリーではテレビ付きのカプセルベッドも珍しくなくなったが、この船にそんなぜいたくな設備はない。キャビンにはコンセントすらない。スマートフォンの充電はどうすればいいのか。インフォメーションカウンターに行って、お金を払って充電してもらうのだという。

「謎の航路」に漂う異国情緒

 船内表示はハングル文字、そしてロシアで使用されるキリル文字。その洪水に交じって英語があり、やっと書かれていることを理解する。船内アナウンスで使用される言語も最初が韓国語、その次はロシア語あるいは英語。日本語は一切登場しない。

 2階のインフォメーションカウンターには韓国人船員が入っている。基本的には英語でコミュニケーションをとる。下船直前になって女性船員のひとりは日本語を話せることがわかったが、これから日本に行くという割には非常にアウェー感漂う船内。それは

「謎の航路」

という表現がふさわしい。

 ロビーに「とっとり特産品のコーナー」と日本語・ハングル文字・キリル文字で書かれたショーウインドーがある。そこには『ゲゲゲの鬼太郎』に登場するキャラクターがラベルに描かれた日本酒など鳥取県の産品に交じって、この船の小さなモデルシップ(模型)がふたつ、ディスプレーされている。このコーナーを見て、船がこれから鳥取県の境港に向かうことを思い出した。

 18時。たそがれ迫る東海港から「イースタンドリーム」は出港した。空にはスーパームーンが大きく、まんまると浮かんでいた。

31年の歴史を持つ船体

クイーンコーラル(2代)(画像:Ffggss)

クイーンコーラル(2代)(画像:Ffggss)

 5年前(2019年)、筆者はこのイースタンドリームに乗って境港から東海まで、今回と逆コースの船旅を行っている。

 境港と東海を結ぶ航路は15年前(2009年)の6月29日、韓国の海運会社DBSクルーズフェリーによって開設された。開設当初からイースタンドリームが使用されていた。1993(平成5)年10月以来、鹿児島から奄美大島などを経て沖縄(那覇)との間を往復していたマリックスラインの「クイーンコーラル」という日本の貨客船だった。2008(平成20)年の引退後、DBSクルーズフェリーに売船され、翌年からイースタンドリームとして日本海にその活躍の場を移したのである。つまり2024年10月で船齢31年を迎えた「ロートル船」なのだ。

 筆者が初めてイースタンドリームに乗ったのは、くしくも航路開設10周年にあたる2019年6月29日だった(特にそれを記念する催しもなかったが)。しかしこの4か月後の同年11月11日、境港~東海航路は突然休止した。

 筆者の乗船直後、輸出管理をめぐる対立や元徴用工問題などを背景に日韓関係が悪化。乗客の大多数を占めていた韓国人乗客が激減したことで運休に追い込まれたのだ。さらに追い打ちをかけたのが2020年のコロナ・パンデミック(世界的大流行)だった。国境を越えた活動が世界的に難しくなり、DBSクルーズフェリーは同年4月に廃業に追い込まれるにいたった。

 その後、イースタンドリームを譲り受けたのが、やはり韓国のトゥウォン商船(英語ではDUWON SHIPPING)である。やがてコロナ禍が一段落し、韓国も尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権の誕生とともに日本との関係も好転。日韓航路の復活を熱望していた鳥取県の熱心な働きかけもあり、トゥウォン商船がこの8月3日、5年ぶりに境港~東海航路を再開したのだった。

サービス改善も運賃は倍増

 航路復活から2か月後。韓国を訪れていた筆者は、5年ぶりにイースタンドリームに乗って帰国することにした。一度乗った船ということもあり、アウェー感に満ちた船内を見てドン引きするよりも、「懐かしいなあ」という気持ちが先に立った。

 5年前との違いを最も感じたのは、

「レストランのサービス」

だ。以前、朝は簡単なビュッフェで、夜もちゃんとした定食の提供はなかった。今は3種類のメニューしかないとはいえ、ビビンパ定食などをしっかりと食べられる。しかもそのボリュームの多さに驚く(特にモーニングセット)。

 船内は壁に描かれる妙なイラストが少し変わったくらいで、他は以前の面影を濃厚に残していた。船内案内図もDBSクルーズフェリーのものをそのまま使っていたし、航路図も島根県竹島がハングル文字で独島(トクド)と書かれ、その南側に国境線を引いたものを使っているのも同じだった。ただ、

「運賃が倍以上」

になっているのには閉口した。5年前、境港~東海のエコノミークラス運賃は1万2000円だったが、今回は日本円にして約2万5000円もした。お世辞にも豪華とはいえない設備でこの価格は、あまりにもコスパが悪すぎる。

歴史をひもとく航路の系譜

ウラジオストク(画像:写真AC)

ウラジオストク(画像:写真AC)

 東海で乗船したイースタンドリームには、すでに先客が数人いた。男性ばかりで、いずれもロシア語を話していた。彼らはウラジオストクから乗船していたロシア人だった。

 商用なのか観光なのか来日目的はわからないが、その存在が「謎の航路」にさらに輪をかける。しかし、DBSクルーズフェリーの航路開設当時から、イースタンドリームは境港と東海さらにウラジオストクと、日韓そしてロシアの3か国を結んでいた。また、境港~東海区間の休止中も、韓国とウラジオストクを結ぶ航路は存続していた。

 日本とウラジオストクを結ぶ航路。それは昔、欧州へとつながっていた。1912(明治45)年6月15日、東京駅から金ヶ崎(敦賀港)駅に直行し、ウラジオストクへの船便とシベリア鉄道に接続し、パリまで17日間で結ぶ欧亜国際列車の運行が始まった。そして欧州を目指す日本人の多くがウラジオ航路を利用し、シベリア鉄道でユーラシア大陸を横断していった。しかし第2次世界大戦の激化とともに欧亜国際列車も1940(昭和15)年に消滅した。

 ウラジオ航路は、1956年の日ソ国交回復をうけ1961年に再開された。ただし、ウラジオストクは軍港として一部の例外を除き外国人の居住とソ連(当時)国民を含む市外居住者の立ち入りが禁止される閉鎖都市だったため、横浜とナホトカを結ぶ航路として復活した。

 1964年、日本人の海外旅行が自由化される。横浜港から欧州に向かう日本人を運んだのは、ナホトカ行きの貨客船だった。ナホトカ航路を就航させたソ連極東船舶公団(FESCO)とタイアップしたJTBの「ソ連セット」は1967年に発売開始される。

 ソ連極東船舶公団船バイカル号は、今、船体をかすかに震わせながら、出航を待っていた。

ソ連セットのブームと終息

 五木寛之の小説『青年は荒野をめざす』(1967年)の冒頭に登場するバイカル号とは横浜とナホトカを結んだ実在の船。船とシベリア鉄道をセットにした欧州行きの格安旅行プランは当時の若者たちに人気を博した。コースは、

「横浜 → (船)2泊3日 → ナホトカ → (列車) → ハバロフスク → (航空機) → モスクワ(2泊) → (列車) → (ウィーン、ヘルシンキまたはストックホルム)」

料金は12~13万円台であった。そして五木の『さらばモスクワ愚連隊』(1966年)がベストセラーとなり、FESCOの船とシベリア鉄道での欧州行きは最先端の旅行スタイルとしてもてはやされた。

 一時はキャンセル待ちが出るほどの大人気で、春から秋にかけてソ連にはJTBのモスクワ駐在員が派遣され現地での出迎え、あっせんするほどのブームだった。しかし、欧州への航空運賃がどんどん安くなり、「ソ連セット」の人気も見る見るうちに低下。1975年には取り扱いが中止となる。

 横浜~ナホトカ航路はそのまま継続し、1988年に配備されたのが「コンスタンチン・チェルネンコ」という船だった。ソ連書記長の名前が付いたこの船は1991(平成3)年のソ連崩壊とともに「ロシア」を意味する「ルーシ」へと改名。そして1992年1月1日にウラジオストクが対外開放されるとともにロシア側の港もナホトカからウラジオストクへ、1993年には日本側の港も横浜から富山県高岡市の伏木港へと変更される。

 しかし、ルーシは『青年は荒野をめざす』船ではなかった。2000年代初頭にこの船でウラジオストクに向かった人の体験談を聞いたことがある。この方はいった。

「伏木港にはターミナルがなく、ルーシ船内で日本出国手続きを行った。係員は私が出したパスポートに驚いていた。『あなた、日本人ですか。これは珍しい。この船に乗る日本人なんて久しぶりだぁ』といった。係員が驚いた理由はすぐにわかった。乗客はほとんどがロシア人。あとは欧米のバックパッカーが、それも両手で数えられるほどのわずかな人数。そして、私。日本海を行くのどかなクルーズ、というのはこの船ではありえない。なぜならデッキには伏木で積み込まれた無数の日本製中古車であふれて、驚くべきことにプールのなかにもクルマが鎮座していた。この船には車両甲板があるのだが、そこにもおさまりきらないほどの中古車がルーシに乗っかっている。もうおわかりだろう。船客のロシア人とは観光客ではなく、これら中古車のバイヤーたちなのだ」

 ルーシは日本で用済みになったクルマの第2の運命を、将来を運搬する船だったのだ。この航路の運命が暗転したのは2009年。同年1月にロシア政府が輸入自動車の関税を引き上げたことで、ルーシの中古車輸送実績は2008年の約1万5000台から2009年は約3900台へと激減。中古車バイヤーのロシア人の利用も激減したルーシは、2009年12月にとうとう運休となる。ここで1961年以来のFESCO航路はその幕を閉じた。

イースタンドリーム航路の現状と課題

五木寛之『青年は荒野をめざす』(画像:文芸春秋)

五木寛之『青年は荒野をめざす』(画像:文芸春秋)

 この2009年に、新たに登場したのがイースタンドリームの境港発・東海経由・ウラジオストク行き航路だった。

 5年前、境港から船出したイースタンドリームの日本人乗客は10人ちょっとだったと記憶しているが、筆者以外はすべてウラジオストクまでの乗船者だった。しかもその大半がウラジオストク駅からシベリア鉄道に乗ってモスクワに向かい、そこでベルリンやパリなどにつながる国際列車に乗り継ぐ「ユーラシア大陸横断鉄道旅」を目的とする旅人だった。

 しかし、今そんな旅人の姿を見つけるのは難しそうだ。その理由は明らか。まず、航路再開が日本ではまだ広く認知されていない。何しろイースタンドリームの日本語予約サイトが存在しないのだ(2024年11月中旬現在)。それは韓国語と英語のみで、筆者は英語版サイトで運航タイムテーブルが変更された(就航当時は東海発が金曜日だったのが、10月以降は木曜日に。それにともない境港発も土曜日に)ことを初めて知ったほどだ。

 日本からの申し込みは基本、境港の「境夢みなとターミナル」内にあるトゥウォン商船の日本法人・イースタンクルーズ&フェリーに電話で行う。この情報を得たのも、境港管理組合のサイトの「国際定期フェリー」ページをたまたま閲覧してであった。

シベリア横断旅行への夢と現実

 そしてなんといっても2022年に始まったロシア軍のウクライナ侵攻の影響だ。ロシアと西欧諸国を結ぶ国際列車の運行が休止され、ロシアから「非友好国」に指定された日本からの同国渡航がかなり困難な状態になった。

 イースタンクルーズ&フェリーに「日本人でもウラジオストク行きのチケットは買えるのか」と尋ねてみたところ、

「日本人だからといってウラジオ行きの切符を売らないということはありません」

とのこと。ただ「申し込みの前に日本のロシア大使館領事部に一度お問い合わせすることをお勧めいたします」というなんともグレーな回答だった。欧州への足としてのイースタンドリーム活用は、少なくともウクライナ紛争が解決するまでハードルが高そうだ。

 ただ、ソウルへの「日本海ルート」という使い道はある。

 5年前、筆者は港から徒歩10分ちょっとの東海駅で海列車(ぱだよるちゃ)という観光列車に乗り江陵(カンヌン)へ。そこからKTX(韓国高速鉄道)に乗り換えてソウルに向かった。翌年(2020年)、東海とソウルを結ぶKTXイウムが開通。今回初めてソウルから乗車したが、乗り換えなしで2時間40分の快適な列車旅であった。

 さらにイースタンドリーム下船後、境港からJR境線の「鬼太郎列車」で米子へ。米子から寝台特急「サンライズ出雲」で東京へ。ソウル駅から東京駅まで44時間ちょっとのレール&フェリーの旅を実施したが、なかなか楽しかった。東京駅から

「サンライズ + 鬼太郎列車 + フェリー + シベリア鉄道」

で欧州。そんな夢の鉄道旅行ができるのはいつの日か。それが可能になるとき、境港~東海~ウラジオストクは「謎の航路」ではなくなる。

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