都心アクセスが良いベッドタウンなら山ほどあるのに、「流山市」が選ばれ続けている根本理由
交通改善で人口4割増
2005(平成17)年に開業したつくばエクスプレスから約20年がたち、この路線の開業以降、千葉県流山市は最も大きな変化を遂げている。
2004年の人口は15万1684人だったが、2024年には約4割増の
「21万1795人」
にまで増加した。特に35~39歳代の人口が最も増加しており、少子高齢化が進むなかで若く活気のある地域となっている。
つくばエクスプレス開通前、流山市は都心から約25kmの距離にありながら、アクセスに課題があった。市内にはJR常磐線が通っていたものの、駅はなかった。そのため、都心への通勤には隣の柏市の常磐線南柏駅、または流山鉄道流山線を利用して松戸市の常磐線馬橋駅を使う必要があった。
2005年8月のつくばエクスプレス開通により、この交通難が一気に解消された。流山市中心部を走る新路線には、
・南流山駅
・流山セントラルパーク駅
・流山おおたかの森駅
の三つの駅が設置された。特に南流山駅はJR武蔵野線、流山おおたかの森駅は東武野田線と接続しており、多くの人々が集まるようになった。なかでも流山おおたかの森駅周辺は、流山市の新たな中心地として開発が進んでいる。この開発を基盤に、流山市全体の人口動態が大きく変わってきた。
今回は、その実態を、人口の流出入データから詳しく見ていこう。
独自雇用都市への進化
つくばエクスプレスが開業した2005年と、15年後の2020年の通勤者と通学者の流入と流出を比較すると、流山市の変化が明らかになる。
●2005年
・流出:5万8895人(うち、東京都2万6984人)
・流入:1万6701人
●2020年
・流出:6万5440人(うち、東京都3万1736人)
・流入:2万3159人
これらの数字から、流山市の都市構造の劇的な変化が浮かび上がる。
まず、東京都への流出人口は2005年の2万6984人から2020年には3万1736人に増加し、約4700人増えている。これは、つくばエクスプレスの開業によって都心へのアクセスが大幅に改善されたことを示している。例えば、流山おおたかの森駅から秋葉原駅まで最短30分で到着できるようになり、この利便性の向上が流山市を居住地として選ぶ大きな理由になっている。
流入人口は2005年の1万6701人から2020年には2万3159人に増え、6458人の増加となる。これは約38.7%の増加率で、流出人口の増加率(約11.1%)を大きく上回る。具体的には、流入人口の増加率は流出人口の増加率の約3.5倍に達している。この顕著な差は、流山市が単なるベッドタウンから
「独自の雇用を生む都市」
へと進化していることを強く示している。
さらに注目すべきは、流入人口の増加(6458人)が流出人口の増加(6545人)とほぼ同じであることだ。これは、新たに流山市に転入した人々の約半数が市内で就業や就学の機会を得ていることを示唆している。このバランスの取れた成長が流山市の持続可能な発展を支える重要な要因となっている。
東急沿線に挑む流山
流山市の発展は、交通の便がよくなったことだけでは説明できない。首都圏には都心へのアクセスが良好なベッドタウンが数多く存在するからだ。流山市の“特異な発展”を理解するためには、その戦略的なアプローチに注目する必要がある。
つくばエクスプレスが開業する前、流山市は国から市面積の約18%にあたる627haを区画整理事業の対象として割り当てられていた。実際、流山市は少子高齢化や区画整理した土地を売らなければ財政が逼迫するという問題を抱えていた。
ここで流山市が採った戦略が、他のベッドタウンとの差別化につながった。2003(平成15)年に就任した井崎義治市長は、外部人材を採用した「マーケティング室」を市役所内に設置し、さらにマーケティング課に発展させた。これにより、民間企業のマーケティング手法を取り入れ「選ばれる街づくり」に着手した。
流山市が採用した戦略で特筆すべき点は、その
「ライバル設定」
だ。通常、自治体は近隣や同じ沿線の都市と比較するが、流山市は大胆にもライバルを
「東急田園都市線沿線」
に定めた。つまり、千葉県内の同様の自治体ではなく、首都圏でも人気の高い地域と直接対決することを考えたのだ。
この斬新な位置付けは、2010年に始まった「母になるなら、流山市。」というキャッチコピーに最も明確に表れている。このフレーズは単なる子育て支援のアピールではなく、流山市が東急田園都市線沿線の街々と同等以上の子育て環境を提供するという野心的な目標を示していた。
流山市の広告戦略
このキャッチコピーを用いた広告戦略は興味深い。流山市は、東急田園都市線と相互乗り入れをしている東京メトロ半蔵門線の車内に広告を出稿した。これは明らかに、東急田園都市線の利用者を直接ターゲットにした戦略である。
その広告の内容も秀逸だった。横浜市青葉区から流山市に移住した人をモデルに起用し、
「私は横浜市青葉区から流山市に引っ越しました」
という文言を添えた。青葉区は東急田園都市線沿線の人気住宅地として知られており、流山市が青葉区と同等以上の居住環境を提供できるという自信を示すもので、同時に東急田園都市線沿線の住民に直接メッセージを送るものだった。
流山市が東急田園都市線をライバル視する姿勢は、開発当初から明確だった。2007(平成19)年に開業した「流山おおたかの森S・C」がその端緒となる。この商業施設の運営は、高島屋の子会社である東神開発が担っており、同社は東急田園都市線沿線の代表的な商業施設「玉川高島屋S・C」の運営会社でもある。
この選択は偶然ではなく、流山市は商業施設の設置時点から、東急田園都市線に匹敵する、あるいはそれを超える街づくりを目指していた。流山おおたかの森S・Cの開業は、流山市の野心的な計画の第一歩だった。この商業施設には、知名度の高い店舗が多数入居しており、都心に出掛けなくてもほとんどの買い物需要が満たせるようになっている。
しかし、流山市の戦略は単に東急田園都市線を模倣するだけではなかった。例えば、環境に配慮した「グリーンチェーン戦略」を展開し、街全体の緑化を推進するなど、独自の付加価値創出にも力を入れている。これらの多面的なアプローチにより、流山市は単なるベッドタウンを超え、総合的な魅力を持つ都市へと成長を続けているのだ。
保育施設数の拡充
流山市が成功した理由は、明確なマーケティングターゲットを設定したことにある。そのターゲットは、子どものいる共働き世代だ。このターゲット設定には、単なる人口増加だけでなく、都市の持続可能性を考えた動きがあった。
流山市が子育て世代、特に共働き世帯を重視したのは、少子高齢化社会における財政運営の健全性を維持するためだ。高齢者人口のみが増加すると、税収が減少し、社会保障費が増大するため、市の財政は非常に厳しい状況に陥る。一方で、子育て世代の流入は、将来の納税者を含む人口構成の均衡をもたらし、長期的な財政の安定につながる。
子育て世代をターゲットとする戦略は、多くの自治体が採用している。しかし、流山市はこの共通の課題に対して独自のアプローチを取っている。その特徴は、単なる金銭的支援に頼らず、実質的なニーズに応える政策にある。具体的には、給付金や補助金の増額といった短期的な対策ではなく、子育て世代の日常生活に直接影響を与える環境整備に重点を置いている。その代表例が、保育園の整備と運営方法の革新だ。
流山市は、駅周辺を東急田園都市線沿線風にオシャレにするだけでなく、施設整備に多くのリソースを割いている。次の数字を見てほしい。
●2000年
・保育所:総数17、収容定員1210人、児童数1076人
●2023年
・保育所・保育園:総数78、収容定員7738人、児童数7008人
・小規模保育施設:総数21、収容定員393人、児童総数295人
・こども園:総数3、収容定員456人、児童総数422人
保育施設の急速な拡充は注目すべきだ。しかし、人口増にともない待機児童の解消は非常に難しかった。それでも、流山市は2021年に待機児童ゼロを達成した。
送迎ステーションで利便性向上
流山市は、単に保育所の数を増やすだけではなく、その利便性を高める独自の施策も展開してきた。代表的な取り組みが、流山おおたかの森駅前と南流山駅前に設置された送迎ステーションだ。この制度では、通勤途中の親が子どもを預けたり迎えたりできるようになっている。
具体的には、朝、出勤前の親が送迎ステーションに子どもを連れて行き、そこから各保育施設に分散して送られる。夕方には、親が送迎ステーションで子どもを迎える流れになっている。このシステムにより、親は自宅や勤務地から遠い保育園でも安心して子どもを預けられるようになった。
流山市の取り組みは、保育の「量」を確保するだけでなく、「質」と「利便性」を高めることで、共働き世帯の多様なニーズに応えようとしている。保育施設の拡充、待機児童の解消、そして独自の送迎システムの導入が相まって、流山市は子育て世代にとって魅力的な街となり、人口増加と都市の活性化につながっている。
流山市の宣伝や住宅関連メディアの報道を見ると、オシャレさが際立つ印象を受ける。しかし、その本質は、ただ街をオシャレにして人口を増やしたという表面的なものではなく、巧みなブランディング戦略と、それを支える実質的な施策の融合にある。
「母になるなら、流山市。」というキャッチコピーが流山市の知名度とイメージを高めたのは確かだが、流山市はブランディングだけでなく、子育て世代が本当に求める実質的な部分にもしっかりと取り組んできた。つまり、流山市は
・魅力的に見せる
・実際に魅力的である
ことを両立させたのだ。
人口動態の危機感
現在、流山市は目覚ましい成功を収めているが、将来に向けてはまだいくつかの課題が残っている。その根本的な問題は人口動態にある。
2024年4月に厚生労働省が発表した最新データによると、流山市の合計特殊出生率は1.59で、全国平均の1.33を大きく上回り、千葉県内でトップとなっている。しかし、長期的に見るとこの数字は十分ではない。日本の人口置換水準(人口が長期的に一定を保つために必要な出生率)は約2.07とされている。このため、流山市の現在の出生率では、長期的には人口が減少していくことになる。
この問題について、千葉県地方自治研究センターの佐藤晴邦氏は、2017年に発表した論文「流山市の人口増加とシティセールスを考える」(『るびゅ・さあんとる』2017年2月号)で重要な指摘をしている。
佐藤氏は、流山市の現在の人口増加が主に市外からの移住者によるものであり、住宅供給には限界があるため、この状況を永続的に維持することは難しいと述べている。そのため、人口減少の影響は他の地域より遅れるものの、避けられない課題となる。佐藤氏はさらに、
「流山市のDEWKS(共働きで子育て中の世帯)世代の子どもたちが10年後には成人を迎える」
と指摘している。この論文が発表された2017年から10年後、つまり2027年頃には、現在の子育て世代の子どもたちが成長し、独立や進学のために流山市を離れる可能性が高まる。この世代交代は、流山市の人口構造や都市の性格に大きな変化をもたらす可能性があるのだ。
子育て支援の限界
流山市は子育て支援策で大きな成功を収めてきたが、将来に向けてはさらに戦略の進化が必要だ。現状では、取り組みが十分とはいえない。
市の公式ウェブサイトを見ると、小児科クリニックの開業誘致など、依然として子育て世代を重視した施策が目立つ。これらの政策は現在の流山市の強みを維持する上で重要だが、長期的な視点ではこれだけでは不十分である。
現在の総合計画では、人口増加を背景に子育て支援策に重点が置かれている。これは短期的には正しい選択だが、今後は視野を広げる必要がある。若年層の雇用機会の拡大、進学・就職支援、起業促進など、次世代の自立と定着を促す包括的な施策を体系化することが求められている。
この課題の重要性は過去の事例からも明らかだ。1960年代に造成された大規模団地やニュータウンの多くは、現在、深刻な高齢化問題に直面している。これらの地域では、当初は若い世代が流入し急激な人口増を経験したが、子ども世代が成長すると同時に地域外への流出が始まり、結果として急速な高齢化が進んだ。流山市も、ここ数年のうちに同様の問題に直面する可能性が高い。
流山市がこれまで実現してきた「住みたくなる街」というブランドイメージは、確かに大きな成功だった。しかし、このイメージと施策が今後も効果を上げていくかどうかは、今後の人口流出を抑制し、持続的な発展を実現できるかにかかっている。
10/07 05:41
Merkmal