世界の学者120人がトヨタ「ミライ」の使用撤回を訴えたワケ しかもパリ五輪直前に

有識者120人が水素自動車に警鐘

2022年10月31日撮影、東京都内の自動車ショールームに掲げられたトヨタのロゴマーク(画像:AFP=時事)

2022年10月31日撮影、東京都内の自動車ショールームに掲げられたトヨタのロゴマーク(画像:AFP=時事)

 8月12日(日本時間)にパリ五輪が閉幕した。日本は今大会で金メダル20個、銀メダル12個、銅メダル13個を獲得し、合計で45個のメダルを手に入れた。金メダルの数とメダル総数の両方で、海外で行われたオリンピックとしては史上最多となった。

 そんなパリ五輪の開幕式から2週間前の7月12日、興味深いニュースが報じられた。CNNが、パリ五輪・パラリンピックにトヨタ自動車が提供する予定だった水素自動車「ミライ」の使用を撤回し、電気自動車に変更するよう求める公開書簡について報じたのだ。

 この書簡は、英国ケンブリッジ大学のデビッド・チェボン教授を筆頭に、

・オックスフォード大学
・コロラド大学

の学者や技術者120人が連名で発表した。

 彼らの主張は、パリ五輪のような世界的なイベントでトヨタが水素自動車を提供することが、水素自動車が

「脱炭素の選択肢」

であるかのような誤解を招く恐れがあるというものだ。この書簡に書かれた水素自動車に関する主張や、パリ五輪開幕直前に発表されたタイミングについての意図とは何か。

「グリーン五輪」への疑念の声

IOC会長などに送られた公開書簡の一部(画像:SRF)

IOC会長などに送られた公開書簡の一部(画像:SRF)

 公開書簡は、トーマス・バッハ(IOC会長)やパリ五輪組織委員会の会長宛てで、ccにはパリ市長も含まれていた。パリ五輪は「五輪史上で最もグリーンな大会」を掲げ、地球温暖化ガスの実質排出量を2010年代と比べて半減することを目指していた。しかし、この書簡は、トヨタが推進する水素自動車が

「ネットゼロ(温室効果ガスの排出量を実質的にゼロにすること)」

とは科学的に合致せず、

「パリ五輪の評判を傷つける」

ものだと指摘していた。

 CNNの報道に先立って、英国のケンブリッジ大学やウェストミンスター大学などの研究グループが関与する持続可能な道路貨物輸送センター(SRF)は、公式ウェブサイトで公開書簡を掲載した(2024年7月8日付)。

 SRFは2013年に設立され、道路貨物輸送の環境持続可能性を向上させることを目的とする研究機関だ。公開書簡の筆頭署名者であるケンブリッジ大学のデビッド・チェボン教授は、SRFのエグゼクティブチームの一員であり、ディレクターも務めている。チェボン教授は、水素自動車が環境に与える悪影響をユーチューブなどで発信しており、今回の書簡を主導した。

 書簡では、主に水素自動車はバッテリー式電気自動車(BEV)と比較して3倍程度の電力を必要とし、非効率的で相当量のCO2を排出すると主張している。このほかにも、トヨタの水素自動車使用の撤回を求める理由として、

・旅客輸送の脱炭素には、BEVが最も効果的であり、水素自動車は真の解決策にならない。
・水素の99%は化石燃料から製造されており、化石燃料由来の水素を使用する水素自動車は、ガソリン車よりも3割から5割ほどCO2の排出量を増加させる。
・価格が高く、水素燃料が希少であるため、水素自動車はネットゼロの有効な解決策にならない。
・東京五輪でも水素自動車が使用されたが、水素燃料のコストや供給設備の課題から成功しなかった。

といった点が挙げられている。

注目集める撤回発表

2024年8月28日発表。主要11か国と北欧3か国の合計販売台数と電気自動車(BEV/PHV/FCV)およびHVシェアの推移(画像:マークラインズ)

2024年8月28日発表。主要11か国と北欧3か国の合計販売台数と電気自動車(BEV/PHV/FCV)およびHVシェアの推移(画像:マークラインズ)

 パリ五輪開催期間中、トヨタ自動車はミライ500台に加え、水素バス10台やBEV1150台を提供した。

 トヨタはパリ五輪を最後にオリンピック競技会における最高位スポンサー契約を終了する。そのため、最後の花道として水素自動車やBEVを提供し、環境に配慮した企業であることをアピールしたかったのだろう。

 しかし、その矢先に公開書簡が発表された。タイミングがパリ五輪開幕直前だったのは、最も注目を集めている時期を狙った結果だろう。というのも、トヨタがパリ五輪にミライ500台を提供することを発表したのは2023年9月で、その後に公開書簡を発表するタイミングはいくらでもあったからだ。

 水素自動車の使用撤回を実現するためには、十分な準備期間を設けて発表することも可能だったはずだ。あえてパリ五輪の開幕直前に発表したのは、水素自動車の使用撤回が実現する可能性が低いと考えていたからに違いない。そのため、世間の注目が集まるタイミングを狙って発表したのだろう。

戦略的だった公開書簡

英国ケンブリッジ大学工学部・デビッド・チェボン教授(画像:SRF)

英国ケンブリッジ大学工学部・デビッド・チェボン教授(画像:SRF)

 CNNの報道によれば、トヨタ・ヨーロッパは水素自動車が世界のネットゼロの未来に貢献できると強調し、水素自動車の使用撤回には応じなかった。

 公開書簡を発表した学者たちは、トヨタが水素自動車の使用を撤回すれば、その汚染度の高さや非効率性を広く知らしめることができたと考えたが、少なくとも彼らの主張が周知される目的は達成された。

 今回の公開書簡は、水素自動車を提供するトヨタではなく、IOC会長やパリ五輪組織委員会宛てに送られた。このことから、書簡の意図はトヨタを標的にして水素自動車の販売を抑制することではなかったと推測できる。

 トヨタ以外にもホンダや現代自動車、BMWなどが水素自動車を開発・生産しているが、トヨタの水素自動車が使用されるパリ五輪が狙われて公開書簡が送られた。書簡に署名した120人の有識者は、水素自動車の普及に歯止めをかけたかったのだろう。

 世界が注目するパリ五輪が戦略的に利用された形となるが、今後もSRFなどが水素自動車に対してどのようなアプローチを行うのか注目していきたい。

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