なぜ「一人旅」は旅館で歓迎されなかったのか? かつては想像できない“恐怖”のイメージも…… SNS話題のネタを深掘りする

一人旅歓迎の新潮流

一人旅のイメージ(画像:写真AC)

一人旅のイメージ(画像:写真AC)

 宮城県北西部に位置する栗原市の「温湯(ぬるゆ)温泉 佐藤旅館」のSNS投稿が先日、話題になった。

 同館が

「最近、一人旅のご利用が増えています」

として、1名一室プランを紹介したところ(7月31日)、2万5000を超える「いいね!」が集まり(8月30日時点)、予約が急増したのだ。

 話題になった理由は、一人旅行者を心から歓迎する同館の姿勢にある。これまで多くの旅館ではビジネスホテルとは異なり、一人客を断ったり、一人用のプランを用意していないことが多く、一人客の受け入れを敬遠する風潮が強かった。そのなかで、この姿勢が高く評価されたのだ。

 本稿では、かつて多くの宿泊施設で一人旅の客が敬遠されていた背景と、現代の一人旅の動向について、2回にわけて紹介する。

一人旅拒否の理由

旅館のイメージ(画像:写真AC)

旅館のイメージ(画像:写真AC)

 かつて宿泊施設は一人客を拒否する姿勢が強かった。『読売新聞』1988年8月4日付朝刊に掲載された記事「難しくない一人旅」では、次のような体験談が紹介されている。

・京都への女ひとり旅。1カ月前に旅館や民宿案内所に頼んだが、「満員」とか、「女ひとりでは」と断られた(女性50歳)
・山陰地方のある市では、十軒のホテル、旅館に門前払いをくわされ、夜行で帰るはめになった(男性69歳)

 なぜ一人客がそんなに敬遠されていたのか。同新聞1989年7月26日付夕刊に掲載された「泊めてくれない一人客 紹介者の口利きならOKの場合も」では、次のように説明されている。

「旅館側に聞くと、断る最大の理由は手間がかかるからだと言います。一人客も二人の場合もかかる手間はそれほど変わらない。それなら二人以上を優先した方が、という経営効率上の理由が本音なのでしょう。「言いにくいが、一人客は問題が起きる率が高い」という旅館側の理由もあるようです」

 ただ、経営効率だけが理由ではなかったようだ。『北海道新聞』1994年2月14日付朝刊に掲載された記事「1人旅でも歓迎します 不況で旅館が“方針転換” でも…腰重い道内の大手」では、ある旅館が本音を語っている。

「ある旅館は「一人の女性は自殺など、何をするかわからないという考えが少し前まであった」といい、女性には特に厳しかったようだ」

 一人旅が自殺や問題を抱えた客と結びつけられるイメージは、フィクションでもよく見られる。このような偏見が、かつての宿泊施設で一人旅行者の受け入れをちゅうちょさせる要因となっていた。

一人旅特集が変えた風潮

沢木耕太郎『深夜特急1 ー 香港・マカオ』(画像:新潮社)

沢木耕太郎『深夜特急1 ー 香港・マカオ』(画像:新潮社)

 この背景には、仕事以外で一人で旅をすることが極めて特殊なことと考えられていた時代があった。

 新聞データベースで一人旅に関する記事を調べてみると、1990年代まで純粋にレジャーとしての一人旅を取り上げた例はほとんど見当たらない。自転車で日本一周や海外を旅する人々の話ばかりだった。

 つまり、一人旅は沢木耕太郎の『深夜特急』のような求道的な旅や、1974(昭和49)年にフィリピンのルバング島で小野田寛郎を発見した鈴木紀夫、1975年にサハラ砂漠を一人で横断しようとした上温湯隆(かみおんゆ たかし)のような“冒険的な試み”として認識されていたのだ。

 では、一人旅はいつから特殊なものではなく、誰もが気軽に参加できるレジャーに変わったのだろうか。そのきっかけは1990年代にあった。1993(平成8)年9月、日本交通公社が発行した旅行情報誌『旅』が初めて一人旅を特集し、付録に付けられた

「一人でも泊まれる宿リスト」

が大きな反響を呼んで瞬く間に完売した。これ以降、同誌は相次いで一人旅を特集し、どれも完売するほどの反響があった。また、1994年からは一人でも参加できる添乗員付きの国内ツアーも販売が始まった。

中高年のユース利用増加

ユースホステルのイメージ(画像:写真AC)

ユースホステルのイメージ(画像:写真AC)

 この時期、中高年層のユースホステル利用が増えているという記事もよく見かける。

「本来、若者の宿泊施設であるユースホステルを利用する中高年が増えている。ユースホステルは料金が安いうえに年齢制限がないので、会員になればだれでも泊まれる。若者との会話を楽しみにしている人が多いという」(『読売新聞』1993年3月6日付朝刊)

 この頃、以前は一人客を敬遠していた温泉旅館でも、受け入れるところが増えてきたという記事が多く見られるようになった。『毎日新聞』1994年12月8日付夕刊に掲載された記事「独り者は大事なお客、薄利多売で不況に活路 サービス、よりきめ細かく…」では、当時の状況がよくわかる。

 この記事では、デパートの食品売り場でナスの煮物が1本から買えるようになるなど、シングル向けのサービスが目立つようになっていることを紹介し、その一例として温泉旅館の変化も取り上げている。

「ウエルカムになってきたのは、個人旅行が増えたほか、旅館の過剰設備投資も背景にある。空き部屋にしておくより、一人でも客を取りたい、というわけだ」

 バブル崩壊後の不況が続くなか、宿泊客が減少した旅館は、ようやく一人客を受け入れるようになったのである。

一人旅増加の推移と実態

旅館のイメージ(画像:写真AC)

旅館のイメージ(画像:写真AC)

 1990年代に一人旅がブームになったものの、急速に増加したわけではない。

 日本観光振興協会が毎年発行している『観光の実態と志向』には「同行者人数」という項目があり、一人旅の増減を追跡できる。ここで、特定の年代に絞った数字を示してみよう(データは宿泊旅行に基づいている)。

●1997年
・自分ひとり:2.4%
・家族:37.3%
・友人・知人:29.6%
・家族と友人・知人:14.0%
・職場・学校の団体:8.9%
・地域の団体:3.2%

●2009年
・自分ひとり:5.4%
・家族:46.0%
・友人・知人:24.9%
・家族と友人・知人:12.5%
・職場・学校の団体:4.0%
・地域の団体:3.2%

●2014年
・自分ひとり:11.7%
・家族:55.2%
・友人・知人:23.5%
・家族と友人・知人:4.5%
・職場・学校の団体:1.7%
・地域の団体:0.8%

●2022年
・自分ひとり:17.7%
・家族:55.8%
・友人・知人:19.6%
・家族と友人・知人:2.9%
・職場・学校の団体:1.2%
・地域の団体:0.3%

 1990年代に一人旅がブームとなったものの、現在の二桁台に比べるとかなり少数派だった。国土交通省によると、20代の1回あたりの旅行の平均費用は1986(昭和61)年には約4.5万円だったが、バブル崩壊後の1998(平成10)年には

「約3.3万円」(27%減)

にまで落ち込んでいる。ブームとはいえ、そもそも旅行に出掛ける人自体が減っていたのだ。

一人旅は節約旅行

旅館の朝食イメージ(画像:写真AC)

旅館の朝食イメージ(画像:写真AC)

 このことから、1990年代の一人旅のブームは不況のなかでの

「節約旅行の選択肢」

だったとも考えられる。宿泊施設側も、一人客を歓迎していたわけではなく、

「空き部屋を持つよりはマシ」

という理由でやむを得ず受け入れていたにすぎなかった。

『朝日新聞』1999年1月20日付朝刊に掲載された「一人客ってなぜ旅館に嫌われるの?」という記事では、一人旅がブームになっているにもかかわらず、多くのガイドブックに

「休日の前日とオンシーズン以外」
「休日の前日、夏休み、ゴールデンウイーク、年末年始を除く」
「混雑時は一人は断られることが多いが、すいていても客が少なすぎると休館にされ、断られる」

といった注意書きが目立つことが指摘されている。

一人旅の一般化と宿泊変革

一人旅のイメージ(画像:写真AC)

一人旅のイメージ(画像:写真AC)

 結局、前述のデータからわかるように、一人旅は特別なものではなくなり、宿泊施設がその受け入れ態勢を整えたのは2010年代以降のことだった。一人旅が“一般化”し、宿泊先に困らない状況が整うには、

「20年以上」

の時間がかかったのだ。なお、「おひとりさま」という言葉が流行語にノミネートされたのは、2005(平成17)年である。

 現在、宮城県栗原市の「温湯(ぬるゆ)温泉 佐藤旅館」のように、一人旅を積極的に歓迎する宿泊施設が増えている。かつては敬遠されていた一人旅が、今では旅行業界の重要なトレンドとなり、多くの旅館やホテルが一人旅行者向けのサービスを充実させている。この傾向は今後も続くと予想され、旅行のスタイルや宿泊業界のサービス提供の形を大きく変えていく可能性がある。

 一人旅の増加は、個人の多様な旅行スタイルを尊重する社会の成熟を反映している。

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