国立市「マンション解体」は当然の結果です! 街の「景観」「アイデンティティー」をいまだに軽視する“からっぽ”日本人の思考回路

景観保護と住民の対立

国立駅と2020年に復元された旧国立駅舎(画像:写真AC)

国立駅と2020年に復元された旧国立駅舎(画像:写真AC)

 積水ハウスは6月8日、東京都の多摩地域中部に位置する国立市で建設を進めていたマンションを、完成直前に取り壊すことを決めたと発表した「富士山の眺望」に影響が出るというのがその理由で、大きな関心を集めている。

 地元の景観が守られたことは喜ばしい。しかし、なぜかインターネット上では、これに反対する、次のような意見を多く目にする。

「法律に従って建てられたものが、地元住民の圧力に押されて取り壊されることになるとしたら、それは実に大きな問題だ」
「こんな地味な街並みから富士山を眺めることに何の価値があるのだろう」
「富士見通りは、富士山が見えるのは道の先だけだし、建物は古い低層の商店ばかりで、街並みは決してきれいではない」
「騒がしい住民も多く、面倒な地域だ」

 本稿は、国立市における景観保護の歴史、過去の訴訟、そして今回の事件の背景を見ながら、これからの景観まちづくりのあり方について考えてみたい。なぜ景観を守ることが重要なのか――。

景観条例と住民対策

旧国立駅舎と大学通り(画像:写真AC)

旧国立駅舎と大学通り(画像:写真AC)

 問題の発端は、積水ハウスが国立市の富士見通り沿いに建設を計画した10階建て総戸数18戸のマンション「グランドメゾン国立富士見通り」だ。計画当初から地元住民からは、

・富士山の眺望
・近隣住宅の日照

に影響が出るとの懸念の声が上がっていた。

 2021~2022年には、まちづくり審議会や近隣住民らと事業者側が話し合う調整会も開催。住民側は

「4階建てとしてほしい」
「建築面積及び延べ床面積を現計画の半分程度に抑えることを要望する」

などと主張。これに対し、積水ハウスは階数を11階から10階に変更したが、「事業性の圧迫につながる」と意見が対立し、合意に至らなかった。(『朝日新聞』2024年6月8日付朝刊)。

 しかし、マンションが完成し、購入者に引き渡されようとしたとき、積水ハウスは突然、周辺地域への影響への配慮が十分に検討されていなかったとして、計画を白紙に戻し、建物を取り壊すことを決定した。その理由は、

「建物が富士山の眺望に与える影響を再認識した。景観に著しい影響があるといわざるを得ず、眺望を優先するという判断に至った」

とされている。

 国立市は、一橋大学(旧東京商科大学)の誘致とともに、ドイツの大学町をモデルにしたきめ細かな都市計画のもとで発展してきた。ゆえに、地域の景観を守ることの重要性は、以前から市民の間で強く意識されていた。以下、街の変遷と人口の移り変わりである(くにたち中央図書館作成の参考資料より)。

●変遷
明治22(1889)年:谷保村、青柳村、石田村が合併し、谷保村となる
明治27(1894)年:神奈川県から東京府へ移管
大正15(1926)年:4月国立駅開業
昭和2 (1927)年:東京商科大学(今の一橋大学)神田より移転
昭和26(1951)年:町制施行され、国立町と改称
昭和27(1952)年:文教地区指定
昭和29(1954)年:境界変更府中市の一部
昭和31(1956)年:境界変更国分寺市の一部
昭和42(1967)年:市制施行

●人口の移り変わり(「国立市史下巻」より)
明治24(1891)年:2473人(365世帯)
大正9 (1920)年:2611人(472世帯)
大正15(1926)年:2899人(472世帯)
昭和20(1945)年:7462人(1319世帯)
昭和26(1951)年:1万4903人(3449世帯)
昭和47(1967)年:5万2523人(1万4450世帯)
令和6 (2024)年:7万6138人(3万9730世帯)※5月1日時点

 1997(平成9)年に制定された「国立市都市景観形成条例」には、「街並み調和地区」の指定や建築物の高さ・形態の規制など、先駆的な内容が盛り込まれ、全国的にも注目されている。

「国立マンション訴訟」の教訓

高層マンションが立ち並ぶイメージ(画像:写真AC)

高層マンションが立ち並ぶイメージ(画像:写真AC)

 国立市における景観保護の象徴的な出来事が

「国立マンション訴訟」

である。これは1999(平成11)年、大学通り沿いに高さ44mのマンション建設計画が持ち上がった際に起こった大きな景観論争である。景観を守る運動の中心人物で1994年4月に市長に当選した上原公子氏を中心とする住民たちは、開発業者に対して粘り強く指導や相談を行った。

 しかし、国立市の行政指導や住民との話し合い関わらず、事業者との交渉は決裂しマンションは完成するに至った。これを受けて住民らは、事業者を相手取り、景観利益の侵害を根拠として建物の高さ20m以上の部分の撤去を求める民事訴訟(国立マンション訴訟)を提起した。

 第一審の東京地裁では住民側の主張が認められたものの、控訴審では請求が棄却された。2006年の最高裁判決でも控訴審判決が支持されたが

「良好な景観に近接する地域内に居住し、その恵沢を日常的に享受している者は、良好な景観が有する客観的な価値の侵害に対して密接な利害関係を有する」

との判示があり、景観利益の法的保護の必要性が初めて最高裁レベルで示されている。

 この訴訟を通して、景観保護の重要性は広く共有されるようになり、2004年には「景観法」が公布されている。以降、各自治体では景観計画の策定や景観条例の制定を通じて、建築物の高さや形態・意匠等を規制できる仕組みを整えることになった。

 しかし、今回の国立市の事例は、

「こうした法制度が十分に機能していない」

ことを示している。景観保護に関心の高い国立市ですら、まだ対策のための法整備が十分ではないことを示している。

景観保護の経済効果

積水ハウスのウェブサイト(画像:積水ハウス)

積水ハウスのウェブサイト(画像:積水ハウス)

 景観のもたらす価値は大きい。とりわけ、

「経済的価値」

は計り知れない。良好な景観は、地価の上昇や観光客の増加、さらには住民の満足度向上や地域への愛着をも誘引するからだ。

 実際、不動産の価値評価においても、「眺望」は大きなファクターだ。高層マンションでは、部屋の階数や眺望の方位、対象によって価格が大きく変わることはよく知られている。一戸建て住宅でも同様だ。

 中央大学の谷下雅義氏らの論文「景観規制が戸建住宅価格に及ぼす影響―東京都世田谷区を対象としたヘドニック法による検証―」(『計画行政』32巻2号)では、東京都世田谷区の1995(平成7)年から2005年までの1万4086件の中古戸建て売買データを分析し、次のように結論づけている。

「地区計画や建築協定で建物の高さが15m以下に制限されているエリアでは、周辺の制限なしの地域と比べて、平均3.1%~3.8%も地価が高くなる」
「地区計画等に基づく景観法による規制は、一戸建て住宅の価格に及ぼす影響は大きくないが、これが地区の物的住環境の改善につながり、敷地の細分化を防止する効果などを持つならば、住宅価格を相対的に押し上げる可能性を秘めている」

これは一地域の事例にすぎないが、景観の保護が、ほかの施策とリンクして一定の効果をもたらす可能性は高いといえよう。景観は、

「単に眺めのよさの問題だけでなく経済な問題」

でもあるのだ。積水ハウスの発表によると「建設から解体までの費用は数億円に上る」という。高さ36mの10階建てを完成段階で白紙撤回するのだから、損失は計り知れない。

 また、企業の信頼を揺るがしかねない状況であることも間違いない。しかし、長期的に見れば積水ハウスの決断は評価されるべきだろう。完成後もさまざまな葛藤や風評被害が予想されるなかで、利益に過度にこだわることなく、

「企業の社会的責任」

を果たし、地域社会と共存する道を選んだことは称賛に値する。この経験は、これからの企業と地域社会の関係を示唆するものともいえる(同社のメイン事業はマンションではなく、一戸建て住宅という点を差し置いても)。

 直接的な利益はマイナスであったが、積水ハウスへの信頼を高めたという点では大きなプラスといえる。

文化的景観と保全

「第19回 国立市まちづくり審議会会議録」(画像:国立市)

「第19回 国立市まちづくり審議会会議録」(画像:国立市)

 では、こうした景観保護の問題を他国ではどう扱っているのか。一例として米国での施策を見てみよう。

 米国では1990年代以降「文化的景観」を重要な文化遺産と位置付け、管理体制の整備を進めている(惠谷浩子「アメリカ合衆国における 文化的景観保全の輪郭」『奈文研紀要』2012)

米国立公園局の資料によれば、文化的景観の定義は次のようになっている。

「文化的・自然的資源とそこに生息する野生動物・家畜の両方を含む地理的領域で、歴史的な出来事・活動や人物に関連づけられ、またそのほか文化的・美的価値を示すもの」

 これは、世界遺産条約における文化的景観の枠組みと重なる。国際標準の景観概念から逸脱しない形で、独自の景観まちづくりを進めていることがうかがえる。日本でも、景観そのものを文化遺産にするという考え方を進めていく必要がある。

 さて、今回の国立での事例を、今後にどう生かすべきだろうか。今回、国立市では事前にまちづくり審議会が開催され、協議も行われている。ここでは「通りの空間が狭まり、富士山が見えにくくなる懸念」も共有されている。

 しかし議事録を読むと、積水ハウス側では、階数を11階から10階に変更すれば、さほど眺望の悪化はないと考えていたように見受けられる。これは大きな認識の違いだった。その結果、マンションが完成してから取り壊されるという珍事になり、大きな経済的損失が発生したわけだ。同社の国立マンション計画撤回は、景観まちづくりの岐路に立つ出来事だった。

・計画と事業のずれ
・法制度の不備
・行政と住民の葛藤

その全てが凝縮された騒動だったといえる。将来の紛争を避けるためには、景観を重視する住民の意見を反映した、より広範で強力な建築規制を実施する必要がある。また、そのための基準や条例をあらかじめ整備しておくことも必要である。

景観保護と街のアイデンティティー

東京都国立市の位置(画像:OpenStreetMap)

東京都国立市の位置(画像:OpenStreetMap)

 少子高齢化が進み、空き家が増加している現在、「コンパクトシティ」の実現が都市計画の焦点となっている。市街地の拡大を抑制し、適度な高さと密度を確保するため、中心部でのマンション建設が各地で進みそうだ。

このままでは、どこの街も駅周辺に一様にマンションが立ち並び、その周囲に繁華街が発達するという風景になりかねない。そのため、

「街のアイデンティティー」

を維持した再開発が重要な課題となる。

 国立市の問題を、一部の「騒がしい住民」が騒いでいるだけと見る人もいるかもしれない。冒頭で述べたように、インターネット上では景観保護をからかうかのような意見も散見された。

 しかし、こうした考え方は“的外れ”だ。景観とは、その地域に住む人々の

・歴史
・文化
・生活様式

を反映したものである。長い時間をかけて形作られてきた景観を守ることは、そこに住んできた人々の生活を尊重し、未来に引き継いでいくことなのだ。それをあざ笑うことは、歴史と文化の破壊に加担することである。

 国立市の経験は、開発と保全のバランスを取ることの難しさを如実に示している。また、ビジネスと地域社会の新たな関係についても疑問を投げかけている。社会の多様な価値観をどのように調和させるのか。国立市の苦闘は、日本の「成熟」の物語とも重なる。

 アイデンティティーを失った存在は機能的で合理的であっても、からっぽである。ノーベル文学賞候補となり、今でも海外で広く読まれる作家の三島由紀夫(1970年没)は、今から54年前に「果たし得ていない約束―私の中の二十五年」という随筆で次のように書いている。

「このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或(あ)る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」

もはや「富裕」「経済的大国」であることすら怪しくなってきた日本で、さらに「からっぽ」が進んだらどうなるのか。国立市の件に限らず、景観とアイデンティティーは深く結びついているのだ。

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