「公共交通の役割を果たせ」 近江鉄道など“地方路線維持”に上下分離方式続々、覚悟を決めた自治体も続くワケ

近江鉄道線維持へ自治体が持ち出し

近江八幡市内を走る近江鉄道八日市線の列車(画像:高田泰)

近江八幡市内を走る近江鉄道八日市線の列車(画像:高田泰)

 滋賀県の近江鉄道線、熊本県のJR肥薩線など公有民営の「上下分離方式」を導入する地方路線が相次いでいる。地方自治体は多額の出費が必要なのに、なぜ覚悟を決めたのだろう。

 ホームに立った斉藤鉄夫国土交通相らが紅白のテープにはさみを入れる。これを合図に青い車体の列車がゆっくりと動きだす。4月から沿線自治体でつくる管理機構が線路など鉄道施設を保有する上下分離方式に移行した滋賀県の近江鉄道線は、米原市の米原駅で開かれた出発式で再スタートを切った。

 近江鉄道は1896(明治29)年の創業。現在は滋賀県東部に

・本線(米原~貴生川)
・八日市線(八日市~近江八幡)
・多賀線(高宮~多賀大社前)

という計59.5kmの3路線を持ち、彦根市、近江八幡市など10市町を走っている。

 だが、2022年度の年間利用客はピークの1967(昭和42)年度から半分以下の433万人しかない。1km当たりの1日平均輸送人員を示す輸送密度はコロナ禍前の2019年度で1786人。営業赤字が

「1994(平成6)年度」

から続いている。廃線を免れたのは沿線自治体が持ち出しを覚悟して上下分離方式導入に踏み切ったからだ。

費用は約158億円

JR琵琶湖線に接続する近江鉄道の近江八幡駅(画像:高田泰)

JR琵琶湖線に接続する近江鉄道の近江八幡駅(画像:高田泰)

 導入から10年間に必要な費用は約158億円。滋賀県と沿線自治体は国の交付金約42億円を除く約116億円を負担しなければならない。

 うち、機構運営費の約17億円は沿線自治体が全額、維持費などの約99億円は滋賀県が50%、残りを沿線自治体が

・駅数
・営業距離
・定期券利用者数

で案分した負担率で支出する。

 本線と八日市線が通る東近江市は最も多い20%強の負担となった。10年間で約24億円だ。人口約11万人で、2024年度一般会計当初予算は547億円、合併特例債も2025年で発行期限を迎える。決して大きいといえない財政規模に厳しい負担だが、東近江市交通政策課は

「負担は重いが、市の人口は沿線トップクラスで、駅の数も多い。沿線全体を考えると、こうするしかない」

と胸のうちを打ち明けた。

熊本県が小規模自治体の費用を負担

人吉駅(画像:写真AC)

人吉駅(画像:写真AC)

 熊本県でも上下分離方式で再出発を決めた例がある。2020年の豪雨災害で不通となっているJR肥薩線の八代~人吉間51.8kmだ。国、熊本県、JR九州が4月上旬、鉄路を復旧し、上下分離方式で運行を再開することで合意した。

 近江鉄道線と異なるのは沿線自治体の規模が小さいことだ。近江鉄道線沿線10市町の人口が計約49万人なのに対し、八代~人吉間の八代市など4市町村は計約16万人。人口減少も急ペースで、その分持ち出し可能な予算が少なくなる。

 そこで熊本県が動いた。

 復旧費235億円のうち、沿線自治体の実質負担分となる約12億7000万円を熊本県が全額負担するとしたうえ、上下分離方式導入で年間約7億4000万円と試算した維持費のうち、沿線自治体負担分を約5000万円に抑えた。当初は約1億2000万円を想定していただけに、沿線自治体に配慮した格好だ。熊本県交通政策課は

「小規模自治体の負担を軽減しながら、鉄道を復旧して維持するにはやむを得ない」

と説明した。沿線の人吉市交通政策課は

「小規模自治体が支出できる額には限りがある。熊本県の方針はありがたい」

と喜んでいる。

 熊本県では、人吉市、湯前町などを走る第三セクターのくま川鉄道が上下分離方式で2025年度から全線運行を再開する。南阿蘇村と高森町を結ぶ南阿蘇鉄道高森線も2023年から上下分離方式で全線運行している。熊本県では上下分離方式を将来にわたって鉄道を支える仕組みという考えが定着しつつあるように見える。

他の先進国は行政の支援で鉄道運行

クロスセクター効果のイメージ(画像:近江鉄道沿線地域公共交通再生協議会)

クロスセクター効果のイメージ(画像:近江鉄道沿線地域公共交通再生協議会)

 北海道では赤字路線の廃止が相次ぐなか、沿線自治体がJR北海道から上下分離方式の導入か、バス転換を迫られる場面が何度かあった。北海道の自治体は財政規模の小さいところが多い。しかも、路線が長く、雪国だけに保線費用が高くつく。北海道が熊本県のような手厚い支援を示さなかったこともあり、自治体はバス転換を受け入れざるを得なかった。

 だが、鉄道を廃止して自治体の負担が軽減されるとは限らない。近江鉄道線の法定協議会が全線廃止と仮定し、自治体が負担せざるを得ない道路整備費、病院や学校などへの送迎バス運行費、土地価格低下による税収減などを数値化したところ、沿線10市町で年間19億~55億円必要になることがわかった。負担額は上下分離方式導入にともなう支出を上回る。

 公共交通の多面的な価値は

「クロスセクター効果」

と呼ばれ、数字に可視化することで廃止した場合の負担額がわかる。近江鉄道線存続の決め手のひとつとなったが、全国に十分浸透した状況とはいえない。

 背景に見えるのは鉄道施設を企業の“私物”ととらえる考えだ。徳島県では経営危機が続くJR四国に

「公共交通の役割を果たせ」

と要求する一方、駅のトイレ改修を「民間会社に公金を支出できない」として拒否した自治体がある。

 他の先進国ではほとんどの鉄道路線が赤字で、

「運行を自治体が支えるのが当たり前」

になっている。これに対し、日本は三大都市圏の人口過密が鉄道会社に大きな収益をもたらしてきたこともあり、民間鉄道の路線運行に自治体が深く関与してこなかった。補助金交付も他の先進国より消極的だ。

 地方は今後、人口減少による税収減と高齢者向け予算の増大などから、自治体財政が厳しさを増すと予想されるが、路線の将来を考えるうえで最も重視すべき点は収支や輸送密度ではなく、自治体が支えられるかどうかだろう。自治体に求められるのは発想の転換だ。

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