零戦に比肩する傑作機「ぜろかん」旧海軍の“名バイプレーヤー”が現代に甦る! 発注元は広島の観光名所
太平洋戦争において旧日本海軍航空隊で偵察や着弾観測に使われ、戦艦「大和」などにも搭載された「零式観測機」。その実物大模型の製作が茨城県で始まったので現地へ行き、さっそく同機を見てきました。
姿を見せた製作途中の「零観」
ここ数年来、国内の航空博物館や平和記念館では「零戦」や「紫電改」、「飛燕」など、旧日本軍機を再現した実物大模型の展示が相次いでいますが、それら機体の多くは茨城県小美玉市にある立体広告メーカーの(株)日本立体で製造されています。
そして、このほど同社製の新たな実物大模型として、太平洋戦争中に作られた零式観測機、通称「零観」(ぜろかん/れいかん)の実物大模型の製作が発表され、2024年10月8日に同社の工場で安全祈願祭と鋲打ち式が行われました。
今回公開された「零観」模型は、大部分が赤い錆び止めが塗られた鉄製の骨組み状態のままでしたが、機首のカウリングや操縦席の周辺にはアルミ板が貼られ、最終的な完成形をイメージさせるには充分なものでした。
筆者(吉川和篤:軍事ライター/イラストレーター)はこれまで、同社において製造された三式戦闘機「飛燕」の実物大模型を何度か見学してきましたが、今回の「零観」はそれよりずっと大きく建物内部を圧迫して見えました。
これはフロート付き複葉機という高さのある形状によるものですが、これまでは戦艦「大和」の後部に載った状態をはじめとして、写真や模型でしか見た記憶がなかったことから小型機というイメージが強く、これは意外な印象でした。
14時から始まった式典では、関係者が見守るなか地元の神職によって作業の安全祈願として祝詞(のりと)が上げられ、玉ぐしの奉納に続いて施工主である(株)日本立体の齊藤社長と依頼主である大和ミュージアム(広島県呉市)の戸高一成館長が機首の鋲打ち式を行いました。
今後は、引き続いてアルミ製外板を貼る作業が続けられ、操縦席内部の再現や各動翼への羽布張り、そして外部塗装を経て、来年(2025年)2月頃の完成を予定しているそうです。
戦艦「大和」に搭載されたことで呉へ
「零観」の略称で知られる零式観測機は、短距離の偵察や艦砲射撃の着弾観測に使用する目的で生まれた旧海軍機で、海面での発着が可能なようフロートを備えているのが特徴です。
開発は1935(昭和10)年に三菱重工で始まり、運用は1940(昭和15)年に開始されています。2人乗りで、機体形状はこの当時すでに旧式な複葉構造であったものの、羽布張りの補助翼を除くと近代的な全金属製でした。
エンジンは三菱製の「瑞星一三型」を搭載。機体が小型・軽量なことにより上昇力に優れ、最高速度も複葉機としては速く370km/h出ます。また自衛用として機首に7.7mm機銃を2丁装備(ほか機体後部に旋回機銃を1丁)するなどして、一定の空戦性能も備えていたことから、太平洋戦争の中頃までは水上戦闘機代わりに使われることもあり、P-38やP-39、F4Fといったアメリカ軍戦闘機の撃墜記録も残しています。
さらに翼下に爆弾2発を搭載可能であったことから、船団護衛や対潜水艦哨戒にも就くなどマルチに使われ、各型合わせて700機以上(一説には1000機以上)生産された傑作水上機でした。
旧日本海軍を代表する戦艦「大和」にも搭載され、各海域で多用されたようですが、同艦最後の出撃となった1945(昭和20)年4月の沖縄への海上特攻では作戦前に全機が降ろされています。
やはり貴重な機体と搭乗員を無駄にする事は避けたかったからでしょうか。「零観」と搭乗員たちは広島県の呉軍港を出撃する「大和」の上空で旋回しながら、船影を見送ったというエピソードも伝えられます。そうした「大和」との深い関係があった機体であることから、このたび大和ミュージアムが発注したとのことでした。
実は、大和ミュージアムは2026年4月のリニューアルオープンに向けて、来年の2025年2月中旬から改装工事のために一時休館することが発表されています。
その間は、近くにある「ビューポートくれ」内に仮展示室として「大和ミュージアム サテライト」が開設される予定です。このたび鋲打ち式を行った「零観」の実物大模型は、この仮展示室の目玉として海上に浮いたイメージで展示される予定なので、それはそれで「サテライト」の目玉展示になることは間違いないでしょう。
来年のお披露目には、筆者も呉に足を運んでその姿を見学したいと思いました。
10/17 18:12
乗りものニュース