「我ニ追イツク敵機無シ!」旧海軍の高速機「彩雲」レストア中の激レア姿 今しか見られないかも

今年も8月1日より1か月限定の公開が始まった河口湖飛行館。ここでは零戦や隼などの実物戦闘機と共に、レストア途中の旧日本海軍の艦上偵察機であった「彩雲」の実機も展示され、今回も話題となりました。

今年はエンジンが付いた「彩雲」

 2024年8月1日、富士五湖のひとつである河口湖の近く、山梨県南都留郡鳴沢村にある河口湖飛行館が、恒例のオープンを迎えました。

 ここは、太平洋戦争中の旧日本軍機を展示することで知られ、一式戦闘機「隼」(旧陸軍)や「零戦」の通称で知られる零式艦上戦闘機(旧海軍)などといった、貴重な国産機の実物を間近で見られる貴重な博物館です。

 ただし、隣接する河口湖自動車館と共に開館時期は毎年8月の1か月間だけ。残る11か月のあいだは閉館され、主に大戦機のレストア(修復)作業などが行われます。そのため、貴重な収蔵品を見学するためには、その限られた開館期間中に足を運ぶしかありません。

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今年(2024年)の艦上偵察機「彩雲」の公開では、レストア中の機体に誉エンジンを搭載していた(吉川和篤撮影)。

 そのようななか、2020年からは旧海軍の艦上偵察機「彩雲」のレストアが新たに始まっています。同機は、旧トラック諸島(現チューク諸島)ウェノ島で回収された胴体と主翼の一部などの残骸を回収し作業しているもので、昨年(2023年)まで行われていた胴体の修復に加えて、今年の展示では空冷星型の「誉」(ほまれ)二一型エンジン(1990馬力)を新たに用意し、スマートで銀色の胴体の先に搭載していました。

 これにより、グッと航空機らしい印象となり、来年以降のエンジンカウリングやプロペラの付加も期待できる展示内容となっていました。

 ちなみに「彩雲」のカウリングは、2012(平成24)年に長野県飯田市の民家で発見されており、その後は戦時中に同機を製造した愛知県半田市の輸送機工業が引き取って、2024 年現在は半田市立博物館で保存・展示しています。この会社は、太平洋戦争中は中島飛行機の半田製作所として飛行機の製造を行っていた場所であり、1944(昭和19)年には艦上攻撃機「天山」と共に艦上偵察機「彩雲」も手がけていました。

旧海軍で最高速を出した偵察機

 そもそも「彩雲」は、太平洋戦争中頃に広大な洋上で長距離偵察を行える空母搭載用の艦上偵察機として、中島飛行機で開発が始まった機体です。当初は「十七試艦上偵察機」と呼ばれ1943(昭和18)年に完成、誉二一型エンジンを搭載した改良型は最高速度639km/hを記録しました。ちなみに、これは旧海軍の航空機では最も速いものになります。

 このように優れた機体であったことから、戦後、アメリカで実施された飛行試験では、高オクタン価のガソリン燃料と高品質のエンジンオイルを用いたことで、なんと最高速度694.5km/hを記録しています。

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太平洋戦争末期、神奈川県の厚木基地に所在していた第三〇二海軍航空隊、通称「厚木航空隊」所属で、風防の中央に五式30mm機銃(斜銃)を搭載した「彩雲」(吉川和篤所蔵)。

 1944(昭和19)年半ばに、十七試艦上偵察機改め「彩雲」として制式化されますが、この頃になると、もはや搭載できる空母もない状態でした。しかし、その高速性能を活かして陸上偵察機として運用されます。

 そして、サイパン島やウルシー環礁などへの偵察飛行を行い、その際に米海軍のF6F戦闘機の追撃を振り切って「我ニ追イツク敵機無シ」(または「我ニ追イツクグラマン無シ」)の電文を発したとも言われます。

 なお、高高度での飛行性能に優れていた点が買われて、対B-29爆撃機用に30mm機銃(斜銃)を搭載した機体、いわゆる防空戦闘機仕様も製作されましたが、こちらは戦果を挙げる前に終戦となりました。

 まだレストア途中ですが、河口湖飛行館での展示は、この高性能機を間近で見学できる良い機会と言えるでしょう。先述したように見られるのは8月の1か月間という短い期間なので、その間に富士五湖周辺へ足を運ぶ予定があるなら、河口湖飛行館に立ち寄ってみてください。

 銀色の機体を見ながら、高速機の爆音を想像して、戦争をいま一度振り返るとともに、当時の日本の航空技術に思いを馳せるのも、よいのではないでしょうか。

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