「鉄道の街」もはや鉄道が脇役に!? どんどん埋められる高輪&品川 激変中の“今だけの光景”

品川駅と高輪地区の再開発は日々変化しています。2022年、鉄道の海上築堤「高輪築堤」の発掘調査が終了すると、堰を切ったかのように翌年は、一帯の様子が劇的に変化していきました。

プロジェクト「TAKANAWA GATEWAY CITY」始動

 日本初の鉄道が通った品川駅は、田町車両センターの跡地を活用して、大規模開発「品川開発プロジェクト」が進行しています。JR山手線と京浜東北線が東側へ移動したのち、2020年3月には高輪ゲートウェイ駅が開業。いよいよ山手線の跡地を更地にして、再開発事業が本格的に始動すると、地中から日本初の鉄道の痕跡「高輪築堤」が出土し、鉄道史に残る大きな出来事となりました。

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八ツ山橋から見たJR線(画像:写真AC)。

 高輪築堤の出土によって、開発地域のビルは設計変更され、一部の築堤は現地保存となりました。2022年夏に高輪築堤の記録保存が終了すると、1~4街区まで分割されたエリアで建設が開始され、プロジェクトは「TAKANAWA GATEWAY CITY」と命名。今回は2022年後半から23年にかけて記録した写真を振り返ります。

 高輪ゲートウェイ駅には、TAKANAWA GATEWAY CITY4街区の複合棟I「North」と「South」が直結します。現地保存される高輪築堤は、North棟隣の3街区、複合棟IIの広場に整備され、まだ検討段階ですが、バラストやレール、橋梁の再現も計画されており、公開は2027年度を予定しています。

品川駅も激変 “京急の顔”は消滅

 品川~田町間の再開発は高輪地区だけではありません。品川駅も大規模に生まれ変わります。2022年の段階では、北コンコースよりさらに北側へ人工基盤を延長し、駅ビルと新しい改札口、北口広場を設けました。駅ナカ施設の拡充も図られています。

 さらに品川駅西口も激変します。西口(高輪口)にあったホテルパシフィック東京は、京急が1971(昭和46)年にオープンさせ、2021年の閉館まで品川西口の顔でした。ホテルは解体作業に入り、西口開発地区に複合施設を建設予定です。京急品川駅は高架構造を地平ホーム化し、2階部分はJR品川駅から人工基盤を延長させ、第一京浜(国道15号)を跨ぎ、複合施設に直結させます。

 また地平ホーム化する京急は、品川駅南側に架かる八ツ山橋と踏切を廃止して、北品川駅を含む新馬場駅の手前までを高架化します。品川駅の地平ホームから一気に高架へと駆け上がる構造となるのです。2022年の段階では新たな線路スペースの敷地を整備していました。

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解体されたホテルパシフィック東京の敷地を手前にして品川駅を見る。京急とトヨタ自動車が共同事業主となって、高層ビルやホテルがつくられる(2023年7月、吉永陽一撮影)。

 品川~田町間は、広大な都心の鉄道敷地を整理することで大きな街が誕生します。いわば、鉄道があったからこそ、ここまでの大規模開発が行われることになりました。

 工事が進行すると、だんだんと鉄道が地上から見えなくなり、脇役になってきているように感じてちょっと寂しさもあります。きっと、それがこれからの都市の鉄道と街の姿なのでしょう。

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