海ないのになぜ戦艦!? かつて日本とも戦ったヨーロッパの内陸国とは「潜水艦長」には有名人も

かつてヨーロッパ屈指の海軍力を誇ったオーストリア。「なぜ内陸国に海軍が?」と思うかもしれませんが、実は100年ほど前は欧州列強のひとつに数えられた国で、戦艦や潜水艦を多数保有していました。

100年前のオーストリアは海に面していたって?

 現在は中欧の内陸国であるオーストリア。実はこの国、かつてヨーロッパ屈指の大きな海軍を保有していたことがあります。「なぜ内陸国に海軍が?」と思うかもしれませんが、この国はつい100年ほど前は隣国のハンガリーと2重帝国を形成し、現在とは全く違う国土でした。

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オーストリア・ハンガリー帝国海軍の防護巡洋艦、「カイゼリン・エリザベート」は、中国、青島で日本海軍とも戦った。(画像:パブリックドメイン)。

 オーストリアとハンガリーは、1914年7月28日に勃発した第一次世界大戦では、ハプスブルク家を君主とする連邦国家の一員であり、オーストリア・ハンガリー帝国と呼ばれていました。

 その領土は、現在のオーストリア、ハンガリーに加えて現在のチェコ、スロバキア、クロアチア、ルーマニアの北部にまで及ぶ広大なものでした。領土にはイタリア半島とバルカン半島の間に位置するアドリア海の沿岸も含まれており、海運・交易で発展した都市も多くありました。そこで、海洋権益を保護するために18世紀の末ごろからオーストリアでは海軍を保有しており、1867年にハンガリーとの同君連合になった後、オーストリア・ハンガリー帝国海軍へと発展しています。

 日本ではあまりなじみのないオーストリア・ハンガリー帝国海軍ですが、日本でも映画などで知られるミュージカル作品『サウンド・オブ・ミュージック』に登場するゲオルク・フォン・トラップ少佐(映画の日本語版では大佐と異訳)は同国海軍の軍人だったりします。第一次大戦時にトラップ少佐は潜水艦の艦長としてUボートに乗り、複数の艦船を沈める戦果をあげています。

 オーストリア・ハンガリー帝国海軍は、当初、沿岸防衛のために生まれましたが、19世紀の終わりごろは、イギリスやフランスなどの国々が、海外へと積極的に進出し始めたことで、それに触発されて海外利権を求めて外洋へと繰り出す必要に迫られた結果、大海軍へと姿を変えていきました。

日本海軍と戦った軍艦も

 第一次世界大戦時にはドイツ帝国と共に、フランス・イギリス・イタリアなどの連合国と戦いました。一方、日本は連合国側についたので、オーストリア・ハンガリー帝国海軍の艦艇は、日本海軍と戦いました。場所は中国の青島です。

 1914年、ドイツに宣戦布告した日本は、ドイツが拠点としていた青島の攻略に向かいます。しかし、同地の主力であるドイツ海軍はすでに本国へ向けて出発しており、残されていたのは小型艦ばかりでした。ただ、その中にオーストリア・ハンガリー帝国海軍所属の防護巡洋艦「カイゼリン・エリザベート」が含まれていたのです。

 攻め込んできた日本海軍は旧式艦艇を中心とした第2艦隊でしたが、青島に残されていた小型艦艇だけでは到底かないません。彼らは、日本海軍からの攻撃が始まる前に艦艇の武装を陸上要塞に転用するため、それらを陸揚げしました。

 そして、実際に戦いが始まると、日本海軍の防護巡洋艦「高千穂」を撃沈する戦果を挙げるなど奮戦。一方で、「カイゼリン・エリザベート」をはじめとする中央同盟国側の艦艇は、日本軍に鹵獲されることを恐れて、すべて自沈しています。

 ちなみに欧州戦線へと目を転じると、戦艦「セント・イシュトヴァーン」が現在では貴重な歴史的資料となっています。同艦は1918年6月10日にイタリア魚雷艇が放った魚雷の直撃を受け戦没していますが、公海上で沈没したからか、一連の様子を動画で記録された史上初の戦艦となりました。

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世界で初めて沈没までの様子を動画で捉えられた戦艦となった「セント・イシュトヴァーン」(画像:パブリックドメイン)。

 大きな海軍力を持っていたオーストラリア・ハンガリー帝国ですが、第一次世界大戦では、連合国軍に敗北。また、領内の諸民族が相次いで独立したことで帝国は消滅します。こうしてオーストリアとハンガリーは現在とほぼ同じ領土となり、内陸の国家へと姿を変えました。

 また、アドリア海の覇権を争った大海軍は、軍人・艦艇ともに分裂した諸国や戦勝国へと移譲されたことで、オーストラリア・ハンガリー帝国海軍は消滅することになったのです。

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