性能はF-15並み!? 幻の「スーパーミラージュ」なぜ失敗に終わったのか フランスが生んだ最強戦闘機

フランスのダッソー社が作った戦闘機「ミラージュ4000」は、性能的にはアメリカ製のF-14やF-15にも引けを取らない優秀機でした。しかし、量産されずに試作のみで終わっています。敗因は何だったのでしょうか。

実用化されなかった「ミラージュ2000」の姉妹機

 戦闘機の性能を向上させる方法のひとつに、機体を大型化させるというのがあります。機体サイズを大きくすれば、エンジンを高出力な大きなものに換装したり、もしくは搭載数を増やしたりして推力と機動力を高めることができるほか、搭載できる兵器や燃料を増やして戦闘能力を向上させることが可能です。

 フランスの大手航空機メーカーであるダッソー社も、こんな掛け算的なルールに則って大型戦闘機を開発したことがありました。

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パリ郊外のル・ブルジェ航空宇宙博物館に2024年現在も展示されている「ミラージュ4000」唯一の試作機(布留川 司撮影)。

 1970年代、ダッソーは当時開発中だった単発戦闘機「ミラージュ2000」をベースに、機体を大型化し、さらにエンジンをもう1基追加した双発戦闘機を開発します。その戦闘機の名前は「ミラージュ4000」。ナンバーが2000から4000になった正確な理由は不明ですが、大型&エンジン双発化というこの機体のコンセプトを見事に言い表しているといえます。

 ミラージュ4000は推力10tクラスのスネクマ M53ターボファン・エンジンを2基搭載しており、これにより戦闘機としての運動性能は同時期の双発戦闘機F-15「イーグル」やF-14「トムキャット」に負けないレベルを実現していました。なお、現代戦闘機の最高速度の目安ともいえるマッハ2での飛行も、初飛行からわずか6回目で達成しています。

 武装面でも、ミサイルなどの兵器を搭載するハードポイントは11か所と、「ミラージュ2000」の9か所から2か所増えており、燃料も機体サイズが大きくなったことで「ミラージュ2000」の約3倍の量を搭載可能としたため、戦闘機としてより多くの武器を積んで、より長く遠くまで飛ぶことができました。

自国軍は興味なし それなら石油王を頼っちゃえ

 スペック上は「ミラージュ2000」よりも優秀だった「ミラージュ4000」。しかし、ダッソー社の一番のお得意さまであったフランス空軍は、意外にもこの機体に興味を示すことはありませんでした。

 最大の理由はコストで、双発機は単発機と比べて導入・整備・運用のすべての費用が高くなることから、当時のフランス空軍は高額な双発戦闘機を必要としていませんでした。

 また、「ミラージュ4000」は「ミラージュ2000」と並行して開発されていたため、フランス空軍としては、導入するつもりのない「ミラージュ4000」開発よりも、本命の単発機「ミラージュ2000」の開発を優先してもらいたいという腹積もりもあったようです。実際、フランス軍事省は「ミラージュ4000」の試作機について正式発注していなかったため、開発はダッソー社の自己資金のみで進められていました。

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正面から見たミラージュ4000。バブルキャノピーやカナード翼といったミラージュ2000に特徴がある(布留川 司撮影)。

 ただ、国内では顧客が見つけられなかった「ミラージュ4000」ですが、海外にはこのプロジェクトに初飛行前から興味を持つ国がありました。それが中東のサウジアラビアとイランです。

 両国は産油国であるため、そこから得たオイルマネーをバックボーンにして、当時は高額な欧米兵器の導入を進めていました。

 特にイランは映画『トップガン』で有名になった可変翼戦闘機F-14「トムキャット」をアメリカ以外で唯一導入した国でした。文字どおり「金に糸目を付けぬ」スタイルでイランは世界各国の最新兵器を片っ端から調達していたことから、「ミラージュ4000」のような母国空軍ですら導入を躊躇した高額な戦闘機であっても、それを導入できそうな数少ない潜在的顧客だったといえます。

 こうした経緯から、ダッソー社も「ミラージュ4000」の海外輸出には積極的で、試作機の塗装を砂漠迷彩に塗り替えたこともありました。

培った技術は「ラファール」へ

 産油国のオイルマネーに活路を見出そうとした「ミラージュ4000」でしたが、最終的には顧客を見つけることができずに、1980年代に開発計画は終了します。

 なぜなら、まず最大の潜在顧客と目されていたイランが、1978年の革命によって親米政権が崩壊したことで、すべての兵器導入計画が白紙状態になったから。そして、もう一方のサウジアラビアも、開発中の新型戦闘機より、すでに運用実績のあるF-15「イーグル」や「トーネード」といった戦闘機の導入になびき、最終的にそちらに決めてしまったからでした。

 こうして、実用化の目途が消えてしまった「ミラージュ4000」でしたが、製造された試作機はその後もテスト機として運用され、現在のフランス空軍と海軍の主力戦闘機である「ラファール」の開発に貢献。また各種先進的な技術も同機にフィードバックされ、無駄にならずに済んだ模様です。

 最終的に「ミラージュ4000」は1988年まで飛行を続け、現在はパリ郊外にあるル・ブルジェ航空宇宙博物館にて保存・展示されています。たとえるなら、「肉体は滅んでも血は残った」と言えるのかもしれません。

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