戦闘機として「普通に飛べる、けど使えない」衝撃の理由って!? 旧ソ連 “最初のジェットMiG” がある意味伝説だった
旧ソ連・ロシア初のジェット戦闘機となったMiG-9は、初飛行後に空の上で致命的な欠陥が露呈したのだとか。飛行機としては問題なかったけど戦闘機としては使いものにならなかった理由がありました。
飛ぶだけならね、戦うとなると全然ダメ
ソビエト連邦(現ロシア)の名門航空機メーカーとして知られる「ミグ(MiG)」、正式名ミコヤン・グレヴィッチ設計局(OKB-155)は、歴史に名を刻む傑作機を数多く設計・製造し、冷戦時代にはソ連製戦闘機の代名詞的存在にもなっていました。
しかし、その栄光の裏には数々の挑戦と失敗が隠されています。その一例といえるのが、彼らが最初に開発したジェット戦闘機MiG-9「ファーゴ」でしょう。この機体は一見すると無難な形状に思えます。しかし、実は致命的な欠陥を抱えており、「機銃発砲禁止」という戦闘機としては異常ともいえる制約を受けることになったのです。
MiG-9が誕生したのは、第二次世界大戦の終結直後です。当時、世界は米ソ対立に端を発する東西冷戦が始まったばかりの時代で、各国とも新たな軍事技術の開発競争に突入していました。
そのようななか、航空機の世界ではジェットエンジンの登場によって性能が飛躍的に向上していっている状況で、その影響は戦闘機の設計においても顕著でした。ソ連はとくに大戦中はジェットエンジンの開発に遅れをとっていたことから、ジェット戦闘機の開発が急務でした。そういった時代に、ソ連初のジェット戦闘機となったのがMiG-9であり、1946年4月24日に初飛行を果たしています。
この機体は、大戦後にドイツから戦利品として獲得したエンジンであるBMW003ターボジェットを自国でコピー生産したRD-20を2基搭載しており、いうなれば当時のソ連が獲得していた最高の技術を詰め込んだものでした。
レシプロ戦闘機とジェット戦闘機の時代の中間に誕生したため、節々に両者の特徴が混在している様子を垣間見ることができます。ただ、MiG-9が抱えていた最も深刻な問題は 機銃の搭載位置にありました。
まさしく「失敗は成功の母」だった?
MiG-9は、機体の前部に23mm機関砲2門、37mm機関砲1門を搭載する重武装でしたが、その配置が悪かったため、発砲すると生まれる火薬の燃焼ガスがエアインテークに吸い込まれてしまうという欠点が露呈したのです。このガスはエンジンに重大な影響を与えるのもので、特に高高度においては最悪の場合エンジンが停止してしまう危険をはらんでいました。このため、機銃の使用が事実上、禁止されることになったのです。
この戦闘機としては致命的な欠陥を改めるため、ミグ設計局はMiG-9の機銃配置を見直そうと改修に取り組みますが、失敗に終わります。また時間的な制約を考えると、新型機の開発に注力する方がよいと判断され、そちらに方針転換が図られました。こうして生まれたのが、次世代モデルのMiG-15「ファゴット」でした。
MiG-15は、武装こそMiG-9と同じ23mm機関砲2門と37mm機関砲1門という構成でしたが、前出の教訓を活かし、エアインテーク形状や機銃配置を根本から見直していました。こういた改善によって、MiG-15ではMiG-9の時に起きたようなトラブルはほとんどなく、むしろ優れた性能と信頼性の高さから、朝鮮戦争においてもその実力を遺憾なく発揮し、西側諸国に大きな衝撃を与えています。
なお、MiG-9は前述したような欠陥を持っていたにもかかわらず600機あまりが量産され、配備された実戦部隊でも根本的な欠陥に苦しまされた模様ですが、ソ連の航空技術の進化に貢献したところは大でした。
ひょっとしたら、MiG-9で失敗していなければ、MiG-15がエンジン停止の欠陥に悩まされたかもしれません。技術の進歩は、常に成功の連続ではなく、数々の試行錯誤と失敗を経て達成されるもの。その代表的な失敗がMiG-9であり、同機が存在したからこそ傑作機MiG-15が誕生したと言えるのではないでしょうか。
07/04 06:12
乗りものニュース