嘉手納基地トップ「戦いが起こらないようにここにいる」かつての激戦地・沖縄と基地のあり方とは

第2次世界対戦で激戦地となった沖縄に設置されている米空軍嘉手納基地。同基地のトップが、基地周辺の地域・住民と関係の築き方や、基地のあり方を説明します。

「大戦の傷跡」は今も

 沖縄県では第2次世界大戦中、激しい地上戦により、日本側は9万4000人の沖縄県民を含む18万8136人が亡くなり、米軍も1万2520人が戦死しました(戦没者数は総務省ホームページより)。そのような場所に米空軍が設置しているのが、嘉手納基地です。同基地のトップであるニコラス・B・エバンス司令官は、この歴史を踏まえて、基地周辺の地域・住民と関係を築いていかなければならないと言います。

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嘉手納基地(画像:アメリカ空軍)。

――エバンス司令官は日本では東京都と青森県の三沢市に勤務で訪れたことがあり、初めて沖縄県での任にあたられているとのことですが、この地域の印象はいかがですか。

 沖縄の気候と風土については、私も妻も子供たちも大好きになりました。人や食事、ビーチ、天気は素晴らしく、沖縄の生活を楽しんでいます。

 ただ、第2次世界大戦の時期は沖縄にとっていかに大変だったか、それを思い起こさせるものが、日常生活の中でも目に入ったり聞こえてきたりします。

 一例を挙げると、4月23日に基地内の工事現場で500ポンド(約250kg)砲弾の不発弾が見つかり、25日に爆破処理しました。不発弾もそうですが、日々で目に入る「過去」への認識を持ち続けるのが大切と考えています。私がこれまでに勤務した基地の中では沖縄は最も複雑な背景を持つ場所の一つだと思います。

 これらから考えるのは、我々がここにいるのは戦いを引き起こすためではない。むしろ、戦いが起こらないようにするためここにいる、ということです。

嘉手納基地で働く人は住民に対しどう接している?

――基地周辺地域、住民にはどのように接していきたいと考えていますか。

 戦いが起こらないようにするためにここにいる、ということに加えて、もう一つ大事なのは、基地周辺の地元の方々が、軍隊に対して敏感な感情を持っていることへの理解です。このため、特に力を注いでいるのが、基地と地元の結びつきを強める取り組みです。地元住民の方々が、我々を「良き友人」として見ていただけけるように、努力をおこたらないようにしています。

 私の希望は地元住民の方々が嘉手納基地を良き相手として見てくれ、基地の価値を知ってもらうことです。このために、嘉手納基地にいるすべての兵士が「大使」であるといってもよいです。

 また、基地には4000人を超す日本人従業員がいます。先日、この中の1人で43年間、基地での勤続経験を持つ方に会いました。この方が勤務部署の中核として、若い米国人兵士へ手ほどきをしている姿を見ると、我々は日本人従業員という「ベスト・オブ・エアメン(Best of Airmen)」に支えられていると感じています。私自身のこうした思いが、日本人に届いてほしいと願っています。

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インタビューに答えるエバンス第18航空団司令官(相良静造撮影)。

――嘉手納基地周辺地域の住民と接するため、どのような具体的な行動を取っていますか。

 また、嘉手納基地は基地周辺地域の安全と安心の確保にも努めています。4月4日、沖縄県に津波警報が出た際は、あらかじめ申し合わせた避難計画に従い、速やかに基地の入り口を開放しました。これにより、北谷町と嘉手納町から何百人もの町民が嘉手納基地内を通り高台へと避難しました。

 このほか地域とのコミュニケーションを図るため、2023年秋には「嘉手納スペシャルオリンピックス」と銘打ったスポーツ大会を行い、60人以上のアスリートと家族が基地に来て参加しました。

 そのほかにも北谷町と日米バスケキャンプや、4月27日には基地を開放する「アメリカフェスト」も行い約3万人が訪れました。こうした取り組みは、新型コロナ(COVID-19)の感染拡大により中断を余儀なくされましたが、コロナ禍が過ぎたこれからは、基地と周辺地域の関係の再構築へ多くの取り組みをしていきたいと思います。

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