「世界で最も危険な旅客機」とは? 大国の威信を賭け急いで開発→事故多発 「パイロットがヘタクソ」と一蹴!?

東西冷戦が深刻化していた1955年6月17日、ソビエト連邦で史上2番目となるジェット旅客機の「Tu-104」が初飛行を迎えました。実は同機は色々と問題のある機体でした。

西側諸国に旅客機開発で負けるのは許されない!

 東西冷戦が深刻化していた1955年6月17日、ソビエト連邦で史上2番目となるジェット旅客機の「Tu-104」が初飛行を迎えました。

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旧ソ連初のジェット旅客機「Tu-104」(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

 既に大戦後期から運用された始めたジェット機は、空の旅にも革命をもたらし、1952年にイギリスのデ・ハビランドが史上初めてのジェット旅客機DH.106、通称「コメット」を初飛行させると、これに続けとボーイングやダグラスなど各航空機メーカーが開発競争を進めます。

 ジェット旅客機の開発は、アメリカ、イギリスなどの西側諸国と対立していたソ連も強く意識しており、国の威信をかけて、大急ぎで開発されたのがTu-104でした。

 設計を担当したのは、ソ連国内で大型機開発に実績のあったツポレフ設計局ですが、当時のソ連共産党の意向が強く反映されました。「ソビエトはジェット旅客機を運用し、西側諸国が遠く及ばないほど優れた技術を持っている」ということを、いち早くアピールすべく開発が急かされることになります。

 ツポレフが国営航空会社であるアエロフロート(現:アエロフロート・ロシア航空)からの設計依頼を受注したのは1953年でしたが、一から機体を設計していては時間がかかるため、ツポレフは当時就役間近だったジェット戦略爆撃機「Tu-16」をベースにしようと考えます。ただ、爆撃機の胴体は人にとっては狭すぎ、当然与圧などもされていません。この問題に関してはTu-16より胴体を長く、さらに胴体の幅も広く、大きくなったスペースに気圧調整機能を搭載、乗員のほかに50人を運べるように仕上げました。

 機首などは軍用機であるTu-16ほぼそのままで、コックピットは爆撃機などで当時よく見られたガラス張りで視界の良い、グラスノーズとなっていました。

 既存機体を流用することで、数年のうちに初飛行までこぎ着けたツポレフですが、その開発中、さらに急かしてくる人物が登場します。当時ソ連共産党の書記長だったニキータ・フルシチョフです。

 彼はソ連のメンツのため、1956年3月にロンドンを訪問する際に「Tu-104を3機飛ばせ」と命令したのです。

あまりに開発を急ぎすぎたせいで問題が頻発

 初飛行から1年もしない機体を就役させるのは、第二次大戦時の軍用機でも希なことですが、Tu-104はフルシチョフの命令を実行すべく1955年11月6日から量産を開始しました。試験がまだ不十分ということでフルシチョフ自身は搭乗しませんでしたが、1956年3月には予定通りロンドンでの披露も行います。

 そしてその年の9月には早くも国内線で就航することになりました。当時イギリスの「コメット」は事故を起こし運行を停止していたため、このときは、世界で唯一飛行しているジェット旅客機となっていました。

 ただ、Tu-104は急いで作ったため様々な面で不完全となっており、飛行中は安定性を欠き、制御が難しい機体でした。油断すると、同機はローリングとヨーイングを繰り返すいわゆるダッチロール状態に陥りました。また低速時の安定性も最悪で、失速しやすかったため推奨速度以上のスピードを出して着陸を行っていました。

 そのため、同機は軍用機のように着陸時に「ドラッグシュート(減速用のパラシュート)」まで展開していました。当然、現場のパイロットから苦情が噴出しましたが、なんとツポレフ側は「パイロットの腕が悪いせい」と一蹴してしまいます。

 そして、問題はすぐに深刻な結果として現れます。Tu-104は早くも1958年に北京―モスクワ便で墜落事故を起こします。事故原因は、上昇気流に捕まり、制御不能な回転状態に陥ったためとされており、指摘されていた機体制御の問題が世界的にも周知されることになってしまいます。

 同事故後に、様々な機体の欠点が修正されることになりますが、開発当時の設計の甘さは完全に修正することはできず、1986年に最後の1機が退役するまでの間、軍用機タイプも含め製造された201機のうち約5分の1に相当する37機がなんらかの事故で失われ、1137人が犠牲となっています。

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飛行する「Tu-104」(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

そのため同機は「ソ連で最も危険な旅客機」と呼ばれているほか、同じく初期に問題が頻発したダグラスのワイドボディ機であるDC-10よりも事故率が深刻なことから「史上最も危険な旅客機」と呼ばれることもあります。

※一部修正しました(6月17日15時50分)。

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