異例「旅客機の米軍基地への代替着陸」その裏側 かつて体験した機長に聞く「自動小銃を持った兵士が…」
旅客機がやむを得ない事情で行う「目的空港以外への代替着陸」。この代替先に米軍基地が選ばれることがあります。その裏側はどのようなものなのか、実際にそれを体験した機長に聞きました。
自動小銃を持った米兵が…
エアラインの機長は、安全で快適な運航へ様々な決断を下さなければなりません。目的空港以外への代替着陸(ダイバート)もその1つといえます。この代替着陸先として民間空港ではなく、アメリカ軍の基地が選ばれるケースも稀に発生します。その裏側はどのようなものなのでしょうか。「米軍基地への代替着陸」を体験したとある元パイロットに話を聞きました。
同氏によると、当然ながら、まず思うのは「乗客に申し訳ない」ということ。「乗客が目的地で観光や出張などの計画を立てていることを考えると、定刻で目的の空港に到着できないことへ、もやもやした気持ちになる」とのことです。
ただし、「飛行計画を立てる際に、予め代替着陸の許可を受けている米軍基地を代替空港に選ぶこと自体は問題なく、日常的にある」とも話します。
元機長が日本国内の米軍基地に代替着陸をしたのは1980年頃。目的地の空港の滑走路が閉鎖され、上空待機の末に燃料切れの恐れが出て、予め許可を得ている米軍基地に着陸しました。
当時は1975年にベトナム戦争は終わったものの、1979年に旧ソ連の出兵によりアフガニスタン侵攻が世界中を騒がせ、東西陣営の冷戦はホットな時代でした。当然、基地の警備は厳重を極め、日除け(シェード)を下ろして基地の中を見渡せないようにされたほか、自動小銃を持った米兵が機内に乗り込んできて爆発物などがないか点検までしたということです。
この時は2時間ほどで再離陸ができたそうですが、そうはいかないケースも。それが2024年5月31日に、那覇行きのJAL(日本航空)機、ANA(全日空)機など3便が、嘉手納基地に代替着陸した件です。このとき、嘉手納から那覇までの再離陸は8時間ほどを要したと報じられています。
民間空港への代替着陸とどこが違うのか
この機長に嘉手納基地への代替着陸の件を聞いたところ、「仮に機外に出ることができても、写真撮影は当然禁止。スマートフォンを持っていくこと自体はできたとしても、カメラは機内に残して出るように要請されたでしょう」と話しています。
一方、同氏によると、米軍基地でなく日本各地の代替空港へ降りた後は、操縦技術とは別の力が求められるということです。
代替着陸した後はいつ再出発できるのか、それとも運航自体を断念するか――気象図を運航管理者と一緒ににらみ、判断しなければなりません。
代替着陸した空港と目的地となる空港がさほど離れていなければ、バスやタクシーで乗客を送り届けることができます。しかし、空港間が離れていたり、着陸時間帯が深夜になったりした場合は、地上の交通機関の確保も容易ではなく、今度はホテルや旅館の確保に奔走することになります。
これらの手配は現地の支店や空港支店の地上社員の仕事になりますが、その作業の発端を決めるだけに、機長も代替着陸した空港で、地上に降りて、予測される気象の変化と飛行への影響を社員や、全体のフライトを管理している運航管理センターと調整しなければなりません。地上社員への説明は、そのまま乗客への説明のもとになるわけですから、丁寧でわかりやすさが必要とされ、これには操縦技術以外の高いコミュニケーション能力が求められるということです。
06/12 16:12
乗りものニュース