孤高の画家オディロン・ルドン代表作8選をご紹介:黒と色彩の世界
フランスの画家オディロン・ルドン。彼は鮮やかな色彩と象徴的なイメージを用いた独特な画風で知られています。初期の作品は暗く不気味なものばかりでした。 結婚を機に画風が大きく変わり、明るい色彩と美しい花をモチーフとした作品を描くようになりました。40代半ばまで無名な地方の画家でした。 同世代のモネやルノワールが名声を得るのとは対照的に、ルドンは孤独の中で独自の作品を描く「孤高の画家」として知られるようになります。 この記事では ・ルドンはどんな人物だったのか ・何を思い何を描いたのか ・「黒の時代」が長かった理由 ・彼は本当に「孤高の画家」だったのか ・日本でルドンの作品を楽しめる美術館 ・ルドンをより深く知ることのできる書籍 についてお伝えいたします。 彼の人生を知ることで、よりルドンの独創的な世界観を楽しめるようになります。ぜひ、最後まで読んでみてください。
【画像をみる】孤高の画家オディロン・ルドン代表作8選をご紹介 黒と色彩の世界オディロン・ルドンの生い立ち:身近な愛の存在が、彼を黒から色のある世界へ連れ出す
Татлин, By Guy et Mockel (Pierre Mockel) - Publié dans Michael Gibson Redon, Taschen, 2011. ISBN 9783836530026, Public domain, via Wikimedia Commons.
オディロン・ルドンの作品には、彼の生い立ちがとても大きく影響しています。ここでは、彼の芸術的感覚がどのようにつくられていったのかを追っていきます。
「親から見放されたという孤独感」を感じた幼少期
ルドンは1840年、4人兄弟の2番目としてボルドーに生まれました。本名はベルトラン=ジャン・ルドンと言います。 母の愛称にちなんでオディロン・ルドンと名乗っていたそうです。
裕福な家に生まれたルドンですが、生後二日後に母方のおじさんの所に里子に出されてしまいます。叔父の住むペイルルバードはボルドーの北西にあり、とても寂しい田舎でした。
当時は里子に出されることは、そう珍しくなかったようですが、なぜルドンが生まれてすぐに親元から離れなければならなかったのかは、はっきりとわかりません。「病弱なルドンに無理させられない」という理由で、同じ世代の子どもと遊ぶことはほとんどありませんでした。
ルドンは原っぱに寝そべり、空を見あげて移りゆく雲を何時間も眺め、その変化に幸福を覚えるような子でした。ひとりで自然や暗い場所で空想の世界を楽しんで過ごしたのです。
叔父の所に預けられた理由がどのようなものだったとしても、人間形成に大切な期間を親と離れて暮らしていたことは、とても寂しいものだったのではないでしょうか。叔父は彼を愛情をもって育てたようですが、ルドンは「自分は捨てられた」と思うこともあったかもしれません。
15歳の時から通いはじめた学校で、興味をもったデッサンで絵の才能を発揮
1851年11歳の時、ルドンはボルドーに戻り寄宿学校へ通います。
・身体が弱いことを理由に、就学が他の子より遅れていたこと
・長いこと友だちと遊ぶことなく、寂しい田舎で過ごしていたこと
など、彼にとって、都会の学校での生活は馴染めないものでした。しかし、この頃からデッサンに興味を持ちはじめます。学校でもその才能を認められ、賞をもらいました。「自分の中にあったものを表現した結果、世間から認められる」この経験は、当時のルドンにとってとても嬉しい出来事だったといえます。
ルドンが13歳の時に、弟が誕生しています。
黒白のモノトーンだけで幻想的な世界を表す
By Odilon Redon, https://clevelandart.org/art/1927.344.4, CC0, via Wikimedia Commons.
1855年、画家のスタニスラス・ゴランから素描(デッサン)を学びはじめてから、50歳すぎる頃まで、ルドンは黒を使って自身の芸術世界を世に解き放ちます。「黒の画家」と別名をつけられるほどでした。
その時々に興味を持った技法を取り入れ、黒い世界に彼の内にある幻想的な風景や生きものを絵にしていきます。多くの絵には人間の暗い部分と、そこからどこか遠い光(希望)をみる「眼」が描かれています。
50代になるまでの彼の歴史をたどると、以下のようなことがありました。
・1857年:学校の教育課程が終わる。父親の勧めで建築を学ぶ。この頃植物微生物学者クラボウと出会い、顕微鏡の中の生命の神秘について知る
・1862年:父親の希望でパリ国立美術学校の建築科を受験するも不合格
・1864年:パリでジャン=レオン・ジェロームからアカデミックな美術教育を受けるが、教えが合わず短期間で退学する。ボルドーに戻って、版画家ロドルフ・ブレスダンから銅版画指導を受ける。彼のアトリエで銅版画をたくさん作成する
・1870年:普仏戦争に出兵するも、翌年病気を理由に戦線離脱
・1872年:パリへ移住し木炭画に専念するが、生活のために職につくことを考える
・1878年頃:アンリ・ファンタン=ラトゥールから石版画(版画)の指導を受ける
・1879年:木炭による素描を広く発表するための方法を模索するなか、リトグラフ技法を教わり、これによって初の石版画集『夢のなかで』を出版。以降、ユイスマンスやマラルメなど象徴主義の文学者と親交を深める。石版画集や単独の絵画作品を数多く制作するようになった
*リトグラフ:版画の一種で、平板石灰岩に油性インキで描き、薬品処理をして固定する技法。木版画よりも精緻で耐久性があり、柔らかなタッチや鮮やかな色彩表現が可能。
ルドンは幼少期で自然とともに過ごしたことや、植物微生物学者クラボウとの出会いで顕微鏡の中の生命の神秘について知ったことで、目に見えない小さな生きものと自身の他人からは見えない感情を、黒を使って表していました。
実際には存在しえないけれど、確かに「生きているもの」なのです。
結婚、誕生などで身近な愛を感じはじめる
恩師や友人などと出会っていても、ルドンは自分の求める「愛」を感じることはなかったようです。家族という身近な存在から「愛」を感じたかった彼は、結婚と子どもの誕生によりその願いが叶いました。
1880年ルドンが40歳の時、カミーユ・ファルトと結婚します。リュ・ド・レンヌに転居して新婚生活を楽しみました。
42歳の時には、 エドガー・アラン・ポーやボードレール、フローベールの文学作品に影響を受けた2番目の石版画集『エドガー・ポーへ』を刊行したり、木炭画・銅版画・石版画からなる個展を開きます。
翌年の1883年には「起源」を刊行。さらに、1884年には、ジョリス=カルル・ユイスマンスの小説「さかしま」でルドンの作品が取り上げられました。この作品で、ルドンは世間から注目されるようになります。
彼が自身を「遅咲き」というのは、40歳を過ぎてから知名度が出てきたことを言っているのかも知れません。
1886年ルドンが46歳の時、結婚して6年が経ち待望の長男が生まれました。しかし、その子は半年後に死亡してしまうのです。とても短命だった息子の死を、どれほど嘆いたことでしょう。
さらに翌年、ルドンの自宅で友人が亡くなる悲劇が起きました。その頃のルドンの画風がより暗いものとなったのは、想像に容易いでしょう。
この年、彼は印象派展に参加したことで、若手画家のドニやボナールとの交流がはじまりました。パステル画も描きはじめています。
短命だった長男の死から3年後に次男誕生。作風が一変する。
By Odilon Redon, Public domain, via Wikimedia Commons.
1886年頃からパステル画を描きはじめてから、パステルや油彩を使った色彩のある作品を模索しはじめたルドン。1889年に次男が誕生したことで、それまで白黒の絵しか描かなかった彼が、色彩豊かな作品を描くようになりました。油絵にも取り組みはじめます。
1890年、50歳のルドンは「悪の華」素描を展覧し、さらにこれを銅版画に転写して発刊しました。同年、初の油彩画《目をとじて》を完成させます。
以降は白黒の作品をほとんど制作せず、神話や花を題材にした油彩やパステルによる色彩豊かな作品へ移行。花や女性を題材にした夢や神秘の世界を、優雅で華麗な色彩と象徴的なイメージで描くようになりました。
1894年にはデュラン・リュエル画廊での個展が成功し、ルドンは画家としての確固たる地位を築きました。
晩年はさらに認知度が上がるルドン。最愛の次男を探しているうちに体調を壊して亡くなる
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1904年、ルドンが64歳の時、油彩「目を閉じて」を国が買い取るという、画家として名誉な出来事がありました。その後、彼はレジオンドヌールの勲章も受賞しています。
1913年、74歳の時にはアメリカのアーモリショーに出展。1部屋を丸ごと与えられ、作品を展示するなど、ルドンの作品は多くの人に求められるものとなりました。
晩年のルドンは芸術家として認められ、順風満帆の人生を歩んでいました。しかし、そんなルドンに悲しい知らせが訪れます。1916年、第一次世界大戦で兵士として戦っていた最愛の次男が消息不明となったのです。ルドンは息子の行方を求めて各地を周りましたが、そうするうちに風邪を拗らせ、亡くなってしまいました。76歳でした。
ルドンが「孤高の画家」と言われる理由とは
By Odilon Redon - eQFfOQLaI98F7g at Google Cultural Institute, zoom level maximum, Public domain, via Wikimedia Commons.
ルドンは、印象派の画家たちと同じ時代に活躍しましたが、彼らが日常風景を描くのに対して、幻想的で夢のような世界を描き続けました。そのため、彼は独自のスタイルを持つ孤高の画家として知られています。
同時期のギュスターヴ・モローと同じく象徴主義の代表的存在であり、シュルレアリスムの先駆者ともされています。
ルドンの代表的な作品8選
By Odilon Redon - Japan Times [1], Public domain, via Wikimedia Commons.
黒の世界と色彩の世界を楽しませてくれるオディロン・ルドン。彼の代表的な作品をご紹介します。
眼=気球(1878)
オディロン・ルドン - User:Cactus.man, Public domain, via Wikimedia Commons.
ゲゲゲの鬼太郎で有名な水木しげるさんが、ルドンの作品を見たことで「目玉のおやじ」を生みました。
自画像(1880)
Odilon Redon, Public domain, via Wikimedia Commons.
蜘蛛(1887)
Spider, Public domain, via Wikimedia Commons.
目を閉じて(1890)
Closed Eyes, Public domain, via Wikimedia Commons.
初めて国によって購入された作品です。
キュクロプス(1899-1900)
Le Cyclope, Public domain, via Wikimedia Commons.
ギリシャ神話に登場する一つ目の巨人ポリュフェモスが、水の精霊の娘ガラテアに不幸にも恋をする物語を題材に描かれています。
悪の華
Couverture - Frontispice, Public domain, via Wikimedia Commons.
『悪の華』は、フランスの有名な詩人ボードレールが書いた、フランスの近代詩の名作です。この詩集では、当時の生活の中で感じる悲しみや絶望、美しいけれどどこか悪いもの、そして反抗する気持ちが表現されています。
オフィーリア(1901)
Ophelia among the Flowers, Public domain, via Wikimedia Commons.
シェイクスピアの「ハムレット」に登場する悲劇の女性を描いたもの。オフィーリアについてはこちらの記事も参考にしてみてください!!
関連記事:オフィーリア・コンプレックスに取り憑かれた画家たち:水と女と死のラルゴ
グラン・ブーケ(1901)
Grand Bouquet, Public domain, via Wikimedia Commons.
フランスのブルゴーニュ地方に住んでいたドムシー男爵の城の食堂に飾られており、約110年間一般に公開されることなく非公開となっていたものです。
ルドン作品をコレクションしている日本の美術館
Odilon Redon - Jeanne d'Arc (vers 1900), Public domain, via Wikimedia Commons.
岐阜県美術館
ルドン作品を約300点もの数を所蔵しています。
2024年9月27日から12月8日まで「清流の国ぎふ」文化祭2024 『PARALLEL MODE:オディロン・ルドン-光の夢、影の輝き-』 が開催されています。所蔵するルドン作品を見ることができる、またとないチャンスです。国内では過去最高の展示会と言えるでしょう。
群馬県立近代美術館
60以上の作品を所蔵しています。
鹿児島市立美術館
「オフィーリア」を(1901-09年頃)を所蔵しています。
京都国立近代美術館
若き日の仏陀(1905)を所蔵しています。
ひろしま美術館
ペガサス、岩上の馬(1907-1910頃)、青い花瓶の花(1912-14年頃)、捕虜を所蔵。
ルドンの芸術をより理解するためにオススメの書籍
By Odilon Redon - Amazon [1], Public domain, via Wikimedia Commons.
ルドンの幻想的な世界観を深く理解するのにオススメの書籍をご紹介します。
ルドン 私自身に 新装版
若い頃から晩年に至るまで、幻想的な画家ルドンが自らの人生や芸術、そして芸術家としての自分との対話が綴られています。
オディロン・ルドン: 自作を語る画文集夢のなかで
「ルドン入門」や「ルドンおためしブック」といった感じの本。ルドンの作風の変化や作品の違いをざっくりと把握するのに良い内容です。
まとめ
幻想的な画風で知られるフランスの画家オディロン・ルドン。彼の作品は黒の時代と色彩豊かな時代に大きく分かれます。孤独な幼少期からの影響が強く、黒を基調とした幻想的な絵画を描いていましたが、結婚や子どもの誕生したあたりから、明るい色彩の世界へと移行しました。
彼の独特な視点や人生を知ると、ルドンの作品を深く理解できます。ぜひ、美術館で彼の世界観を体感してみてください!!
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イロハニアート