「みんなと一緒に通わせたい」…知的障害がある子を普通学級にするか支援学級にするか判断するときにまず考えたいこと
知的障害がある子を持つ親にとって、通常学級に進学させるか、支援学級を選ぶかは頭を悩ませる問題のひとつだろう。
精神科医として数多くの子どもたちを支援してきた本田秀夫氏の著書『知的障害と発達障害の子どもたち』より一部抜粋・再構成し、学校を選ぶときの考え方について取り上げる。
通常学級か、それとも支援学級か
親御さんから「子どもの学校・学級を選ぶとき、どう考えればいいか」と相談されることがしばしばあります。
例えばお子さんに軽度の知的障害があり、就学相談の結果として、教育委員会から「特別支援学級が適当」という通知を受ける場合があります。その場合、支援級を選ぶこともできますが、本人と親の希望として通常学級を選ぶこともできます。そこで「どう選ぶか」という悩みが生じるわけです。
本人や親の希望と支援者の見立てが一致していれば悩まなくて済むのですが、教育委員会が「支援級」と判断しているのに対して、本人や親は通常学級を希望する場合もあります。また、ここで挙げた例とは反対に、本人や親が支援級に通うことを希望しているのに、教育委員会から「通常学級」という判断が出ることもあります。
私はそのような相談を受けたときには、お子さんが「学校に行く目的」を一緒に考えるようにしています。
通常学級で国語や算数を学ばせたい場合
「支援級でサポートを受けたほうが学びやすい」と考えられる状況で、本人や親が通常学級を希望している場合には、「通常学級に行く目的」が何かを考えます。
例えば、親御さんが目的としてイメージしているのが「国語・算数・理科・社会をみんなと同じように学ばせたい」ということだとすると、知的障害の場合、それは難しいという話をせざるを得ません。これまでにも述べてきた通り、知的障害の子は知的機能の発達が平均に比べて「ゆっくり」です。同年代の子どもたちと同じペースで学ばせようとすれば、本人に強い負荷をかけてしまいます。
車椅子に乗っている子に、通常学級の体育の授業で「立って走る50メートル走」を強要することはありません。その子に「あなたも車椅子から降りて、みんなと同じように立ち上がって走ろうよ」とは言わないでしょう。
その子のやり方では参加するのが難しい部分については、子どもと社会の間に障害があると考えて、なんらかの配慮をします。例えば、その子は車椅子に乗って走ることにして、安全かつ適度な運動になるように、運動量を調整してもいいわけです。
そのような配慮が必要なのが、車椅子に乗っている子にとっては体育の授業であり、知的障害の子にとっては国語・算数・理科・社会などの授業だということです。
通常学級での個別対応には限界がある
知的障害の子が通常学級で学ぶ場合、国語や算数などの授業を同年齢の子と同じペースで理解していくのは難しいわけですから、車椅子に乗っている子の体育の授業と同じように、カリキュラムを個別に調整するべきでしょう。
しかし、通常学級は子どもの人数が多く、先生が子どもたち一人ひとりに個別に対応することには限界があります。知的障害の子は、通常学級では十分な支援を得られない可能性があるということです。その場合には、特別支援学級などに通ったほうが個別の支援が受けやすいということになります。
通常学級で友達と一緒に過ごしたい場合
「通常学級に行く目的」が勉強面というよりは、友達との関係性ということもあります。例えば、お子さんが保育園や幼稚園で友達と楽しく過ごしていて、「学校でもみんなと一緒にいたい」と言っているという話になることがあります。
その場合、お子さんが楽しく過ごせる場を保障するということで、通常学級を検討するのもいいでしょう。ただし、そのときには「通常学級で楽しく参加できる活動」「通常学級で十分に学べる活動」「通常学級では学びにくい活動」などを整理する必要があります。
学習環境も保障する必要がある
楽しく過ごせる場を保障するのはいいのですが、一方で、知的障害がある場合には国語や算数などをみんなと同じペースで学んでいくのは難しいという点を忘れてはいけません。本人が自分に合ったペースでしっかり学んでいける環境も、保障する必要があるわけです。
特別支援学級に所属して主な授業は支援級で受け、通常学級との交流にも参加するという方法もあります。学べる環境を保障しながら、友達と交流する機会も保障するというやり方です。
通常学級は約7割の平均的な子ども向け
通常学級では多くの場合、平均的な子どもに合わせて一斉授業が行われています。偏差IQで考えると、平均的な子どもたちというのは全体のおよそ7割です。それ以外の約3割の子どもたちにはフィットしないところも出てきます。
そのうちの半分が知的障害や境界知能の子どもたちで、通常学級の学習のペースが速すぎてつらく感じるのです。また、知的機能には遅れがなくても、発達障害の子は集団行動や対人関係などが苦手で、通常学級の授業や活動に馴染めないことがあります。
知的障害や発達障害の子は苦労している
ところが、知的障害や発達障害の子は、本人や親が特別な場での支援を希望しても、就学相談で「通常学級が適当」と判断されることもあります。また、境界知能の場合は知的障害に該当しないので、他に発達障害などの障害がなければ通常学級に入ることになります。その結果として授業についていけなかったり、集団行動でテンポがずれてしまったりして、苦労している子どもたちがいるわけです。
そこで大人たちが通常学級の授業を調整するか、または学校・学級選びの幅を広げることができればいいのですが、そのどちらも行われていない場合が多いです。本来は環境をもう少し整えて、例えば境界知能であれば通常学級でも十分に学べるくらいにしたいところですが、実際には「授業のやり方は一切変えません」「みんながんばってね」というスタンスで教室が運営されていることもあります。
文部科学省は子どもの学業不振に寛容で冷淡
私は学校の授業やテストの仕組みをみていて、文部科学省は子どもの学業不振に対して寛容で冷淡だと感じることがあります。
学校ではさまざまなテストが行われています。テストの目的は、子どもの理解度や習熟度などを確認することでしょう。日常的なテストの点数で成績が決まり、入学試験の点数で合否が判断されます。テストの点数がいい子もいれば、悪い子もいます。子どもの学力にはばらつきが出るわけですが、それは当然だと見做されています。学業不振の子がいても許容される。そういう意味では文部科学省は「寛容」なのです。
テストの点数が悪い子のなかには、たまたま調子が悪かっただけという子もいれば、授業の内容が理解できていないという子もいるでしょう。その子たちには補習が行われたりするわけですが、授業はその後も進んでいき、学校は年度末になると「全員この課程は理解できた」という前提で子どもたちを進級させます。特に義務教育段階ではそうです。
しかし、十分に学習できていない子は、その後の生活で困ることもあるでしょう。当然、不全感を持つ子も出てきます。子どもが失敗を重ね、自信を失い、メンタルヘルスを損ねる恐れがあります。その点については、文部科学省は無関心で「冷淡」なわけです。
「勉強が苦手な子もいる」「それは仕方がない」と寛容に受け入れながら、でも「これ以上は教えませんよ」と冷淡に対応する。わかるように教えてはくれない。残念ながら義務教育段階では、学業不振にそのような対応がなされることがあるのです。
知的障害や境界知能の子はついていけなくなる
なぜ学力のばらつきが許容されているのかというと、それによって進路の振り分けができるからという側面があります。学校の授業やテストの仕組みは、そのように組み立てられています。私たちはその実状を理解したうえで、子どもの進路を考えなければいけません。
いまの社会には、授業を理解できない子がいても仕方がないと見做すような実態があります。だから軽度の知的障害や境界知能、学習障害が見過ごされることがあるわけです。本来であれば、勉強が苦手で困っていれば小学校低学年くらいでみつかるはずの特性が、小学校を卒業しても気づかれないことがあります。
軽度知的障害の子は入学直後から、境界知能の子は小3くらいから、通常学級の授業を難しいと感じます。通常学級で学んでいる場合、低学年の頃は本人や親、先生の工夫でテストの点はとれる場合もありますが、学年が上がるにつれて成績も下がってくることが多いです。
知的障害があることがわかれば支援級に切り替えることもできますが、境界知能では法制度上、それも希望できません。その結果として学校生活に不全感を持ち、不登校になってしまう子も出ているのです。
写真/shutterstock
05/02 11:00
集英社オンライン