「シティポップ」は音楽だけにあらず。「都会的でウィットに富んで乾いた空気感を持つ…」 まるで初期の村上春樹のような短編がくれる忘れられた80年代の風景

『シティポップ短篇集』というアンソロジーが4月10日に発売された。編者は、弱冠17歳でデビューした小説家の平中悠一。1984年に活動を開始し、まさに「シティポップ文学」の中心にいた一人でもある。そんな平中に、そもそも「シティポップ文学」とはなにか、1980年代とはなんだったのかについて聞いた。

【画像】村上春樹はシティポップ文学なのか?

シティポップブームが出版のきっかけに

そもそも、「シティポップ文学」とはなにか。平中はこう定義づける。

「アメリカ文学、特に雑誌『ザ・ニューヨーカー』に掲載されていたような短篇作品に大きな影響を受けて書かれた作品を指します。都会的なライフスタイルの描写や、ウィットに富んだ会話、乾いた風景の描写、また、はっとするような“オチ”などが、これらの作品には通底して見られます」

もともと、平中は早い段階から、『シティポップ短篇集』の構想を抱いていたという。

「当初は『日本のニューヨーカー短篇集』というタイトルで企画したんです。でも、作品が実際に『ザ・ニューヨーカー』に掲載されていたわけでもないですし、また僕自身が若かったこともあって、実現しませんでした」

そんな状況が変わったのが、昨今の「シティポップブーム」だ。

「今、シティポップが欧米やアジア全域でも流行しているという話がいろいろ聞こえてきたんです。そのシティポップと同時代的に書かれた日本の短篇集というコンセプトにすると、わかりやすい見せ方ができるんじゃないかと思いました。シティポップもアメリカの音楽に強い影響を受けています。その点で、同時代の文学とつながるものがありました」

田中康夫は、「暗い」

こうして編纂が始まった『シティポップ短篇集』。収められた10作品は、編者である平中の作品(「かぼちゃ、come on!」)から、片岡義男や川西蘭の作品などさまざま。実際、これらの作品を選ぶときの基準はどのようなものだったのか。

「まずは、僕が好きだったものを選んでいます。最初に読んだのは何十年も前で、メモも取ってるわけじゃないんだけど、あれもあった、これもあった、と引っ張り出して、改めて読み直して、好きなものを選びましたね」

一方で、1980年代に書かれている作品でも、収録されていない作品も多い。例えば1980年代に一世を風靡した田中康夫『なんとなく、クリスタル』などは、都会的な雰囲気を持っているが、それは平中の思うシティポップ文学ではない、という。

「田中さんの世界認識は暗いと思うんです。世間的には、1980年代の明るい空気感を反映していると受け止められがちですが、僕が読むとそうは思えない。田中さんが政治家になったとき、なるほど、と思いました。小説を書くより、もっと直接的に社会を変えなくては…という決意なのかな、と」

「明るさ」が一つのキーワードだった1980年代

平中は、「シティポップ文学」について、こう続ける。

「僕はシティポップ短篇のことを『都会的な小説』と言っていますが、それは『都市的な小説』とは違う。『都市』というと『光と影』がある。きらびやかな面とそうでない負の面の両方が含まれています。一方、『都会』という言葉の響きにはそういう暗さがなくて、明るくポジティブな側面が大きいと思います」

シティポップ短篇に見られる「明るさ」は、音楽としてのシティポップにも、それらを支えた80年代にも見られた傾向だったと平中は言う。

「シティポップの名曲に『DOWN TOWN』や『中央フリーウェイ』などがあります。これらは、なぜサビフレーズで英語を使うのか。それは、そう歌うことによって、どこか自分たちの気持ちが現実よりも明るく、ウキウキするからだと思います。現実をちょっとだけよりよく描こうという気持ちがシティポップにはあった。

雑誌でいえば、例えば『POPEYE』や『anan』の世界観です。ちょっと手を伸ばせば届きそうな心地のいい生活を、カタログ的に紹介していました。そういう傾向とも、シティポップ文学はシンクロしていたと思います」

「真実」ではなく「理想」を描いたシティポップ文学

平中は本作と同時に『「細雪」の詩学』という、東京大学に提出した谷崎潤一郎の代表作『細雪』に関する博士論文を書籍として刊行している。

実作者としてだけでなく、文学研究者としての立場からも、こうしたシティポップ文学の誕生について説明する。

「近代日本文学の伝統では、文学とは『人間の真実を描く』ものという通念が重視されてきました。しかし、1980年代前後に現代思想の影響が入ってきて、従来の『真実』観が揺らぎ始めた。その中で、文学が描く対象にも幅が生まれて、シティポップ文学のような、現実を理想化して、前向きにポップな世界像を描く作品が出てきました」

また、それに拍車をかけるように、1980年代の日本は好景気に湧いていた。1980年代中頃から続いたバブル景気によって、日本は消費大国となり、その少し前の1979年には『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本まで書かれた。こうしたどこか浮ついた高揚感の中で、その時代の空気を反映するような気分に満ちたのがシティポップ文学だった。

1990年代が消した1980年代

しかし、そうしたポジティブな時代も、長くは続かなかった。

1991年にバブル景気が崩壊。1995年にはオウム真理教による地下鉄サリン事件や、阪神淡路大震災があり、日本には暗い気分が蔓延していく。「理想化」によって拓けていた新しい世界が、1990年代という「現実」によって、駆逐されてしまったのだ。

それを象徴するように、1990年代に入ってからは、1980年代の風潮を否定的に捉える言葉も現れる。それが「80年代は、スカだった」というもの。さまざまに理想的なものが描かれていた1980年代が、「空虚」という言葉でなかば批判的に語られたのだ。

こうしてバブル崩壊を期に、1980年代に行われていたあらゆる文化の実験的な試みは振り返られることなく、現在に至っている。

村上春樹の転向

ところで、『シティポップ短篇集』には入っていないが、平中がシティポップ短篇を代表する作家だとして認めるのが、村上春樹だ。

「村上さんは、初期の作風は非常に都会的でシティポップ的だと思います。でも、先ほども言った通り『真実』を書くのが文学のメインストリームの伝統でしたから、文壇からの反発があったわけです。

それが変わったのが『ノルウェイの森』。ある意味では、伝統的な日本の小説だと思いました。そこから、より広く作品が受け入れられるようになり、国民的な作家になった。村上さんは有名になったけれど、村上さんの初期の作風に通じる都会的な空気感を持っていた他の作家は忘れられてしまいました」

このような歴史で見ていくと、『シティポップ短篇集』は、日本文学の歴史において、欠けてしまった1ピースを埋める作業の証なのだと思えてくる。

海外でシティポップ文学が受容される日

さらに平中は付け加える。

「日本文学の翻訳の状況を見ても、1980年代は欠落しているんですよね。1990年代以降は訳されている作品も多いのですが。

僕はフランスで日本文学を研究していましたが、外国で文学を研究している人たちは、最初の興味がアニメーションだったり、音楽だったりしても、最終的には文学を学ぶんです。みんな、文学はその国の文化が凝縮されたものだと思っている。だから、ある国の文化を知ろうとする人は文学に近付いていく。

海外の人が音楽のシティポップを面白いと思ったら、そこから、日本の同時代の文学に近付くことがあると思う」

現在、日本のシティポップは国内のみならず海外でも大流行している(そもそもリヴァイバルの発端は海外からの逆輸入だった)。そこからシティポップ短篇に近付く人もいるのではないかと平中は最後にそう語った。

忘れ去られた1980年代という歴史に輝いた文学たち。そのエッセンスを凝縮した『シティポップ短篇集』は、現在の日本の文芸界に新しいインパクトをもたらすのか。


取材・文/谷頭和希

シティポップ短篇集

平中悠一・編

シティポップ短篇集

2024年4月10日
2750円(税込)
単行本
ISBN: 978-4803804300
シティポップが生まれた80年代、同時代の日本の「文学」は何をしていたのだろう? 世界のファンがSNSで甦らせたポップ音楽の背後には、同じ時代状況から生まれ、同様に日本オリジナルの発展を遂げた、都会文学の世界が隠されていた──きらめく都会の〈夢〉を優しく紡ぐ、「シティポップの時代」を並走した9つの物語を、いま、ここに。

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