「ロシアに蹂躙された失地を回復する」「ネオナチにウクライナが支配されている」ウクライナvsロシア「SNSいいね戦争」にみる両国のSNS運用の決定的な違い

ナワリヌイ氏の急死で世界が激怒する21世紀最悪の殺戮者・プーチンの暗殺の歴史…それでも日本政府が弱腰な背景とは〉から続く

ロシア・ウクライナ戦争開戦から2年――軍隊以外に、民間軍事会社、戦争PR会社、フェイクニュース製造工場、ハッカーなどが戦場の内外で熾烈な戦いを行なっている。

【画像】戦車や銃器による戦いからドローンやIT機器を駆使したサイバー戦に変化しつつあるウクライナ戦争

防衛省情報本部分析部主任分析官を長く務めた情報分析のプロが、目に見えない情報をめぐる戦いに迫った書籍『ウクライナとロシアは情報戦をどう戦っているか』(並木書房)より進化するSNS上の「いいね戦争」」について一部抜粋してお届けする。

誰もが情報戦争の戦闘員…さらに進化するSNS上の「いいね戦争」

2022年11月10日午前の記者会見で松野博一官房長官(当時)は、ウクライナで日本人義勇兵が死亡したとの情報がSNSなどで拡散されていることについて「情報があることは承知している。現在、在ウクライナ日本大使館が事実関係の確認を行なっている」と述べました。

翌11日午前の記者会見では、戦闘に参加していた20代の邦人男性が現地時間9日に死亡したと語りました。ロシアのウクライナ侵攻による日本人の死者は初めてとみられます。このように、SNSの情報は既存の報道よりも早く伝わり拡散することが多いのです。SNSは、報道関係者が入り込めないような危険な地域も含め、世界各地に特派員を派遣しているようなものです。

しかし、情報を安易に発信、拡散できるため、正しい情報だけでなく虚偽の情報も拡散しています。ここでは、SNSを活用した戦い「いいね戦争」と「ナラティブの戦い(バトル・オブ・ナラティブ)」について紹介したいと思います。

「いいね戦争」とは、軍事研究とSNS研究の第一線で活躍するP・W・シンガーとエマーソン・T・ブルッキングが、多数の事例をもとに新たな戦争の実態を解明した本のタイトルにもなっています。

米国大統領選挙、イスラム国の動向、ウクライナ紛争(2014年)、インドの大規模テロ、メキシコの麻薬戦争など国際政治から犯罪組織の抗争まで、SNSは政治や戦争のあり方を世界中で根底から変えてしまいました。

インターネットは新たな戦場と化し、そこで拡散する情報は敵対者を攻撃する重要な手段となりました。誰もが情報戦争の戦闘員になり得ます。そして、その「いいね!」や「シェア」が破壊や殺戮を引き起こすのです。

いまやこの戦場で人々の注目を集めるべく、政治家やセレブ、アーティスト、兵士、テロリストなど何億人もが熾烈な情報戦争を展開する事態になっています。ロシア・ウクライナ戦争で「いいね戦争」は、さらに進化しています。

 世論を味方につける「ナラティブの戦い」

SNSの発信においては「ナラティブの戦い」も併せて行なわれています。ナラティブとは、「物語」と訳されることが多いですが、安全保障の枠組みでは、「人々に強い感情・共感を生み出す、真偽や価値判断が織り交ざった伝播性の強い通俗的な物語」のことです。その特徴は、「シンプルさ」「共鳴」「目新しさ」です。そのため、状況や相手に応じて柔軟に変化するのも特徴です。

ロシア・ウクライナ戦争では、ロシア側は「ネオナチにウクライナが支配されている」「ロシア人が迫害されている」そのため「抑圧されるロシア系住民を救出するための特別軍事作戦」を実施すると世界に発信しました。

これらのナラティブはロシア国内やウクライナのドンバス地域の住民など東部の一部の人には受け入れられたものの、世界的には受け入れられませんでした。

その後、ロシア占領地域において従来になかった工作活動らしきもの(弾薬庫の爆破、クリミア橋の破壊など)が起こってくると非難の矛先を「ネオナチ」から「テロリスト」へとあっさりと変更しています。より受け入れられやすい物語であれば、過去との整合性など関係ない柔軟なというよりはむしろ無節操な変化が見て取れます。

一方、ウクライナ側は「自国をロシアに蹂躙され失地を回復する」ことをスローガンとし、ゼレンスキー大統領は各国の議会などにおいて、それぞれの国に受け入れられやすい国民感情を揺さぶるような表現を使って、そのナラティブを世界に向けて訴え始めました。

たとえば米国では「パールハーバー」、わが国に対しては「原発事故」「復興」などをキーワードとして、オンラインで訴えかけました。誰もが知る歴史や社会集団の記憶に根差すナラティブは特に拡散しやすい可能性が高いのです。その結果、西側各国からは、ウクライナへの軍事的、経済的支援がすぐに集まりました。

ウクライナ側が語るナラティブも、必ずしも正しいわけではありません。たとえば2月24日のズミイヌイ島(ウクライナの南西沖にある、面積0・17平方キロメートルの小さな島)での戦闘では、ウクライナ政府筋は13人の国境警備兵がロシア軍への降伏を拒否し玉砕したと発表し、その悲惨さとロシアの残虐性をアピールしました。しかし、通信が途絶し、玉砕の前に警備隊が自ら投降して捕虜になったというのが事実のようです。

 ウクライナとロシアのSNS運用の違い

SNSによるウクライナ側の情報の発信は、ナラティブを世界に伝え、国際世論を味方にするうえでも大きな役割を果たしています。

ロシアのウクライナ侵攻直後、ゼレンスキー大統領が自国を捨てて逃げたとするロシア側の発表に対して、ゼレンスキー大統領は、SNS上ですぐさま反応し、「私たちはここにいる」と主要閣僚とともに、キーウから動画を発信しました。

このことは、ウクライナ国民の愛国心を高揚させ、国際社会によるウクライナへの支援を取りつけました。ウクライナ人から発信されている写真や動画情報は極めて多く、それらは地域におけるロシア軍の残虐な行為を世界に知らしめるとともに、地域住民がロシア軍の動向に関する情報を軍に提供する役割も果たしています。

これまでも戦場の様子などがSNS上に流れることはありましたが、このような意図的な行動はありませんでした。これは、戦場がウクライナ国内であり、一般市民がスマートフォンなどで撮影した画像をSNSに気軽に投稿することができる環境が整っていることも理由の一つでしょう。

ただし、このような市民による行為は、ロシア側にとっては、いわばスパイ行為であり、このことが、ロシア側が地域住民を逮捕して拷問などを行なっている行為につながっている可能性もあります。

SNS投稿を全面禁止したロシア軍

ウクライナ側がSNSを多用する一方で、侵攻したロシア軍の兵士からと思われるSNSへの投稿はあまり見られません。兵士の投稿を厳しく規制しているからです。ロシア軍で、このような規制が徹底されたのは、2014年のロシアによるクリミア併合の教訓によるものです。

2014年当時は、クリミアでは「リトル・グリーンマン」と称される徽章をつけていない覆面の武装集団が主要施設を次々と占拠していきました。ロシアはハイブリッド戦の一環として、親ロシア派の集団がウクライナ政府に反旗を翻してそのような行動をとっていることにしたかったのです。

しかし、これらの兵士の中には、スマホで自撮りしてSNSに投稿する者がいました。そのため、それらの写真からリトル・グリーンマンの中にロシア軍の現役の兵士が含まれることが次第に判明し、ロシアの工作活動の実態が明らかになりました。その教訓から、ロシア軍ではスマホの使用に制限が設けられました。

2019年2月には、その制限がさらに厳しくなり、兵士の軍務中におけるスマートフォンやタブレットの使用禁止、軍に関する話題をSNSへ投稿したり軍の話題をジャーナリストに話したりすることなどが禁止される法律が策定されました。さらにこのような情報統制は一般人にも拡大しています。このようにウクライナとは対照的にロシアはSNSを活用するよりも情報を統制する方法をとっています。

国民には情報を統制する一方で、プーチン大統領は自らメディアに向け発信したり、『RT』や『スプートニク』といったメディアの活用、IRA(インターネット・リサーチ・エージェンシー)といった民間会社による偽情報の作成により、ナラティブを発信・拡散しています。

 悪意のないフェイク動画の拡散

SNSの中でも特に世界に10億人超のユーザーがいるティックトック(TikTok)はニセの動画拡散にも大きな役割を果たしています。

たとえばロシア・ウクライナ戦争に関連してロシア国旗とともに投稿された軍用機の離陸シーンのティックトック動画は300万回近い閲覧数ですが、その軍用機自体がそもそもロシアのものではありません。その動画は2017年頃にユーチューブ(YouTube)に投稿された米海軍の展示飛行隊ブルーエンジェルスのビデオに銃声の音が重ねられたものだと判明しています。

そして、これらの動画を広めているのが一般人であり、多くの人はそれらを拡散することに悪意はないとみられます。

ネット上で動画の真偽をわざわざ見極めたうえで拡散する人は少ないでしょう。むしろ一般報道されない画像であればあるほど、むしろ確認せずにすぐに反応してリツーイトするので拡散が多くなるのです。

 米ワシントン大学の研究者レイチェル・モランは、ウクライナにおける拡散行為について、ウクライナにおける激しい戦況を前に人々はもどかしさを募らせており、無力感をやわらげたい心理行為が拡散行為に拍車をかけているのだと分析しています。

ウクライナでの爆撃の様子とされた動画は600万回近い閲覧数を記録しましたが、実際は国外で撮られた映像に2020年にレバノンで起きた爆発事故の音声を重ねたものだったとされます。

わが国においても、悪意のない、いやむしろ善意の情報の拡散の例が見受けられます。たとえばコロナ禍において、トイレットペーパーが不足するということがありました。東京大学の鳥海不二夫教授の調査によれば「トイレットペーパーが不足するというのはデマだから騙されないで」というむしろ善意の情報の拡散のほうが急速に広がり、そのためトイレットペーパーを買いだめする人が多くなったとしています。

普通に考えれば、「それはデマだ」という善意の情報がより多く拡散したことにより、トイレットペーパーが不足するとはあまり思わないものです。しかし騙される人が多くいて、もしかしたら不足するかもしれないので「念のために」買っておこうという心理がトイレットペーパーの買い占めを招いたと同教授は分析しています。

文/樋口敬祐 写真/shutterstock

ウクライナとロシアは情報戦をどう戦っているか

樋口 敬祐

ウクライナとロシアは情報戦をどう戦っているか

2024/2/7
1,980円(税込)
316ページ
ISBN: 978-4890634453
ロシア・ウクライナ戦争開戦から2年ーー軍隊以外に、民間軍事会社、戦争PR会社、フェイクニュース製造工場、ハッカーなどが戦場の内外で多様で熾烈な戦いを行なっている。防衛省情報本部主任分析官を長く務めた情報分析のプロが、目に見えない情報をめぐる戦いに迫る。「大砲のウーバーシステム」「カラシニコフの代わりにスマホで戦う市民」「ロシアのオリガルヒの不審死の増加」「パルチザンによる戦い」等々…知られざる情報戦争の実相!

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