ヨシタケシンスケ最新絵本『そういうゲーム』は、日々を生きるという“ゲーム”に翻弄される私たちにエールをくれる1冊
ヨシタケシンスケさんの最新絵本『そういうゲーム』(KADOKAWA)では、私たちが心のなかで設定している、さまざまな“ゲーム”について描かれている。たとえば「おうだんほどうの白いところだけふんで むこうがわまでいけたら かち。おちたらワニがいる。」というゲームは、子どもの頃、多くの人がチャレンジした記憶があるのではないか。もしかしたら大人になった今でも、ときどきやっちゃうよ、という人もいるかもしれない。
「予定より早く帰らなきゃいけない、と伝えたとき、さみしそうな顔をさせたら、かちち。」のゲームは、甘酸っぱさと切なさが折り重なっているし、「この病気を 30年以内に地球上からなくすことが できれば かち。」には人生を懸けた覚悟が感じられる。「世の中のみにくいぶぶん、きたないぶぶんを見ないままで どこまで大きくなれるのか。」は、本人というよりも見守る周囲の願いのようなものもこめられているような気がする(ちなみにこのゲームで描かれる子どもたちは、たぶん『メメンとモリ』(KADOKAWA)に登場するふたりで、小さな思索を重ねながら前に進んでいく彼らの物語を知っていると、よりいっそう、その願いが胸の奥で強く輝く)。
自分はいったいどんなゲームに挑んでいるかな、あの人はどうだろう、と考えるのはちょっと楽しい。でも読みながら、ふと、「勝ち」にこだわるなんてヨシタケさんらしくないなと思った。勝ち負けから解き放たれた世界を、二者択一ではない視点を、ヨシタケさんはこれまで描き続けてきたと思っていたから。そんなとき、現れるのが見開きいっぱいに書かれた文章、絵のないページだ。
5秒で勝負がつくゲームも、結果がわかるまで
50年かかるゲームもある。
(中略)
意味のあるゲームも、ないゲームもある。
途中でやめられるゲームも、やめられないゲームもある。
よる、寝る前にその日のゲームを思い出し、
自分への小さなごほうびをあげる。
マクラの位置をなおして
明日のゲームを考える。
毎日いろんなゲームをする。
何があってもゲームをする。
なぜなら、そういうゲームだから。
生きろ、と言われているのだと思った。何をもって勝ちとするかは、自分で決めればいい。誰かから見て負けでも、自分が勝ちと思えるならばそれでいい。だから日々を生きるというゲームから降りないで。何があっても生き延びてほしい。そんなヨシタケさんの祈りが、この絵本には詰まっているのだと。
「嫌いな人を呪うパワーでどこまで前に進めるか」なんて、一見ネガティブなゲームでもいい。「投げたティッシュが一発でゴミ箱に入らなかったら今日こそ掃除をする。入ったら かち。」なんて、しょうもないゲームでもいい。今のもうちょっと先を、想像することができるのならば。想像するための力を、たくわえることができるのならば、どんなに自分勝手なルールでもかまわない。今日も明日も、きっと勝ち。だから大丈夫と思わせてくれる、ヨシタケさんからの新しいエールなのである。
文=立花もも
11/20 21:30
ダ・ヴィンチWeb