寺地はるな「変わっていくことは、悲しいことではない」新刊『雫』で描いた、ゆるやかにつながる同級生4人の30年【インタビュー】
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2024年12月号からの転載です。
ジュエリーのモチーフは、ひとつひとつに意味がある。星は魔除け、鍵は繁栄、馬蹄は幸運を呼び込むとされている。大地に降る雨をかたどった雫型は、生きるエネルギーの象徴。雨の雫が集まって川へ海へと流れ込み、やがて空にのぼっていく。その繰り返しから“永遠”を意味するという説もある。
寺地はるなさんの新刊『雫』も、まさに“永遠とは何か”を問いかける物語だ。30年という年月をかけ、永瀬珠はその問いに自分なりの答えを見出そうとする。
取材・文=野本由起 写真=下林彩子
「“終わりから始まる物語”という漠然としたイメージが、最初に思い浮かびました。過去にさかのぼっていく話を書いてみたかったし、そうすることで何度も読み返したくなる小説になれば、と。“終わり”から建物の解体を連想し、その中で受け継がれていくリフォームジュエリーについて描いてみようと思いました」
就職、結婚、離婚……四者四様の30年間
物語の中心となるのは、リフォームジュエリー会社「ジュエリータカミネ」のデザイナー永瀬珠、社長の高峰能見、地金職人の木下しずく、同じビルの印刷会社で働く森侑。4人は中学の同級生だが、いつも一緒にいるわけではない。それでも、互いをそれとなく気にかけている。
「同級生ですが、強い絆で結ばれているわけではない間柄を描きたかったんです。友達だけど、一緒に旅行に行くほどでもない関係。フィクションで描かれる友達って結びつきが強いですよね。それを読んで『私の人間関係はこんなに濃くない。私には友達がいない』と引け目を感じる人もいると思います。でも、友達ってもっと淡い関係でいいと思って」
始まりは2025年4月。未来からスタートし、章が進むにつれて5年ずつ過去にさかのぼっていく。
「小説は、時間の捉え方が自由ですよね。長い期間のことを短く、3分間の出来事をものすごく長い文章で書くこともできます。今回は、過去にさかのぼるだけでなく、少し未来の話もできたらと思いました」
デザイナーの珠は、2025年時点で45歳。「ジュエリータカミネ」は閉業するが、次の仕事を決められずにいた。そもそも社長の高峰は、なぜ店を畳むことにしたのか。学生時代はクラスの人気者だった彼の半生も、ひもとかれていく。
「当初は、高峰が35歳で亡くなり、あんなに輝いていた彼がなぜ……という展開にするつもりでした。でも死なないままで話が成立するなら、そのほうがいい。そこで死を回避しようと考え直すうちに、人生には小さな分岐がたくさんあるとあらためて感じました。しかも、ひとつの選択でその後の運命が劇的に変わるわけではなく、何年後かに小さな影響を与えるようなちょっとした分岐が無数にある。高峰に限らず4人の人生を何通りも考えたので、彼らと150年くらい一緒に過ごした気分です」
心優しい森は、最初の就職先で上司のパワハラに遭い退職。山も谷もあったが、現在は愛妻と穏やかな日常を過ごしている。
「森くんは人当たりがよく、要領が悪いわけでもありません。それでも上司とうまく行かず、つまずくこともあります。そういう時、『そんな会社に就職したのが悪い』と言う人もいますが、必ずしも自分に原因を探そうとしなくていい。同じような目に遭った方にも、なにも恥じる必要はないと伝えられたら」
いっぽう家庭の事情で高峰家に預けられたしずくは、中学卒業後、地金職人に弟子入りし、コツコツ腕を磨いてきた。物静かながらも我が道を行く彼女は、やがて同性の恋人が住む離島に移住する。
「何も持たないしずくが、たったひとつ身につけたのが仕事。それだけを頼りに進んだら、いつのまにか道が開けていました。でも、それは結果的にそうなっただけのこと。高峰のようにピカピカのカードをたくさん持っていても、思っていたのと違う人生を歩むこともあります。そう考えると4人とも、思い描いていた未来とは違ったところにいるのかもしれません。人生って、案外そういうものですよね」
しずくについて描くうえで、寺地さんが悩んだのは父親との関係性。
「深刻な事情がなくても、離れたほうがいい親はいます。DVなどのわかりやすい原因があれば、読者の理解を得やすいですが、『私の親はここまでひどくない。この程度で親を疎ましく思ってはいけない』と思ってしまう方もいます。そうでなくても距離を取っていいと言いたくて」
2025年の時点で、4人の家庭環境はバラバラだ。独身、子どものいない夫婦、子どもはいるが離婚した単身者、同性の恋人がいる人。夫婦+子どもという、モデル世帯のような家族はひとつもない。
「リフォームジュエリーの話を書こうとすると、どうしても家や結婚が関わってきます。おばあちゃんの婚約指輪を受け継いで……みたいな話になるんですね。ただ、結婚すること、子どもをもつことを正解としたいわけでも全否定したいわけでもなくて。そこで、四者四様のありようを描こうと思いました」
このように、なにかひとつを正しいと決めつけないのが寺地さんの書き方だ。
「例えば親と和解したという結末にすると、それが正しいことだと伝わってしまう気がして。だから、何事も断言できないんでしょうね。大阪ではよく『知らんけど』って最後につけますが、そういう書き方なのかもしれません(笑)」
今からでも過去の自分を慰めることはできる
30年もの歳月が流れれば、4人の境遇、互いのつながりもゆるやかに変化する。珠はそれを受け止め、自分自身のありようも変化させていく。
「これまで書いてきた小説を読み返すと、変わる/変わらないはそれほど大事ではないとずっと言い続けている気がして。望まない変化もありますが、それも仕方のないこと。変化に自分を寄せていくしかないと思っています」
年齢を重ねれば、良い変化も生じる。珠も40歳にして、ようやく「人は人。自分は自分」というスタンスを獲得する。
「この年代になると、自分向きではないものをどんどん捨てて身軽になれますよね。選択肢は狭まりますが、数少ない選択肢に『これならできる』『これをやってみたい』と思うことを重ねて、その道を進めばいいのでとても楽だし自由です。何にもなれないってことは、何にもならなくていいってこと。成功しなくてもいいと思えば挑戦しやすいし、たとえ他人からは失敗に見えたとしても、無駄な経験にはならないと思うんです」
それと同時に、次の世代に何を受け渡せるか考えるようになるのも、40代かもしれない。
「ジュエリーのような物だけでなく、こういう風潮はやめよう、こういう時のこういう振る舞いはやめようと、形のないものを受け渡すこともできます。今あるものを、未来に沿うよう形を変えて手渡すのも、受け継ぐと言っていいと思って」
この小説を書くことは、寺地さんの過去を見直すきっかけにもなった。
「通り過ぎてきた年齢の自分は、今も私のどこかに残っています。この小説を書きながら、『あれってこういうことだったのか』と初めて理解できたことも多く、15歳の自分、20歳の自分が慰められたような気がしました。過去の自分を今からでも納得させることはできるし、それはすごく大事なこと。この本を通して、皆さんにもそういった体験をしていただけたらうれしいです」
寺地はるな
てらち・はるな●1977年、佐賀県生まれ、大阪府在住。2014年、『ビオレタ』でポプラ社小説新人賞を受賞し、15年にデビュー。21年、『水を縫う』で河合隼雄物語賞受賞。23年『川のほとりに立つ者は』で本屋大賞9位入賞。『白ゆき紅ばら』『わたしたちに翼はいらない』『こまどりたちが歌うなら』『いつか月夜』など著書多数。
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