【光浦靖子】芸能界を休むことへの不安は? 50歳で飛び込んだカナダ留学という新しい世界、その奮闘の毎日を綴ったエッセイ本〈インタビュー〉

2021年の夏、カナダのバンクーバーへ留学した光浦靖子さんが、カナダでの留学1年目のことを綴ったエッセイ本『ようやくカナダに行きまして』(文藝春秋)が発売された。言葉もままならない中で、一喜一憂しながらも、心を通わせていく国も年代も違う新しい友人たちとの出会いや、数々の初めての体験からの自分自身の変化。これまでも日常を綴ったエッセイ集を数多く発表し、その知的でユーモア溢れる筆力にファンが多い光浦さんだが、この留学日記は、新しい世界で奮闘しながらも自分の生きる道を開拓していく冒険記のようにも読めて、どんどんとそのページの続きをめくりたくなってしまう。そして、読み終えた時、私たちはいくつからでも新しいことに踏み出せるのだという、力強い勇気をもらうのだ。この一冊に描かれたカナダ留学の話、そして、これからの展望――、現在カナダ生活4年目に入った光浦さんに話を聞いた。

「言葉が通じない」ことで、気持ちが解放された

――光浦さんのカナダ留学を通して体験していく「新しい世界」を、私たち読者も追体験するような気持ちで読ませていただきました。留学がなければ本書は生まれなかったわけですが、そもそも光浦さんが留学を決めた理由は何だったのですか?

光浦:留学したいというのは、ずっと子どもの時からの夢だったんです。英語を喋れないコンプレックスも大学に入った時からずっとありました。でもこのタイミングで留学したのは、芸能界で30年近く仕事をしてきた中で、悩んでいたことも大きいですね。
ネットにね、いい言葉もあったはずなんですがひどい言葉しか頭に入らなくて。ネットに溢れるひどい言葉を見てて、みんなを喜ばせたいと頑張ってテレビに出ていたはずなのに、私の仕事は人を喜ばせることではなく、あ、私の仕事は人の吐口になることだったのか、と思った時に悲しくなって・・・疲れてましたね。

――それで、一旦、芸能界の仕事を休もうと思ったんですね。

光浦:最初は、これは逃げかな、努力が足りないのかなと思ったのですが、そう思い続けて30年近く経った。30年悩んでまだ悩んでるのなら、もういいだろう、と思ったんです。だから、あっさり留学を決断したように捉えられているかもしれませんが、ずっと悩んできた上で決めた留学でした。

――芸能界を休むことへの不安はなかったですか?

光浦:最初はありましたよ。もう戻れなくなったらどうしよう、と。だけどその不安は本当に最初だけ。留学した2021年はまだコロナ禍だったこともあり、手違い?で私の隔離がなかなか解除されないことから始まって、大変なことがどんどこどんどこ起きるんですよ。しかも言葉が喋れないからすごく大変で。

 でもその代わり、少しでも言葉が伝わると嬉しくてドーパミンが出てくるというか、二言三言、会話できただけでものすごい達成感が生まれるんです。よく、脳が活性化するには旅をしろと言うじゃないですか。視覚も聴覚も全部新しいものが入るから、脳が一気に動き出す。まさにその状態。新しいことだらけで、過去を思い出したり、引きずったりすることがなかったんですね。

――本書には、英語がままならないゆえの奮闘ぶりも描かれていますが、と同時に、言葉が通じないからこそ、人と人が本質的に関わり合う姿がとても魅力的に描かれていて、光浦さん自身もどんどん開放されているように思えました。

光浦:「言葉が通じない」ということが、私にとってはとてもラクなことだったんですよね。人のほんのちょっとの言葉尻が気になったり、相手はただナチュラルに間違えただけでも、これはわざとなのかしら、私のことが嫌いだからそういう語尾にしたのかしらと思うくらい、精神的に病んでいましたからね。でも日本語を使わなくなったら、その悩みが一気になくなった。それに、これまではきっと、環境に縛られていたんだろうなと思います。他の人の目があるから、キャラ変できないというか。だけどカナダで出会う人たちは私のことなんか誰も知らないでしょ。あとね、ラッキーなことに私が知り合った人がみんな、おおらかなんですよ。そういうところが、すごく気持ちを解放させてくれたんだと思います。

表紙撮影で出会った女性の生き方

――それは表紙の写真の表情の柔らかさにも表れていますよね。カナダでの暮らしの空気感が伝わってくるとても素敵な写真です。

光浦:カナダの友達が撮ってくれました。本にも書いていますが、友人でもある作家の西加奈子さんがバンクーバーに住んでいたので、私を日本人ママ友会「オバンジャーズ」に入れてくれたんです。その一人がカメラマンで。

――裏表紙で光浦さんと一緒に写っている年配の外国人女性もご友人ですか?

光浦:ダコタという女性で、この表紙の撮影をきっかけにお友達になりました。というのは、私たちがロケ地で選んだカフェの前がこの方のアパートメントで、偶然、その階段に犬と一緒に座って本を読んでいたんです。その姿があまりに素敵で、撮影させてほしいと声をかけました。快く「いいよ」と言ってくれて、そこからいろんな話をしたんです。訊けば、ダコタは若い時にほんの短い期間だけど、日本で英語の先生をやったことがあって、ダコタ自身も作家で本を出したことがあるそうです。しかもその時読んでいたのが村上春樹さんの本だった。彼女は画家でもあるのですが、会ったばかりの私たちを家の中に入れてくれて、絵も見せてくれました。彼女の部屋がまたとても素敵なんですよ。家で使っているのはすべて和食器で、好きなものを選び抜いて、古いものを慈しむようにして使っている。大好きなイヤリングももう何十年も使って少し飽きてきたからと、自分でリメイクして新たなイヤリングを作ったり。そういう生き方が、彼女自身の雰囲気にも表れているんですよね。

――この本の表紙にはそんなエピソードがあったんですね。

光浦:ダコタの家には、2週間に1回、近くに暮らすダコタのお友達が集まって、お茶をしながら、社会情勢を話したり、みんなが平和になるといいねとか、ただただおしゃべりをするだけの会があるんですが、私も今、それに入れてもらっているんです。みんなとてもおおらかで、メンタルの成熟度が高い人たちばかり。そのうちの一人は、バンクーバーに今増えているホームレスの薬物依存症の人たちをサポートするボランティアをやっていたり。困っている近所の移民の人らを助けたり。「人のために」という生き方がごくごく自然。ダコタやそこで知り合った先輩たちの生き方に触れて、憧れの人ができた感じです。

――今のエピソードを伺ってもそうですが、本に書かれているカナダで出会った人たちとの関わりを通して光浦さんが感じたことや、ご自身の変化をエッセイにして伝えてくれることは、読み手にも気づきを与えてくれるような気がします。本には、「ポジティブな感情」を表すことへのご自身の変化も書いていらっしゃいますね。

光浦:ポジティブな感情や喜びは照れずに表現した方がいい。それはカナダに住んで自分が変わったことのひとつです。人を褒めるって、言ったら言っただけ得しかないんだなと思います。というのは、普通に道を歩いていても、「素敵なスカートね」とか気軽に声かけられるんですよ。いいなと思ったことを口に出して言われて、嫌な気持ちなんてしないですからね。「嘘つけ!」なんて思ったことないわけですよ。こんなにいい気分になるなら、なんでもかんでも口に出せばよかったって後悔してます。10パーセントぐらい素敵だなと思ったら、もう言っちゃっていいんだなと。

――それは嘘ではないですもんね。

光浦:いつも過半数行かないと口に出さなかったんですよ。でももっと褒めていい。で、もう全員がそれやり合ったらいいなと思います。

カナダでの書店事情と西加奈子文庫

――カナダでの読書体験も聞かせてください。カナダではどんな本を読んでいますか?

光浦:実はカナダに行ってから、ほとんど本を読んでないんです。英語の本を頑張って読んだけど、1年に2冊読んだかどうか。というのも、私の英語力で楽しめる本がなかなか見つからない。それで、ダメ元で本屋に行って店員さんに相談したんです。「私はすごく読書が好きだけど、私の英語力だとキッズの本になってしまう。だけど、キッズの本は物足りない。私の能力で読めるサスペンスを読みたい」とリクエストしたら、5冊ぐらいピックしてくれて。本に詳しい優しい店員さんでした。それを一冊、読みましたね。

――どうでしたか?

光浦:読んだけど、ちょっと好みと違いました。(笑)。バトルシーンが多くて。サスペンスは心理戦の方が好きなので。心理戦は私の英語力では無理なのかも、です。

――日本の本が買える書店もあるのでしょうか。

光浦:ダウンタウンにおしゃれな雑貨も一緒に置いてある「Indigo」という大型書店があるのですが、英訳された日本の漫画はたくさん売っていますが、日本の小説とかはたまーに見かけるぐらいかな。だから、日本語の本を読みたい人は、図書館に行ったらいいですよ。「Central Library」という円形のコロッセウムみたいな図書館があって、私はしょっちゅうそこに行って勉強しています。

――そこに日本語の本があるんですね。

光浦:あと、私には西加奈子文庫があるので。

――西加奈子文庫、とは?

光浦:西さんがカナダにいる時日本語の小説を編集者の人がいっぱい送ってくれたそうなんです。西さんは癌の闘病中、それらの本に助けられたそうです。それで西さんが日本に帰る時に、好きな本持っていっていいよと言うんで、20冊くらいいただきました。編集者がセレクトした本の中からセレクトしてるから、もう全部5つ星みたいな小説ばかり。日本語の本はあまり読まないようにしていたのですが、読み始めたら止まらなくて、中でも宇佐見りんさんの『くるまの娘』は面白かった。久々の日本語だったし、天才だよ!天才だよ!って、西さんやカナダに住む日本人の友達たちにメールしたくらいです。

カナダ4年目にして、飽きることがない毎日

――カナダに行かれてから光浦さんはインスタを始めたり、YouTubeもスタートされたりと、発信のチャンネルを増やしていらっしゃいますが、今後、自分の発信の仕方はどうされていく予定ですか?

光浦:youtubeを始めましたが、すでに息切れしました。頑張ります。

――インスタを拝見すると、カナダで手芸のワークショップも開催されているようですね。

光浦:語学学校の後、2年間、カレッジの料理コースに通って、3年の就労ビザをゲットしたんです。まずは自分がカナダでお金を稼げるものは何だろうと考えて、私、手芸が得意だぞ、ということで、ワークショップをやり始めました。来てくれるのは、向こうに住んでいる日本人だったり、アメリカからも来てくれます。すごく楽しかったと言ってくれる人もいて、ここが今、みんなの憩いの場になりつつあるんです。近々クラフトマーケットで作品を売ってみようかと。あとは、ナイトマーケットの屋台でコリアンチキンを売るバイトをしたり、俳優業もやってみたいから、オーディションを受けたり。自分の経験や得意なことを売り出していくことを、今、1個ずつ1個ずつ自分でやっているんです。だから何やっても面白くて、カナダ生活4年目になりますが、毎日ドーパミン出まくりで飽きることがないのですよ。

――もともと、留学は何年のつもりだったのですか?

光浦:1年。大竹まことさんの「ゴールデンラジオ!」にレギュラー出演させてもらっていたので、留学前に「1年で戻ります!」って言って、「じゃあ1年間席空けとくね」と言ってもらっていたんですが、最初の1年じゃあ、全然英語が喋れるようにならなくて、それで悔しくてもう1年、と、延ばしているうちに(笑)。

――どんどんカナダでやりたいことが生まれてきているんですね。しかもまだ、この本にはカナダ留学1年目のことしか書かれていませんから、光浦さんの人生の続きを読みたいと思う人はきっと多いはずです。

光浦:料理学校の「カレッジ編」は、英語が聞き取れない中での授業のことや、シェフや同級生と揉めた話とか、細かい世界の話も入ってくるので、さらにドラマチックになると思います。書きたいことがたくさんあるので、また本にできるといいなと思いますね。

文=川口美保 撮影=深野未季(文藝春秋)

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