《谷崎潤一郎賞・中央公論文芸賞 贈呈式》荻原浩「自分自身がずっと深い森の中を彷徨っているようだった」

荻原浩さん(右)と、谷崎潤一郎賞を受賞した柴崎友香さん(左)(撮影◎本社・武田裕介)
第19回「中央公論文芸賞」受賞作品は、浅田次郎、鹿島茂、林真理子、村山由佳(五十音順)の四氏による厳正な選考の結果、荻原浩さんの『笑う森』(新潮社)に決定しました。10月17日、都内で行われた贈呈式の様子と、『婦人公論』11月号に掲載された受賞のことば・選評を掲載します。

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【書影】中央公論文芸賞を受賞した『笑う森』の作者・荻原浩さん

第19回「中央公論文芸賞」受賞作
『笑う森』(新潮社)荻原浩


正賞── 賞状
副賞── 100万円、ミキモトオリジナルジュエリー

2022年10月17日(木)東京・有楽町の東京會舘にて、第60回谷崎潤一郎賞と第19回中央公論文芸賞(中央公論新社主催)の贈呈式が行われました。

谷崎潤一郎賞は、柴崎友香さんの『続きと始まり』(集英社)、中央公論文芸賞は荻原浩さんの『笑う森』(新潮社)が受賞。

選考委員を代表して、谷崎賞は桐野夏生さん、中央公論文芸賞は鹿島茂さんがそれぞれ講評を述べました。

中央公論文芸賞の受賞の言葉と各選考委員の選評を紹介します。
(谷崎潤一郎賞の受賞の言葉・選評は、中央公論.jpにて掲載しています)

《受賞のことば》

深い森の中を彷徨って 荻原浩

このところ学生時代の仲間たちが次々とリタイヤしている。みんなヒマなようで、『いま軽井沢。ヤッホー』とか『朝の散歩が終わって焼酎飲んでます』なんていうお気楽なメッセージがスマホに届く。こっちは原稿が進まなくて、パソコンの前でため息をついているというのに。

おまえらグループラインをインスタと勘違いしてないか。朝から焼酎はやめろ。ほんとにまったくもう、うらやましい。こんな時、ふと考えてしまうのだ。自分の定年はいつなんだろうと。小説家にもスポーツ選手のように引退時というものがあるのではないかと。

そういえば、最近、作中のなにげないフレーズが、死語に思えてきて、パソコンで検索してしまうことが増えた。『写メ 死語』『マジ 死語』『ダイヤルを回す 古語』

ワンフレーズならまだいいが、自分の書いている物語そのものが、世間とズレてはいないかが心配だ。『荻原 死話』

あと何年続けられるだろう。そろそろ休んでもいいかも。俺も『ヤッホー、朝から酒飲んでまーす』と誰かにラインしてみたい。そんなことを考えていた矢先に、中央公論文芸賞をいただきました。ぐずぐず言わずに、もう少しやってみろと背中を押された気がした。

うん、がんばります。自分にあとどのくらい時間が残されているかはわからないが、こうなったら、かすみ目でキーボードと間違えてジャンボ板チョコを叩くようになっても、チョコを叩く指という指が、肘という肘が(二つだけか)関節炎で痛んでも、前回書いた内容を忘れて次号にも同じことを書いた原稿を送るようになっても(いや、これは誰か注意してください)続けようじゃないか。

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賞をいただいた『笑う森』は、『週刊新潮』に一年間連載したもの。私は綿密にプロットを立てるほうではないし、原稿を早めに書きためておくタイプでもないから(威張ることではないが)、週刊連載は綱渡りだった。しかもこの小説は、登場人物それぞれが章ごとに視点の主になり、時間の流れも行きつ戻りつする、ややこしい構成で、この方向で間違いはないのか、読む人にわかってもらえるのか、そもそもいまどこへ向かって進んでいるのか、連載中は毎週手探りで、自分自身がずっと深い森の中を彷徨っているようだった。

物語の中の小樹海「神森(かみもり)」は架空の場所だが、書きはじめる前に、本物の青木ヶ原の樹海に行ってきた。昼と夜、二回。紅葉の盛りだった昼の樹海は、静かで素晴らしく美しかった。冬の手前に行った夜の樹海は、寒くて夜空がきれいで闇が恐ろしい場所だった。

夜の森で確かめたかった第一は、人工の照明のない中で、他人の動作や表情がどこまで見えるのかだったのだが、何も問題なかった。月明かり、星明かりだけでじゅうぶん明るいのだ。そして不思議なもので、闇の中にしばらく居ると目が慣れてくる。真っ暗だった周囲の風景がぼんやり見えてくるのだ。夜の樹海を歩いた頃にはまだ、登場人物たちの容姿や素性は曖昧だったのだが、連載開始時にはキャストが出揃った。みんな樹海のあの闇の中から、ひょっこり出てきてくれたのだと思う。

資料を集め、勉強に時間を費やしたのは、森のことではなく、物語の主人公の一人、真人(まひと)の特性であるASD(自閉症スペクトラム障害)について。当事者でもない人間が、他人の障害を物語の都合で扱っていいものか、書きはじめてからもずっと悩んでいた。

だが「ASDにはさまざまなタイプがあって、症状はひとくくりにできない」資料のあちこちに出てくるそんな言葉や、いろいろあっても状況を明るく笑う当事者の声を、勝手ながらよりどころにして、ASDは真人という子どもの個性であって、彼の短所であり、長所でもある。そんなふうに書いたつもりだ。この小説を読んでくれた人たちにも、そう思ってもらえれば、ありがたいです。
 

荻原浩さん(撮影◎本社・奥西義和)
おぎわら・ひろし/1956年埼玉県生まれ。広告制作会社勤務等ののち、97年に『オロロ畑でつかまえて』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2005年『明日の記憶』で山本周五郎賞、14年『二千七百の夏と冬』で山田風太郎賞、16年『海の見える理髪店』で直木賞を受賞。近著に『楽園の真下』『ワンダーランド急行』など

『笑う森』(著:荻原浩/新潮社)

【選評】

「篤実」 浅田次郎


作家の人柄は作品に表れるという。

正しくは真摯に自身と対峙し続けた人が作家として残るのであろう。まさしく文は人なりである。

荻原浩氏をよく知るわけではないが、作品は好んで読ませていただいているから、多年の知己のような気がする。温厚篤実で衒いのない人である。

ところで、ふつうそうした人物は話がつまらないはずなのだが、この人の小説は面白い。面白いというのは筋立てのみならず、人物造形が確かで背景も美しく、かつテーマとなる社会的訴求力を兼ね備えているという意味である。

果てなき樹海の中で、迷子が多くの人々に出会った奇跡。しかし誰も保護してくれなかった不運。小説のグランドデザインはそれである。しかるにこれを現代社会そのものになぞらえるのは早計で、むしろ「人間も天然の一部分」と解釈するのが適切であろう。よってさきのグランドデザインには、天然の森と同様に必然と偶然が交錯して形をなす、という精妙なストーリーが加わる。

このように考えると、作者が『笑う森』を書くにあたってのご苦労は察するに余りある。登場人物がそれぞれに抱える不幸の諸相を書き分けるのは難しい。まして実は迷える子羊である彼らを導く少年は障害児である。

こうした創作上の困難をそうと見せずに克服しえたのは、ひとえに作者の篤実さであろう。実に文は人である。
 

「大きな謎に挑戦した」 鹿島茂


樹海のような森でASDの五歳児・真人が行方不明になり、母親であるシングルマザーがSNSで激しいバッシングにさらされる。七日後、真人は無事、消防団員に発見されるが、「クマさんが助けてくれた」としか言わない。果たして真人は森の中でなにに出会い、どうやって一週間を生き抜いたのか?

これが荻原浩さんが自らに設定した「解かれるべき謎」ですが、おそらく、荻原さんは謎の中に謎があり謎の外にも謎があるというこの物語の構造に魅せられたのではないでしょうか? すなわち、人の心、言語や記憶、また善意やエゴイズムといった大きな謎が入れ子構造になっているために、より大きな謎に挑戦してみたくなったにちがいありません。

謎解きの探偵役を務めるのは真人の叔父に当たるですが、手掛かりとなるのはASDの真人の発する不可解な歌詞やCMの断片だけです。冬也は謎を探るべく森の中に入っていき、真人が出会ったとおぼしき数人を突きとめますが、そこから別の問題があらわれます。森で真人と出会い、置き去りにした人たちの心が問題となるからです。

しかし、これらの謎が作者の手ですべて解かれたあとも大きな謎が残されています。森そのものがASD児と「心の会話」を交わしたとしか考えられないということです。

この意味で『笑う森』というのは作品全体を見事に象徴したタイトルなのではないでしょうか?
 

「現代を燻り出す」 林真理子


荻原浩さんの『笑う森』を非常に面白く読んだ。

サスペンス小説の形をとりながら、さまざまな人間を浮かび上がらせている。発達障害のある五歳の幼児が、どうして暗黒の森を生きのびることが出来るか、というテーマは、
「いかに人は、この複雑な時代を生きのびていくのか」
という問題にゆきつこうとしているのではないか。

幼児が森で出会う四人の大人は、自らの悩みを抱え、すぐに幼児を救い出すことはしない。ヤクザの男がいちばん誠実で、自分の命を懸けて幼児を救い出そうとしているのであるが、あとの三人は目先のことしか考えず、通報もしないで食べ物を与えるだけだ。特にユーチューバーの男の自分勝手さは、空怖しくなるほどで到底受け容れられるものではなかった。

自殺願望を持つ女性の行動も奇異にうつる。

が、こうしたエゴイズムも含めて、作者は現代を燻り出そうとしているようである。後半のSNSの投稿犯人を探し出すくだりは、ややドタバタの感を持つが、このシーンは冒頭のユーチューバーと呼応している。激しい自己承認欲求は、何も語らない無垢の幼児と実に対照的だ。

森の描写が素晴らしく、読んでいると漆黒の闇や動物の息づかいも聞こえるようだ。この中をさまよう幼児は、出会う大人たちの人生を変え、希望を与えていく。この構成は見事だ。
 

「優しい豪腕」 村山由佳


荻原浩という作家は、読者を引きずり込む天才だと思っている。

森の中で子どもが行方不明になる。ほんの一瞬目を離した咎で、保護者が世間から糾弾される……とくれば、現実に起こった近年の事件を思い起こす人も多いだろう。

この物語では、保護者はシングルマザー、いなくなった子どもはASD児であったので、さては子育てが重荷になった母親がわざと子どもを置き去りにしたのでは、などという憶測が飛び交い始め、身元は晒し上げられ、誹謗中傷はエスカレートし、その果てに──。

題材としては決して明るい話ではない。自分だけ安全なところからものを言う、顔のない何者かによる攻撃。〈善人〉の皮をかぶった誰かが自信たっぷりにふりかざす正義。真夜中の森よりもなお黒々とした現代社会の闇、魂の暗がりを、事細かに書き立ててゆけばまるで別の小説になっていただろうし、むしろそのほうが簡単だったかもしれない。

けれども荻原浩はそうはしないのだ。子どもも、その母親も見捨てない。子どもが森で出会う人々はそれぞれ不完全でとことん手前勝手なのに、そんな彼らですら見捨てない。それでいて、風呂敷を畳む手つきがご都合主義に陥らないとなれば、これはもう、優しい豪腕としか言いようがない。

ラスト近く、あるものが「子かもしれないものを抱」く場面の描写は、泣きたくなるほど美しかった。生命へのこの肯定こそ、荻原浩の作品が熱い支持を受ける所以であろう。

荻原さん、ご受賞おめでとうございます。
 

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