ジェーン・スー 母は結婚を機に仕事を辞めて専業主婦に。私は「母が選ばなかったほうの母の人生」を生きている自分に気が付いた

イラスト=川原瑞丸
ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。今回は「自分の輪郭」。現在の法律婚について、スーさんが懸念を抱く理由とは――。

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自分の輪郭

先月の結婚観にまつわるエトセトラの続きです。

戦後に制定された日本国憲法には、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と記されている。

妻を「無能力者」と規定した(ひどい話!)明治時代からの家制度は廃止され、夫婦を対等な存在と認め個人の尊厳を重んじる法律に変わった。男女平等の観点から、原則的には夫婦どちらかの名字に統一すればよいことにもなった。にもかかわらず、2021年の調査では、婚姻届を提出した夫婦のうち約95パーセントが夫の姓を選択している。消滅したはずの家制度が、夫の姓を新しい家族の姓にする形で継承されているように、私の目には映る。

同姓、別姓、複合姓(お互いの名字をくっつけたもの)のいずれかを選べる欧米諸国にも、夫の姓を名乗る夫婦が7割を超える国もある。しかし、別姓と複合姓の選択肢があることがなにより重要だ。対等な夫婦が相互協力するのに、同一姓である必要はない。加えて、名字を夫のそれに揃えることで、妻が後から入ってきた者として下に置かれ、対等な立場が築けないのではと、私は懸念する。

他国の事情はわからないが、こと日本の法律婚においては、日常生活を送るうえで法律より強い拘束力を持つこともある社会のムードが、妻の立場を弱くしているように思えてならない。明治の家制度では家族の構成員に序列がつけられていたが、それは完全に解消されただろうか。選択的夫婦別姓が実現すれば、少なくとも妻の「個」は残ると考えるのは楽観的すぎるだろうか。

と、ここまで書いて、私がなぜこれほどまでに法律婚に疑いの目を向けるのかと考えてみると、やはりそこには両親の存在が色濃く影響していることに気づく。

両親の存在

仲の悪い夫婦ではなかった。父は夫としても親としても問題のある人物だが、母と父はある種の同志として強い結びつきがあった。それでも、映画雑誌の編集者として活き活きと働いていた母が結婚を機に仕事を辞め、専業主婦として父と私の生活を支える側にまわったことに、私は静かに怒っているのだ。たとえそれが母の選択だったとしても。

十分な愛情を私に注ぎ、生活すべてをケアしてくれた母に対する恩は計り知れないほどあれど、結婚せず働き続けていたら、もっと自分らしく生きられたのではなかろうかと思わずにはいられない。ある時から私は、「母が選ばなかったほうの母の人生」を生きている自分に気が付いた。

生前の母が、「あー、3000万円あったら離婚したいわ!」と悪ふざけで言ったのを覚えている。働き続けていたら、3000万円などなくとも離婚できただろう。だが当時は、結婚したら女は仕事を辞めるものだった。

私が小学生のころ、母が週に1度だけ外に働きに出ていた時期があった。家に誰もいないのがつまらなく、仕事を辞めてと懇願した記憶もある。あんなこと言わなければよかった。母にとって、妻でも母でもない自分の輪郭を確かめられる貴重な時間だったろうに。

母が学生時代の友人から旧姓で呼ばれるのも好きではなかった。知らない母がいることが不安だったから。しかし、父と夫婦になる前の母は当然存在していたのである。結婚が、それをプツリと切ってしまったように思えてならない。

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