水森亜土「両手で絵を描くパフォーマンスは、お母ちゃんのアドバイスから。悲しいときはピンク色で絵を描いて。今はお風呂で歌を歌っているときが幸せ」
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【写真】水森亜土さんのイラスト。「歌いながら描くと口の中にカラースプレーが入ったりしたけど…」
ジャズを聴きながらウイスキーをロックで
「幸せな瞬間は?」と聞かれたら、やっぱり、絵を描いているときかな。びっくりするような足の長さの人や、現実ではありえないような顔立ちとか髪形とか、「私、こんなだったらいいなぁ」っていう、自分にはない理想を描けるのがうれしい。
テレビのニュースを見ていても、戦争とか政治とかガックリすることが多いじゃない。そんな現実から、自分を遠ざけたいというか。絵を描いていると、なんとな~く違う世界に行ける気がするから。
子どもの頃から絵を描くのが大好きで、いつもスケッチブックを持ち歩いてた。好奇心が旺盛でなんにでも興味津々。
電車の中でも人を観察してサッサッと描いちゃう。つり革をつかんでる手とか、疲れてる表情とかね。それで、「この人、うちに帰ったら何食べるのかな?」なんて、想像するの。頭の中でいっぱいいろんなことが広がるから、どんどん楽しくなるし、飽きない。
悲しいときや、落ち込んでいるときは、なぜだかピンクに黄色、赤なんかをよく使うの。色で感情をごまかしてるのかな。元気なときはブルーやグリーン、グレーでも描けるんだけど、悲しいときはそういう色、使えない。
居間に飾ってある真っピンクの髪の女の子の絵は、すっごく悲しいときに描いたの。今も見るとそのときの気持ちをありありと思い出しちゃうんだけど、明るい色で塗ると自然に元気になるんだ。
それから、ジャズを聴きながらお酒を飲むのもいい。昔はワインだったけれど、最近はウイスキーをロックで。
ルイ・プリマっていうニューオーリンズ出身のジャズシンガーがいて、落ち込んだときはその人の曲を聴いていると、自然と身体が動いたり、足が動いたりして、気持ちが晴れてくる。「負けないぞ」みたいな。でも、ときには負けちゃったりもするんですけどね。エヘッ。
やっぱりお母ちゃんは強かったんだな
生まれは日本橋室町。メタンガスの泡がぶくぶく浮かぶ日本橋川を、お風呂に浸かりながらじっと眺めたりしてました。
お父ちゃんは建築家だったけど遊び人で、しょっちゅう女優の木暮実千代さんやお友達とマージャンやってて。お母ちゃんは画家で、趣味もたくさんあって、忙しい人だった。
私の絵を見て、「おまえの絵は根本的に間違ってる。手はあんなところから出ないわよ」とか、うるさいの。そう言われるとますます、「じゃあ、直すのはやめよう」と思っちゃう。絵なんだから、手は変なところから出たほうが面白いじゃない? 現実から離れられるのが絵のいいところだと思うから。
お母ちゃんには「おまえはヘンテコ」とよく言われて、でもほかにどうやったらいいかわかんなくて、ずっとヘンテコできたの。
高校を出た後、美大には全部落ちちゃって。行くとこがなかったとき、お母ちゃんがハワイに留学させてくれた。絵と音楽にたっぷり浸って楽しかったな。
それから日本に帰ってきて、テレビで歌いながら絵を描くお仕事を始めたんだけど、これもお母ちゃんのおかげで。
オーディションを前に、「おまえね、美大出のすごい人は大勢いるんだから。人前で描くときは人と同じことをしちゃダメだよ。ちょっと工夫して、違うことやんな」ってアドバイスくれて、両手で絵を描くパフォーマンスを思いついたの。
私は左利きで、子どもの頃に矯正されたから、両方使える。ズボンの7つのポケットにいろんなペンやカラースプレーを入れて、一曲歌う間に透明なアクリル板に両手で絵を描いていくの。
歌いながら描くと口の中にカラースプレーが入ったりしたけど、子どもたちとはしゃいでできたから楽しかったな。あの番組には10年以上出演しました。
その頃は、収録帰りにお買い物するのも好きだった。香水や布地を買ったり、ダンス衣装のお店で、「バレリーナになりたいなぁ」って妄想したり。お買い物の後はちっちゃなラーメン屋でお腹いっぱい食べると、幸せになった。
一番落ち込んだのは、お母ちゃんが死んだとき。私が劇作家(故・里吉しげみさん)と結婚して、お芝居に出ていた頃、銀座の博品館劇場での公演中に亡くなって。舞台は何日も続いたけど、悲しすぎて、台詞を全部忘れちゃったりも。半年くらい、どこに行ってもメソメソしてた。
そのときも、音楽にはずいぶん助けてもらったなぁ。ジャズ歌手として脂の乗っていた時期だったので、歌を何十曲と覚えなきゃいけなくて。忙しかったから、落ち込んでる場合じゃないっていうのもあったかも。
お母ちゃんが亡くなってから、お父ちゃんはよくうちに来て徹夜でマージャンをしてた。気を紛らわせたかったんじゃないかな。昔から知ってる吉行淳之介さんや色川武大さんが、マージャンにつきあってくれてた。
でもね、男はかわいそうよね。悲しみのこらえ方が下手というか。お母ちゃんはそういうとき、ひとりで絵を描いたりお花を活けたりして心を慰めてた。お母ちゃんは強かったんだな。
お風呂でシャボンに包まれて
今の暮らしのなかで幸せだなぁと感じるのは、お風呂で歌を歌っているとき。声が響いて上手に聞こえるし、湯気が鼻の穴から入って全身に回る感じが気持ちよくて。湯気はね、ただぼーっと眺めてても楽しいの。
シャボンの匂いも大好き。体にいっぱいシャボンをつけて、ジャボッと湯舟に入る。よく流さないままね。(笑)
あとは、山のアトリエにいるときが一番楽しいかな。長野まで車で4時間かけて、月に2、3回は行くんだけど、行くと4日くらいはいます。着いたら、熊よけの鈴と携帯ラジオをつけ、杖をついて、柴犬のココちゃんとお散歩に行くの。
ココという名前はココ・シャネルからつけたんだけど、人間の年齢だと80歳を超えているから、私と同年代ね。
ココちゃんとゆらゆら歩いて、木の根っこにちょっとしがみついたりして、匂いを嗅いで。あっ、ココちゃんじゃなくて、私が嗅ぐの。葉の匂いや、土の中から出ている知らない芽の匂いを嗅いだり。そういうときが、一番うれしくなっちゃう。
ぶんぶん飛んでるミツバチの匂いは、ちょっとイヤだなぁ。匂いに敏感なの。鼻が大きいのかな。(笑)
ベランダにタヌキやキツネが来るのも楽しい。ただね、熊には気をつけないと。この間、窓を開けてお風呂に入って、河原をぼーっと見ていたら、真下に子熊が寝ていたの。役所に電話したほうがいいのかな、とちょっと思ったけれど、電話したら鉄砲を持った人が来ると思って黙ってた。そうしたら、熊が寝返りするとき私と目がチラッと合って、ごそごそといなくなってくれました。
絵を描いて、ジャズを聴いて、お風呂に入って、お酒を飲んで、歌を歌って。それさえあれば、悲しいことや困ったことがあっても、この先もきっとなんとかなるんじゃないかな。
木や葉っぱの匂いを嗅ぎながら、
ココちゃんとお散歩するの
08/22 12:30
婦人公論.jp