明大卒業、いよいよ受験へ!占いで「受かる」と言われるも出来の悪さに玄関で泣き崩れ…『虎に翼』寅子モデル・三淵嘉子<高等試験司法科合格>への道のり
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【書影】嘉子が生涯を賭して成し遂げたかったこととは…神野潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』
試験に合格
1938(昭和13)年3月に明大法学部を卒業した嘉子は、同年に高等試験司法科を受験しました。
2年前の1936年に初めて女性が受験していましたが、その年は合格者はなし、1937年には明大法学部在学中の田中正子(後の中田正子)が筆記試験を突破しましたが、残念ながら口述試験で不合格になっていて、この年も女性合格者はいませんでした。
筆記試験は7科目あり、論文式で、何日にも渡って行われます。
嘉子は試験に向けて半紙を二つ折りにしたQ&Aのノートを自ら作って勉強しました。
初日の筆記試験が終わった後…
筆記試験を受ける直前、嘉子はよく当たると評判の占いの先生を訪ねて、「受かる」と言われて試験に臨みました。
ところが、初日の筆記試験が終わると、嘉子はあまりの出来の悪さに、家に帰った瞬間に玄関で泣き崩れてしまいました。
家族やかつて書生として武藤家にいた野瀬高生(この時は司法官試補で、後に裁判官となります)に励まされてなんとか気持ちを立て直し、翌日以降の試験にチャレンジし、筆記試験に合格しました。
さらに、続く口述試験も突破して、初の女性合格者となったのです。
出来が悪かったどころか、とても良い成績での合格だったようです。
新しい時代の幕開け
合格者242名の中には、1回目の受験で合格した嘉子の他に、前年に口述試験で不合格だった田中正子と、明大法学部に在学中で3回目の受験だった久米愛の2名も含まれており、明大の講堂では盛大な祝賀会も開かれました。
正子と愛は27歳(年齢は正子が愛の1つ上)、そして嘉子は23歳になっていました。
3名の女性の合格は、日本の法曹の歴史における新しい時代の幕開けを意味していました。
※本稿は、『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものです。
05/10 06:30
婦人公論.jp