終戦を迎えるも『虎に翼』寅子モデル・嘉子は新婚の夫と死別。さらに翌年には…追い込まれた嘉子が決意したこととは

(写真提供:Photo AC)
24年4月より放送中のNHK連続テレビ小説『虎に翼』。伊藤沙莉さん演じる主人公・猪爪寅子のモデルは、日本初の女性弁護士・三淵嘉子さんです。先駆者であり続けた彼女が人生を賭けて成し遂げようとしたこととは?当連載にて東京理科大学・神野潔先生がその生涯を辿ります。先生いわく「お嬢様育ちだった嘉子は、自らの力で人生を切り拓かなければいけない状況に追い込まれていた」そうで――。

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【書影】嘉子が生涯を賭して成し遂げたかったこととは…神野潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』

夫の死

終戦を迎え、嘉子は稲田登戸の両親のところへ戻り、再び明治女子専門学校の教壇に立ちます。

とはいえ、多くの人がまたそうであったように、戦後の混乱の中で嘉子の苦労は続きました。

1946(昭和21)年5月23日、上海から引き揚げてきた夫の芳夫が、持病であった肋膜炎により、長崎の陸軍病院で亡くなりました。

結婚してからわずか4年半、一緒に暮らすことができたのは3年程度でした。

悲しみを乗り越えて

さらに、あくまで史実としては、1947年1月、いつも応援し続けてくれていた母のノブも、脳溢血で亡くなりました。

嘉子は、長い時間が経ってからも、この戦時中・戦後の辛さを思い出して、友人や同僚の前で涙を流すことがしばしばあったそうです。

自他ともに恵まれたお嬢様育ちだった嘉子は、悲しみを乗り越えて自らの力で人生を切り拓かなければいけない状況に追い込まれていました。

強く生きていく決意

逆境の中で、嘉子は強く生きていこうと決意し、夫を失った自分自身にとって、また女性にとって、特に大事なのは経済的自立だと考えるようになります。

1947年3月、嘉子は司法省を訪れ、大臣官房人事課長の石田和外(後の最高裁判所長官)に対して、裁判官採用願を提出しました(司法省は法務省の前身ですが、裁判官の人事権を掌握するなど、法務省とは位置づけが異なります)。

<『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』より>

それまで、裁判官・検察官になった女性は一人もおらず、しかし実は「男性に限る」という規定が存在していたわけではありませんでした(つまり、規定はないのに、採用面などでの実態において、男性に限られていたのです)。

男女差別に対する怒りを感じて

男女平等を認めた新しい日本国憲法が施行されようという時期で、そのもとで、女性も裁判官になれるはずだ、なれるようでなければならない、と嘉子は強く思っていました。

かつて高等試験司法科を受けた時、司法官(裁判官・検察官)試補採用の告示に「日本帝国男子に限る」と書かれていたのを見て、男女差別に対する怒りを感じていました。

その気持ちも、嘉子の背中を押しました。

※本稿は、『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものです。

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