『光る君へ』藤原だらけのドラマでまひろが「藤原*子」と名乗っていない理由とは…<平安時代の女性の名前の謎>を日本史学者が整理

(写真提供:Photo AC)

大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。2024年1月7日から放送が始まりましたが、「藤原の名前多すぎ!」などと、さっそくネット上にはその複雑な人間関係についての感想があがっています。そこで日本史学者の榎村寛之さんに「当時の女性名」を取り巻く事情についてあらためて整理してもらいました。

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実は「子」の付く名前は少なかった

NHK大河ドラマ『光る君へ』の視聴者の感想を追っていると、平安時代が大好き、という方の間に「詮子がひろこ、貴子がたかこ、というのはしっくりこない。センシ、キシがいい」というものがしばしばみられる。

ドラマではこれから定子も彰子も出てくるので、もっと増えると思うが、一方で「まひろ」という名前がそもそも平安時代としてアリなのか、という声もある。

平安時代の女性の名前の取り扱いはなかなか難しい。

拙著『謎の平安前期』(中公新書)にも少し書いたが、奈良時代には戸籍制度が機能していたので、全ての人の実名は政府に掌握されていたし、女性は宮廷でバリバリ仕事をしていたから、歴史書『続日本紀』にもたくさんの名前が出てくる。

しかし「*子」はほとんどいない。

そのわずかな例の中に、権力者藤原仲麻呂の妻で、高級女官だった「宇比良古」(うひらこ)という人がいる。しかしこの人には袁比良・袁比良女・袁比良売など別の表記もある。

女・売は「メ」と読み、いわば女性であることを示す記号のようなもの。だから聞いたとおりに万葉仮名で書いた「宇比良」(うひら)あるいは「袁比良」(おひら)が本来の名前で、それに付く女、売、そして古が女性のしるしになるわけだ。

そしてこの「古」こそ、「子」の原型なのである。

「子」は職業ネームだった

子のつく名前だと、奈良時代なら藤原光明子(こうみょうし。光明皇后)が有名だ。

『謎の平安前期―桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年』(著:榎村寛之/中公新書)

しかし彼女も実名は安宿媛(あすかべひめ)と言い、光明子は大人になってからの名前である。

もともと「子」は「孔子」や「老子」など、女性に使う字ではなく「さん」程度の意味で、わが国でも、小野妹子や中臣鎌子(藤原鎌足の前名)など男性の名前に使われていた。

ところが平安時代に入り、9世紀になると、子のつく女性名が次第に増えてくる。たとえば桓武天皇や嵯峨天皇の後宮にも、*子型の女性は数多く見られる。

しかしこれらは、妃や斎王など、高い身分の女性たちや宮廷女官など、いわば公的な立場を持つ人の職業ネームに過ぎない。つまり現代で言えば「**女史」(最近はあまり使わないが)が、そのまま名前になった感じだ。

女性名は訓読みだった

さらに「子」の中には、藤原「多賀幾子」(文徳天皇女御)や藤原「多美子」(清和天皇女御)など、万葉仮名表記に子をつけたものも見られる。

これらは「たかきこ」「たみこ」などと訓読みをされていたことが明らかだ。

しかし訓読みはむずかしい。普通なら「よしこ」と読める人も、実は「よきこ」などと読まれていた可能性がある。

たとえば文徳天皇の妃で清和天皇の母、藤原明子には「あきらけいこ」という古訓もある。

なお「テイシ」「キシ」など音読の呼び方は、「訓読みは難しいから」と、近代になって流行したものである。

就職しなかった人の場合

また、貴族の娘であっても后妃や女官など公的な立場になかった人は、いわば社会人ではないので、*子型の名前を持たなかった可能性が高い。

たとえば『落窪物語』には「あこき」という、ヒロインを助ける若い女房が出てくる。

実在の人物では、藤原兼家の異母姉妹で、醍醐天皇皇子の左大臣源高明と結婚した愛宮(あいみや・あいのみや)という姫君がいる。彼女も幼名が通称になった可能性があるだろう。

『源氏物語』「玉鬘(たまかずら)」巻では、源氏のかつての恋人である夕顔の忘れ形見の、通称「玉鬘」という少女が九州から上京して初瀬(奈良県の長谷寺)に参籠する。

そのとき、元・夕顔の侍女で今は光源氏に仕える右近という女房が、観音に玉鬘の無事を祈願しているところに出くわす、という場面がある。

このとき、右近は彼女を「藤原瑠璃君(るりぎみ)」と呼んでいる。この「瑠璃君」もおそらく幼名だろう。

まひろが「藤原*子」と名乗る可能性も

以上、氷室冴子さんの『なんて素敵にジャパネスク』のヒロイン、はっちゃけた瑠璃姫の名にも、ちゃんとした根拠があるわけだ。

ちなみに氷室さんは愛宮という名がお気に入りだった、というのはご本人から直接伺った話。

「女房三十六歌仙図画帖」より紫式部 斎宮歴史博物館提供

そして『光る君へ』の「まひろ」もこのタイプの名前だと思う。

彼女が藤原彰子の元に就職したとき、公的な立場を得たら、藤原*子と名乗る可能性もある。中宮の女房を私的な使用人とするなら、*子型の公的な名前は名乗らないまま、まひろ、通称「紫式部」で行くのかもしれないが。

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