自民総裁選 前回令和3年は河野太郎氏有利の下馬評を覆す結果に、高市早苗氏は躍進

菅義偉首相(肩書はいずれも当時)の任期満了に伴い、令和3年9月29日に投開票された前回の自民党総裁選は、岸田文雄前政調会長、河野太郎ワクチン担当相、高市早苗前総務相、野田聖子幹事長代行の4人が新型コロナウイルス対策や経済対策、安定的なエネルギー供給の在り方、党役員任期の制限など党改革を巡って論戦した。女性候補2人が出馬したのは初めてだった。岸田氏が勝利を収めたが、下馬評で有利とされたのは河野氏だった。

小石河連合の「失速」

令和2年9月の総裁選で勝利した菅氏は当初、再選を目指す考えを明言しており、安倍晋三前首相や二階俊博幹事長らも菅氏の続投を支持した。ただ、新型コロナの感染拡大や繰り返される緊急事態宣言で国民の不満は募り、内閣支持率は低迷する。3年8月22日、菅氏が、お膝元の横浜市長選で全面支援した小此木八郎前国家公安委員長が破れると、衆院選を前に「菅氏では戦えない」との不満が党内で渦巻いた。

菅氏は局面打開として党役員人事の実施も模索したが、側近の小泉進次郎環境相も「2050年カーボンニュートラル」など菅氏が掲げた政策の継続を重視し、水面下で同じ神奈川県連の河野氏への〝バトンタッチ〟を求める。デジタル庁の創設に携帯電話料金の引き下げ、新型コロナワクチンの「1日100万回接種」の達成─。これらの実績を挙げ、目立った失政がなかった菅氏だったが、9月3日、「新型コロナ対策に専任をしたい」と述べ、事実上の退陣を表明した。

河野氏は10日に立候補を正式に表明する。次期首相候補を尋ねる報道各社の世論調査で石破茂元幹事長とトップ争いをしていたが、令和2年の総裁選で惨敗した石破氏は自身が創設した石破派(水月会)に厭戦感が根強く、出馬を断念。小泉氏とともに河野氏支援を決めた。世論の人気が高かった3人は頭文字から「小石河連合」と報じられ、河野氏の党員票優位が予想されていた。菅氏も河野氏を支持した。

これに先立ち、総裁選の告示・投開票日程が決まった8月26日、岸田、高市両氏はそれぞれ出馬会見に臨む。岸田氏は自身が率いる岸田派(宏池会)に加え、河野氏らが唱える急進的な脱炭素政策などに距離を置く麻生派(志公会)の甘利明税調会長や無派閥の梶山弘志経済産業相らが支援を表明した。安倍氏は菅氏が出馬を見送った後は、高市支持を決め、細田派(清和政策研究会)議員らに働きかけていく。

1回目も1票差で勝ち切る

野田氏は20人の推薦人確保に難航したが、告示直前に渡海紀三朗元文部科学相が最後の1人に手を上げた。

選挙戦で岸田氏はA6判の「岸田ノート」を手に掲げ、「聞く力」をアピール。中国の人権問題に対応する首相補佐官新設も表明した。高市氏は憲法改正や靖国神社参拝、選択的夫婦別姓導入の反対、皇位継承の男系維持など保守色を出し、保守派の受け皿となる。

河野氏は「女系天皇」や「脱原発」など持論の封印を試みたが、党内に警戒感も広がった。選挙戦最終盤に岸田、高市両陣営の幹部は決選投票で河野氏が勝ち上がった場合、両陣営が協力する方針も確認した。

1回目の投票は河野氏が有利とみられていたが、岸田氏が256票─255票と河野氏を「1票」上回った。高市氏も188票と躍進した。河野氏と一騎打ちとなった決選投票で岸田氏は国会議員票(249票)で河野氏(131票)に大差をつけ、都道府県連票も合わせて257票─170票で河野氏を下し、第27代総裁に就任した。(奥原慎平)

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