石破茂氏、「最後の戦い」で宰相に=安保の政策通、論戦力が武器―自民総裁選

新総裁の横顔



「最後の戦い」と位置付けた5度目の総裁選挑戦で「首相」の椅子を手にした。高い知名度や論戦力を武器に、党内の国会議員で「不人気」という課題を乗り越えた。臨時国会や次期衆院選で真価が問われる。
父は鳥取県知事や自治相を務めた二朗氏。慶大卒業後、三井銀行(当時)を経て1986年衆院選に自民党から立候補し、29歳で初当選。93年に政治改革を訴えて離党、97年に復党した。
党内きっての政策通として知られ、特に安全保障分野に詳しい。防衛相当時、未確認飛行物体(UFO)への自衛隊の対処で「災害派遣が使えるのか。領空侵犯でもなさそうだ。防衛出動なのか」と真剣に語った。戦闘機や軍艦のプラモデル作成が趣味。
総裁選では「アジア版NATO(北大西洋条約機構)」構想や「防災省」設立を訴えた。他候補からは異論も上がり、実現に向けた指導力が試される。
時の政権批判もいとわない「党内野党」の立ち位置が定着し、議員票が弱点だった。2012年総裁選では決選投票で安倍晋三氏に逆転され、前回21年は出馬断念を余儀なくされた。
一方、国民的な人気は安定して高く、「次期総裁にふさわしい人」を尋ねる世論調査では上位の常連。今回は「議員に評判が良くない」と自覚し、100人超の議員を対象に、自ら電話で支持を求めた。最終盤には、かつて首相退陣を迫り確執があるとされる麻生太郎副総裁とも面会した。
鳥取県出身として初めての首相となる。70年代のアイドルグループ「キャンディーズ」(解散)や鉄道の大ファン。22年、有志議員による「ラーメン文化振興議員連盟」を設立し、会長に就任。カレー作りが特技。


◇石破茂氏の歩み=自民総裁選
1957年2月石破二朗氏(元鳥取県知事、元自治相)の長男として生まれる
79年3月慶大法学部を卒業
4月三井銀行入行
86年7月衆院選初当選
93年12月自民党を離党
97年4月自民党に復党
2002年9月小泉内閣で防衛庁長官として初入閣
07年9月福田内閣で防衛相に就任
08年9月党総裁選に初出馬
09年9月野党・自民党の政調会長に就任
12年9月総裁選に出馬し、安倍晋三氏に敗北。党幹事長に就任
14年9月幹事長を退任し、地方創生担当相に就任
18年9月総裁選で再び安倍氏に敗北
20年9月総裁選で菅義偉氏に敗北
21年9月総裁選出馬見送り
24年9月総裁選に5度目の挑戦で勝利

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