インネパが急増した裏事情。カレー屋が本業だったはずが…/カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」⑤

『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(室橋裕和/集英社)第5回【全7回】 いまや日本中で見かけるようになった格安インドカレー店。そのほとんどがネパール人経営で、いわゆる「インネパ」と呼ばれている。なぜ、格安インドカレー店経営者のほとんどがネパール人なのか? どこも“バターチキンカレーにナン”といったコピペのようなメニューばかりなのはどうしてなのか? そもそも、「インネパ」が日本全国に増殖したのはなぜなのか? 背景には、日本の外国人行政の盲点を突く移民たちのしたたかさや、海外への出稼ぎが当たり前になっている国ならではの悲哀に満ちた裏事情があった。『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』は、どこにでもある「インドカレー店」から見る移民社会の真実に迫った一冊です。

『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(室橋裕和/集英社)

5000軒にまで急増したウラ事情

 コックが独立開業してオーナーになり、母国から新しくコックを呼び、そのコックも独立し……という暖簾分け的なシステムのもとに「インネパ」が広がっていった経緯を見てきたが、ここまで爆発的に増殖した理由はほかにもある。そのひとつが「コックのブローカー化」だ。

「外国人が会社をつくるには500万円の出資が必要じゃないですか。ネパール人にはすごく大きなお金です。家族や親戚や銀行から借りる人もいますが、中には誰かに出させる人もいるんです」

 こう語るのは、自らも都内でカレー屋を営むネパール人Rさん。この500万円を何人かのネパール人に分割して支払ってもらうのだという。

「たとえば、新しい店で3人のコックを雇うとします。この人たちはネパールでスカウトしてつれてくるんです。日本で働ける、稼げると言って」

 そしてビザ代や渡航費、手数料などの名目で代金を請求する。仮に1人アタマ150万円を出してもらえば計450万円で、オーナー本人の出費は50万円で済む。日本行きのチャンスと考えた人たちは、借金をしたり家や土地を売ったりしてこのお金をつくってくる……そのあたりまではまだ、健全だったかもしれない。

 やがて、カレー屋ではなく人を呼ぶほうが本業になってしまう経営者も現れた。多店舗展開し、そこで働くコックをたくさん集めてきて、もはや会社設立の500万円とは関係なく、1人100万円、200万円といった代金を徴収する。

「なんで自分の店でこれから働く人にお金を払わせるのか。おかしな話なんですよ」

 それでも海外で稼げると思った人たちは、どうにかお金を算段して志願する。彼らを呼べば呼ぶほど儲かるわけだから、誰だっていいとばかりに調理経験のない人もコックに仕立て上げた。本来、調理の分野で「技能」の在留資格を取得するには10年以上の実務経験が必要となる。しかし一部のカレー屋オーナーは日本の入管に提出する在職証明などの書類を偽造し、新しくやってくるコックのビザを取得していたのだ。カレーとナンのつくり方なんか自分が教えればそれでOKという経営者たちが、次から次へと母国から人を呼んだ。

 だから現場にはスパイスのこともよく知らなければ玉ねぎの皮も剝けないコックがあふれてしまった。「インネパ」の中にはぜんぜんおいしくない店もちらほらあるのはそのあたりに理由がある。僕が取材したあるカレー屋のコックはこんなことを教えてくれた。

「日本に来て初めてナンを食べたよ。おいしいって思ったね。でも、つくり方は知らなかった。そうしたら社長が『YouTube見て勉強して』だって。はじめはタンドールでヤケドばっかしてたけど、やっと慣れてきた」

 この方はいまも大阪で元気にカレーをつくっている。Rさんは言う。

「このプロセスをコピペする人たちがどんどん出てきたんです。だから日本でカレー屋がこんなに増えたんですよ。これはもうビザ屋であって、カレー屋ではありません」

 コックが経営者となる過程でブローカーになって人材ビジネスを展開し、彼らに大金を払って日本に来た人たちもやがて同じようなルートをたどる。こんなサイクルができ上がった。肝心のカレーはぜんぜんおいしくなくて、閑古鳥が鳴いているのに、ふしぎとつぶれない……そんなインド料理店も見るようになったが、こうした店の本業は「ビザの手配」なのだとRさんは語る。また、ネパールから呼んだ人間を自分の店で働かせるならまだしも、工場に「派遣」するケースもあったと聞く。コックの分野で「技能」の在留資格を取っているなら、工場で働くのは完全に違法である。

 ちなみに経営者は、自分のツテでコック志願者を集めたり、ネパール側のブローカーと協力するなどしているそうだが、親戚筋であってもお金を要求することがあるようだ。そのあたりの額は人間関係にも縁戚関係にもよるという。

「でもふしぎなものでね。近い親族だから、あの人には世話になったからって、お金を取らずに日本に呼んでるいい人もいるんだけど、私が見る限りそういう人たちはみんな成功してない。元手の軍資金がないから。借金なしで日本に来たほうも、ハングリー精神がないからなのか、あまりがんばらない。だからうまくいかない」

 なにが正しいのかわからなくなってくる話なのだ。

 さらに、コックたちへの搾取も目立つようになった。約束したよりもはるかに安い給料で働かせるのだ。月に8万円、9万円程度しか払わないこともあるという。経営者の子供の送り迎えとか、家事までやらされているコックもいるそうだ。

「抗議をしても、じゃあ誰がコックのビザを取ってあげたの、と。やめてもいいけど、日本のことも日本語もよくわからない、料理もロクにできないのに、借金も背負っていて行くところあるの、と」

 こうして同国人の食い物にされているコックもいるのだとRさんは訴える。同じような境遇のコックが安いアパートで同居しているし、勤め先はレストランだから食べるものだけはあって月10万円以下の給料でもなんとか生きてはいけるが、きわめて苦しい。故郷での借金の利息もある。それでも平均月収1万7809ネパールルピー(約1万7100円、国際労働財団による。2019年)の祖国にいるよりは、と耐え忍ぶ。

カレー屋のそばにカレー屋

「見てくださいよ、すぐそこでしょう」

 都内でインドカレー店を営むネパール人、Jさんは顔をしかめる。すぐ先に、似たようなカレー屋があるのだ。同じネパール人の経営だが、向こうは路地の入口に位置しているためどうも客入りで負けているらしい。

「うちのほうがずっと前から営業していたんです。あっちは後から来て、うちと似たようなメニューで、どれも少しずつ値段を下げているんです。ネパール人同士でこれはないでしょう」

 アタマに来ているからつきあいはないので、いったいどういう考えなのかわからないが、狭い界隈に「インネパ」が2軒もあってはお互いに損ではないかとJさんは嘆く。

「だからネパールは発展しないのかもしれない」

 やや仁義にもとるようにも思うこうしたケースや、安直なコピペ文化、あるいは法外な手数料をせしめるブローカーの存在にしても、ネパール人の間で自浄作用がいまいち働いていないように見えるのはどうしてか。ネパール人と結婚した日本人女性が「大陸の感覚なのかもしれないけれど」と前置きをして、教えてくれた。

「その人がどんなことをしたいのかはその人の問題であって、干渉しないし、良いも悪いも言わないんです。ある種ドライなのかもしれないけれど、それがネパールの世間づきあいの知恵というか。だからカレービジネスにしたっていろんな問題があるのはみんなわかっているけど、それがコミュニティの中でテーマになることはないですね」

 これは物事の是非というよりも、文化の違いなのだろう。その結果、店がうまくいかなくなったらどうするか。売ってしまうのだ。在留資格を取るための「ハコ」が欲しい人はいくらでもいる。値段は場所や広さによってまちまちだ。「インネパ」で店の名前がときどき変わるのを見るのはこのためだ。

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