チラシ配りや定番メニューには意味が? 入管審査のための「安全運転」/カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」④

『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(室橋裕和/集英社)第4回【全7回】 いまや日本中で見かけるようになった格安インドカレー店。そのほとんどがネパール人経営で、いわゆる「インネパ」と呼ばれている。なぜ、格安インドカレー店経営者のほとんどがネパール人なのか? どこも“バターチキンカレーにナン”といったコピペのようなメニューばかりなのはどうしてなのか? そもそも、「インネパ」が日本全国に増殖したのはなぜなのか? 背景には、日本の外国人行政の盲点を突く移民たちのしたたかさや、海外への出稼ぎが当たり前になっている国ならではの悲哀に満ちた裏事情があった。『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』は、どこにでもある「インドカレー店」から見る移民社会の真実に迫った一冊です。

『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(室橋裕和/集英社)

入管はチラシ配りもチェックしている?

「インネパ」といえば居抜きの店が多い。もともとラーメン屋だったんだろうな……なんて丸わかりのカウンターがあったり、居酒屋の雰囲気が残っていたりする。あらかじめ調理設備が整っていれば安く上がるから居抜きを選ぶネパール人が多いのだが、それでも内装工事にはけっこうお金がかかる。

「自分の好みでどれだけお金をかけるかだけど、居抜きの場合は500万円くらいかな。イチからだとその倍はかかりますね」

 と岐阜県で「サティ」を営むセレスタ・ハリさんは言う。こちらのお店はインドやネパール、ベトナムなどの食材を売るブースも併設されていて、席数36(うち座敷席8)という規模の店だ。こちらも、もともとはネパール人のカレー屋だったが、そこを居抜きで使っている。開業はコロナ禍がはじまったばかりの2020年。

「前はコックだったんですが、働いてた店がコロナで売り上げ落ちちゃって。仕事も減ったんですね。別の仕事も探したんですが、なかなか見つからなくて。国に帰るか、日本で自分でビジネスやるか、どっちかしかなかった」

 そこで思い切って勝負に出ることにした。コックとして日本各地で腕を振るってきた16年間で培った経験と財産とを、賭けてみようと思ったのだ。

 進出する場所は岐阜にした。以前もこの街のカレー屋で働いていたことがあり、なじんでいたからだ。岐阜市南部、まわりにも飲食店の立ち並ぶ県道沿いに、やはりコロナ禍でつぶれてしまった「インネパ」の物件があることを知り、そこを借りた。内装工事には500万円ほどをかけて、がらりと模様替えをし、木目調の温かな雰囲気でまとめた。ネパールの土でつくったという素焼きのおしゃれなコップもあって、日本人にとっても、なかなかに居心地のいい空間だ。コロナで外食をしない人が増えているからと、食材の販売もする。もちろんテイクアウトにも対応する。

 こうして内装や営業形態を整えていったが、店の家賃は月15万5000円。はじめに払い込む保証金は3か月ぶんだ。内装工事に加えてこの金額、さらに在留資格を取得するために手続きを行政書士に依頼する必要もあるし、食材の仕入れなどなども含めて、かなりの入り用なんである。しかしセレスタさんは勤勉だった。

「日本に来てはじめの10年くらいは、日本語も日本のこともよくわからないから、働くだけだったの。遊びにも行かない。行くとこ知らないから(笑)。だからお金、かなり貯められたんです」

 そういうコックもけっこういるそうだ。黙々と来る日も来る日もカレーをつくり続けているうちに、故郷に送金をしながらも、手元にそれなりのお金が残るようになる。

「でもいまは、日本語も覚えたしクルマの免許も取ったし、日本のこともわかってきたから、あちこち遊びに行ってお金使っちゃう」

 と笑うセレスタさんだが、そのお金で独立してみることにした。このあたりは人それぞれだ。日本で10年、15年と働くうちに貯まったお金で、なにをするのか。ネパールに帰って家や土地を買うか、日本で店を開くのか……。

「自信がある人は日本でビジネスやる。ない人は帰る」

 そう話すセレスタさんは「自信があるほう」だったようだが、異国で長い時間をかけて貯めた大切なお金をどう使うのか、なににベットするのか。それはやっぱり重い決断なのだろうと思う。

 なお店舗を借りる際に必要な保証人は、やっぱり日本人でなくてはという大家が多いそうだ。それでも話し合ってネパール人の保証人でもOKとなることもあるし、どうしても日本人の保証人を立てられず行政書士や税理士に相談したり、あるいはその物件をあきらめることになったりもする。都内のあるカレー店経営者はこう話す。

「ターミナル駅そばのビルとか、そういう大きな物件は私たちみたいな外国人で小さな会社には絶対に貸してくれませんね。店を出したい地域をじっくり歩いて回って、半年くらい借り手がついてない空き店舗とか、そういう物件は外国人でも借りやすいんです」

 やっぱり外国人はなにかと不利なのだが、行政が手助けしてくれることもあるのだと、この経営者は続ける。

「たとえば、食品衛生管理者の資格あるでしょう。飲食店に必ず必要なやつ。講習会と簡単な試験があるんですが、私のときは難しい漢字を読めない外国人を別室に集めて、口で問題を説明してくれたんですよ。優しいですよね」

 もちろん講習の内容をしっかり理解していなければ資格は得られないが、こうした対応は自治体にもよるようだ。

 ともかくこうして開業したあとは、店の売り上げとにらめっこする日々が続く。それは日本人の店主も同じだろうけれど、ひとつだけ違うことがある。外国人の場合、経営している会社が赤字だと、在留資格の延長に支障が出てくるのだ。

 外国人はふつう、自らの滞在目的にあった在留資格を取得して日本に住んでいるのだが、これには1年とか3年とかの有効期間がある。で、リミットが近づいたらまた書類を用意して入管で審査し、延長が認められればまたこの国で暮らせるが、なんらかの問題があって延長が却下されれば、帰国するしかない。そして会社の社長がおもに取得する「経営・管理」の在留資格の場合、「なんらかの問題」のひとつが、赤字なのだ。外国人のビザをおもに扱う行政書士Kさんによれば、

「赤字で即ビザNGというわけではないですが、経営状態が悪かったり債務超過があると、たとえば有効期間が1年しかもらえなかったり、雇っているコックの在留資格も短い期間になってしまうことがあります。一方で経営が安定していて、優良な会社だと入管が認めれば、3年、5年がすんなりもらえる場合も」

 1年か、3年か。これは大きな違いだろう。1年なんてあっという間に過ぎてしまう。しかし3年あれば、いくらかは腰を据えて商売に打ち込めるのではないだろうか。商売だけでなく、住む部屋の契約や、子供の学校など、向こう1年間しか滞在できる保証がないのでは、なにかと暮らしにくい。しかし3年、5年と暮らせるメドがついているなら、もう少し長いスパンで物事を考えられる。日本になじもう、言葉をもっと覚えようというモチベーションにもつながるだろう。行政書士Kさんは言う。

「日本人の飲食店だったら節税のために売り上げを少なく見せる場合がありますが、外国人の場合は逆です。在留資格のために少しでも売り上げを増やしたい。だからそのぶん、税金もがっぽり持っていかれちゃうんです」

 円滑な在留資格更新のためには、安定した売り上げに加えて、日々の努力も問われるのだという。セレスタさんは熱弁を振るう。

「もし赤字だったら、その原因はどこにあるのか。オーナーはきちんと経営しているのか。お客さんが少ないなら、増やすためにどんなことをしているのか。そういうところまで入管はチェックするんです。ちゃんと宣伝しているのか、チラシとか配っているのかって」

「インネパ」のお店ではこれも定番、店のメニューを列挙したチラシのことだった。割引クーポンがついていたりもする。ところどころ日本語があやしい箇所があったりしてそこはご愛嬌だ。ときおり店頭や街角で、このチラシを配っているカレー屋の外国人を見かけるが、そんな街頭営業を行う「インネパ」がやけに多いことも気になっていたのだ。そこにはやはり「在留資格更新のために安心材料を増やしたい」という意識が働いていた。

 実際のところ、このチラシがどれだけ入管に対して効力があるのかは不明だ。そういう条文があるわけでもない。しかしこれも、メニューやレシピと同様、「安全運転」のための材料のひとつであるようなのだ。前に働いていた店と同じような料理を出したり、成功店のアイデアをコピペして取り入れるのも、異国で稼ぐ上での「安心感」を増やしたいから。チラシ配布は在留資格が更新しやすくなるポイントのひとつ。どこまで意味があるかはともかく、そういう説があるならやってみようというのは、やはり移民ならではの必死さの表れなのだろうと思う。

 ちなみに神奈川県のある「インネパ」では、このチラシを我が子に配らせていると地域で問題になったことがあったそうだ。ネパール人としては親の仕事を子供が手伝う母国のノリだったのだろう。僕も小学生のころから親の町工場を手伝っていたので「チラシ配りくらい、別にいいのでは」と思うのだが、現代の日本人は人権意識も高い。「児童虐待では」と心配され、周辺住民に諭されて、子供を使うことはやめたという。移民とは、異なる価値観を生活圏に持ち込んでくる存在だ。そこが面白さでもあり、難しさだと実感したエピソードでもあった。

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