年商25億円の宮崎麗果さん。1台のパソコンからスタート。 きっかけはシングルマザーになって「この子達を食べさせなくちゃ」

超セレブと言われてきたが、実は「白鳥の水かき」のような人生だった。

 36歳にして年商25億円の会社の経営者であり、4人の子供の母。インスタグラムのフォロワー数42万人超。夫は元ダンス&ボーカルグループの黒木啓司さん。高校時代にスカウトされて芸能界入りし、パリ社交界デビューも経験。

【写真】夫と子供達とのファミリーショット。そしてお腹の中には新しい家族が。

 そんな華々しいキャリアと実績を持つのに、「私の人生は挫折の連続だったんです」とおだやかな表情で話し始めた起業家の宮崎麗果さん。「宮崎さんが紹介した物は動く」と各業界からも注目され、同世代の女性達を中心に絶大な支持を得るインフルエンサーはどう生まれたのか。

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「私はコリアンクォーターなので小学校はインターナショナルスクール、12歳からは父の教育方針でアメリカのテキサスで暮らしていました」

 祖父が日本に新聞社を立ち上げ、父親はその社長を引き継ぎ参議院議員も務めた一家。両親は教育熱心だった。

「アメリカではアジア人への人種差別も経験しました。でも、高校から日本の学校に編入したときはもっとつらかった。英語が母国語のようなものだったので日本語がわからず、周囲となじめなくて部活や学校行事にも参加できずに、ひとり勉強するしかありませんでした」

 物心ついた時から家庭では、世界情勢について広く知り、考えるよう習慣づけられていたという。

「夕食の時に、環境や戦争など人類が抱える問題について、家族でディベートするんですよ。私負けず嫌いな性格なんですね、苦にはならないどころか、子供ながらに楽しかったし、そんな経験はいまも役立っています」

 人と関わる中では苦しい思いをすることもあったが、勉強は努力を重ねれば結果が出る。帰国後、16歳でスカウトされて芸能の仕事を始めてみると、日本語が不得手なことも個性として認めてもらえて、「居場所ができた」とホッとしたという。

 しかしその後、さらに怒涛の人生が続く。10代から20代は不安定な人間関係や恋愛パターンを繰り返し、第3子を妊娠中の30歳の時に2回目の離婚。

 しかも、出産までの経過は順調とはいえなかった。「この子は無事に産まれないかもしれません」と医師に宣告され入院。死産の恐怖に怯えながら、診察で心音を聞いてはなんとかホッとする日々だった。

「手に職もなければ職歴もない、何もできないシングルマザーの妊婦になってしまったんです。それまで私の人生は、学校から逃げ、芸能の仕事もパッとしないまま結婚に逃げ、結婚からも逃げ、自分と向き合うことからも“逃げっぱなし”の人生だったんです。

 でも、追い詰められると、人間は強くなる。子供たちを育てることだけは逃げたくありませんでした。その時に、“仕事をしよう、雇ってくれるところがないなら、自分で会社をつくろう”という道がはっきりと見えたんです」

 病院のカフェで商談、病室で起業

 資金も人脈もない、しかも入院中の妊婦にできること・・・・・・。考えたのが、好きで得意な美容関連のコンサルタントとマーケティングの仕事だった。販売やPRの戦略を考えるのは、オフィスを借りなくても、人を雇わなくてもできる。

「ネットで調べてハンコを作るところから、定款を作成したり、登記申請したり・・・・・・お金がないので、病室でできることは全て自分でやって起業しました。SNSで営業し、クライアントさんとの打ち合わせや商談は病院の下にあるカフェで。ほんとに必死でした」

 そんな奮闘の中、長女・ハナちゃんが無事誕生。しかし、970gという超低体重児で生後3か月間は保育器の中で過ごした。

「生まれてきてくれた娘の無事を祈り、生きていることに感謝し続けました。生きているって、本当にありがたく、すごいこと。医療チームの懸命な努力、本人の生命力と意志、家族の思いなど全てが重なった奇跡なんですよ。そんな日々を過ごし続けると、わが子の発達や成長を他の子と比べる気持ちがなくなってしまっていたんです。今も“この子らしく生きてほしい”と願うのみなんです」

 先日、宮崎さんは、「我が家のプリンセス ハナちゃん 4歳なんですが、実はまだお話しができないんです」とSNSで明かした。「ハナちゃんの個性なんだから、隠すことないんじゃない?」という夫・啓司さんの言葉もあってのことだった。

「標準」とは違っても娘のペースをサポートし見守っていく

「ネガティブなことを言われるかもしれない、と覚悟はしていました。でも、多くの皆さんがあたたかく受け止めてくれたんです。わが子の発達に悩んでいるフォロワーさん同士が情報交換したり、他人や親戚からの心無い言葉に傷ついてきた、なんて経験を話し合ったり、共感し合う優しい繋がり生まれたんです。そういう変化もまた、私たち家族に大きな力をくれました」

 SNSには負の側面もあるかもしれないが、プラスに働く大きな力があると感じたという。

「世間のいうパーフェクトな正解が、その子の幸せにつながるとは限らない。その子が目標に向かい、試行錯誤して実現していくプロセスが大切だって思うんです。これは会社を経営してきて感じていることと重なります。一瞬の喜びの裏には、多くの悲しみや苦しみがある。家族や仲間たちの協力、多くの人の手助けがあって、今がある。そういう循環を意識すると、自ずと心も穏やかになるというか」

 たとえ心を傷つけられるようなコメントがあっても、いまは怒りを爆発させることはないという。

「怒りは、百害あって一利なしなんです。ただ、時間がないときに、子供たちがマイペースな行動をしているとイライラしちゃうことはあるかな(笑い)。そういう時はトイレに入って、フーッと深呼吸。そうすると子供たちにきつい言葉であたったりすることはなくなります」

 そしてこのたび、宮崎さんは第五子の妊娠を発表し、また話題を呼んでいる。経営者として会社を育て、母として子供を育て、メッセンジャーとして表に立つために自分を育てる超多忙な日々。それを支えるパワーの源は家族だという。

「経営者と母親業って通じるところがあるんですよ。子育てと家事でマルチタスク能力が鍛えられるんです。企画書を作りながら打ち合わせをして、外部スタッフに指示出しをするとか、母親を経験したからこそ、いくつもの課題を同時にこなせていると思います」

 華やかな道を何の苦労もなく歩んできたのではない、経験や知識を自分でものにしてきた努力の人。その多角的な視点こそが唯一無二の魅力なのかもしれない。

取材・文/前川亜紀

【プロフィール】 Reika Miyazaki
1988年生まれ 芸能界を経て、コンサルティング会社を設立。美容関連のサービスや商品、アパレル関連の事業コンサルを手掛ける。‘20年化粧品のOEMメーカーと美容及び再生医療の原料卸会社を立ち上げ、22年には自身の化粧品2ブランドをローンチ。また、自社ブランドの海外進出も達成する。’23年、植物療法を軸に温活、ピラティス、整体、エステの複合ウェルネス施設Vitolaboをオープン。著書に『実現者(マニフェスター)私「やべー女ですが」』(講談社)。インスタグラム @reikamarianna

 

 

 

 

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