チームの元気印を変えたコーチの喝/甲子園が消えた夏 vol.3

07/24 21:00 au Webポータル

甲子園が消えた夏 vol.3 〜チームの元気印を変えたコーチの喝〜

※この記事は2020年7月に掲載したものです。

日本列島を襲った新型コロナウイルス。その影響で夏の甲子園が中止となり、神奈川県の強豪・向上高校硬式野球部の選手たちも落胆していた。向上高校は2014年夏の神奈川大会で準優勝しており、2020年6月には悲願の甲子園初出場に向け全面人工芝のグラウンドも新設した。mediba編集部では同校3年生の日記をもとに、リアルな心の動きをリモートで取材。5回にわたっての特集で、今回はその第3弾をお届けする。

開脚班長 落合剣亮

向上高校野球部3年、開脚班長の落合剣亮。
2年からBチームのキャプテンとなり、秋にAチーム昇格。開脚班の班長にも任命された。開脚班長は選手をけがから守るため、柔軟性を高めるストレッチなどを指南する。

取材に答える落合剣亮

同校野球部は新チームで臨んだ秋季大会でけが人が続出。新チームとして満足な結果が残せず、4回戦敗退となった。
落合の出場機会はなかったが、苦しんだチームメイトのために何ができるのか、冬を乗り越え春、夏の試合に向けて準備をしていた。
まずベンチ入りを目指していたが、その矢先、3月に新型コロナの影響で休校となった。
日記には、自粛期間中の個人練習や班長としての記録が残されている。

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「この期間でもう一度開脚についてどのようなやり方がいいのかや、どのようにしたらけがをしなくなるのかなどをもう一度調べて、チームの開脚への意識が上がるようにやっていきます。また自分のバッティングのスイングの形をゆっくり見直せる機会なので時間を有効活用してやっていきます。」

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「僕たちにはこのようにとてもたくさんの時間が与えられています。開脚なども普段の練習があったときは30分ぐらいしかできなかったのが今は1時間しっかり時間を取ることができています。そのためより入念にストレッチをする事ができているので次の日の体の動きが全然違います。なので僕には普段から約1時間ぐらいのストレッチの時間を確保することができれば次の日の自分の体の動きがより良くなることがこの期間で気づくことができました。」

休校期間中もストレッチは欠かせない。この期間だからこそ時間を確保することができた。
もちろん、班長として考えたこともたくさんあった。

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「僕は新チームになって誰よりも声は出そうと思ったことから始まりましたが、開脚長をやらせて頂いてから前よりもチームのことを考えるようになりました。Bチームのキャプテンをやらせて頂いたときはどうしたら雰囲気がよくなるかや、ミスしてしまった選手を絶対に1人にしないということを1番に考えてやっていました。僕はこのような役職をいただけて初めて変わることができました。」

チームのために誰よりも声を出して応援し、ミスをした選手には寄り添って言葉をかけフォローをする。
それが落合にとって人の上に立つということだった。

落合剣亮(右) (提供写真)

班長に任命された当時、少しの不安はあった。
それでも、チームにはけが人が多く、開脚も大きく開いている選手が少ないため「やってやる」という気持ちが強かった。
もともとはリーダーのような立場につくことはなかったが、Bチームでキャプテンを務め、開脚班長となり、責任感を持つことができた。

仲間の信頼も厚く、トレーニンググループのリーダーである投手のエーアン・リンも「自分が見なきゃいけない部分も落合が見てくれる。落合は開脚班長として軸ができていて、すごく頼りがいがある。ストレッチに関して落合が発信してくれていることは本当にありがたい」と語る。

人一倍明るく、大きな声でチームを牽引し、仲間も頼りにする存在。
それが向上の元気印、落合だ。

コーチの言葉

1年生のころは壁にぶつかったこともあった。
落合は投手を希望していたが、コーチから「野手をやってみないか」と打診された。
簡単に返事はできなかった。
投手への思いは捨てきれず、野手の守備練習ではよくミスをした。
揺れる思いがプレーに表れていた。

そんな落合の様子にコーチは気づいていた。
「本気じゃないのか」

コーチからの喝。

投手でいくか、野手でいくか。
ほかにも、自分はチームのために何ができるのか、何をしたらよいか、悩みはたくさんあった。

コーチの一言は、そういった迷いをすべて打ち消した。
何のために向上高校の野球部に入部したのか。
本気じゃない、他人から見たらそう見えたのだ。

目が覚め、向かった先は監督のもと。「野手一本でいきます」と決意を伝えた。

そこからの迷いはなかった。選手たちとも信頼関係を深め、コーチも特に気に掛ける選手の1人となった。

落合剣亮 (提供写真)

4月7日に緊急事態宣言が発出され、不安の中、コーチとの関係性がわかるやり取りも日記に残されている。

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「緊急事態宣言が出てから1週間が経ちました。最近では神奈川県は少しずつ感染者の人数が減ってきていると思います。集まって練習などはできませんが今自分にできることをしっかりとやっていきたいです。工藤コーチにお願いなんですが練習が再開したときに新入生の開脚チェックも行いたいのですが時間をとって頂くことはできますか。」

工藤コーチの返信
「柔軟・開脚に責任を持って考えてくれてありがとう。私たち教員も今後の見通しがはっきりと立たない中で行事や授業の準備を進めている現状です。例年新入生は通常登校が始まってから、とても慌ただしい日々を過ごしますが、今年度はより慌ただしくなることが予想されます。まずは何よりも学校生活に慣れて硬式野球部としての部規則等を覚える時間が優先順位として高くなってしまうのは致し方ないことです。同時に柔軟・体重等もチェックしていきたいと考えていますが、あまり焦らず様子を見て時間を上手くつくって実施していきましょう。必ずどこかのタイミングで実施しますので安心してください。」

コーチは落合の成長のために欠かせない存在。
恩返しはただひとつ、試合に出場して活躍すること。
試合はおろか、練習すらできていないが、打席に立つという思いは忘れなかった。

ベンチに入るために

落合がまずベンチに入るための条件として考えたのが
「ここ一番で1本打つことができるような勝負強い選手」だった。

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「僕の中で1つ思ったのはここ一番で代打として出ていく選手は任されて出ていきます。なのでチーム全体からの信頼が必ず必要だと思います。この選手だからこの場面を任せることができる、この場面はこの選手しかいないなど誰でも信頼は必要ですがより必要とされるのではないかと思います。」

打席に立つためにはチームからの信頼が必要。
そしてここ一番の打席をイメージした練習も取り入れた。

5/7続き
「練習の方ではイメージを大切することを意識してやっていました。最近勝負強さをよく考えるようにしているのでここ一番の場面をイメージして自分にプレッシャーをかけながら素振りやTスタンドで打っています。それによって自分がその立場になったときに少しは役に立って楽な気持ちで打席に入ることができます。その楽な気持ちでいることで打席の中で自分の頭を整理して様々なボールへの対応力も上がると思います。それによって1本を出せる確率も上がってくると思います。」

この期間で自分が何をしたいのか、何ができるのか、考えたことはたくさんあった。
怒られたことも、悩んだことも過去のこと。
着々と成長し、夏の甲子園を夢見ていた。

落合剣亮(左) (提供写真)

2年と数カ月

春には関東大会が中止。そのすぐ後に緊急事態宣言が発出され、休校期間も長引いた。
その間、夏の甲子園が開催されるのかもずっと不安だった。

そんななかでの「夏の甲子園中止が決定」というニュース。
ショックは思ったよりも大きい。ベンチに入ることすらできず夢の舞台が幕を閉じたのだから。
これがどれほどの思いだったか、落合は「これまでベンチに入れず、春の大会も中止になって次は夏の試合だけだった。甲子園が中止となって自分はどうすれば、どこに向かっていけば良いのだろうかという思いがあった。中止になった日も何かしていないと落ち着けなかった」と語る。

電話で仲間たちとも話したが、全員何も考えられず落ち込んでいた。中止が決まった直後には親から「どういう気持ちなのか」と声をかけられたが、答えられたのは「今は何も考えらえない」という一言だけ。
それでも仲間とともに進むしかなかった。

2年と数カ月。日記にはこれまでの努力、そしてこれからのことがつづられている。

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「甲子園中止、地方大会中止が決まりその知らせを聞いたとき本当に何をすればいいか分からないことが続きましたがZoomのミーティングや面談を通して自分がやるべきことや自分の向かうべきところが分かりそこに向かって進めばいいんだということがわかりました。」

「この期間で自分のこれまでのことを振り返られたことで自分の原点にも戻ることができました。これまでBチームのキャプテンを任せていただいたり、開脚の長を任せていただいていますが僕の始まりは声でした。」

「誰よりも声を出して目立つんだという思いが大きくなりどんどん他の人に声では負けたくないという思いで日々の練習や試合などに臨んでいました。」

「僕はBチームのキャプテンを任せていただいたときも指摘の声が僕自身あまり出せていない中で、まずは声で仲間が乗っかってこれるところを作るんだという思いでやっていたので、声で仲間を引っ張るという考えでした。」

「そしてこの1週間はまだ練習が再開できません。これから練習が再開するにあたって僕はこれまでのように誰よりも声を出して声でチームを引っ張って行けるようにやっていきます。」

「そして開脚の長としてチームの開脚が上がるのはもちろん、チームのけがが少しでも少なくなるようなストレッチなどを紹介してやっていきます。」

「この長い休校期間で、どんな練習が自宅でするのがいいのかというのも分かったので、これからもそれを続けて、独自開催の大会がまだあるかは分かりませんがそこに向かって全力で日々の練習、日々の生活を送っていきます。」

落ち込んではいられない、決まったことは決まったこと。
これから何をすればよいのかは明確だった。それが2年と数カ月の努力の証。

あのときのコーチの喝がなければ、きっと何も変わらなかった。班長にならなければ成長できなかった。全部がつながって今の落合がある。

6月12日には神奈川県独自大会の開催が決まった。
最後の夏の舞台。向上高校の「元気な声」はきっとそこに響き渡るはず__。

取材・文/三浦諒輔(mediba編集部)

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