2人のリーダーが思いを込めた日記/甲子園が消えた夏 vol.1
07/17 21:00 au Webポータル
甲子園が消えた夏 vol.1 〜2人のリーダーが思いを込めた日記〜
日本列島を襲った新型コロナウイルス。その影響で夏の甲子園が中止となり、神奈川県の強豪・向上高校硬式野球部の選手たちも落胆していた。向上高校は2014年夏の神奈川大会で準優勝しており、2020年6月には悲願の甲子園初出場に向け全面人工芝のグラウンドも新設した。今回、mediba編集部では同校3年生の日記をもとに、リアルな心の動きをリモートで取材。 5回にわたって特集する。
三崎と尾上
そう語るのは向上高校野球部のコーチ。2人の打撃グループのリーダー・三崎剛と尾上朋弥には、監督も絶大な信頼を置いており、チームメイトからも頼られる存在だ。
誰よりも熱く、練習を怠らない努力家の三崎。
先頭に立ち、仲間を引っ張る責任感が強い尾上。
タイプは異なるが、夢の舞台への思いは同じ。
今回、その夢であった夏の甲子園は新型コロナの影響で中止となったが、8月に神奈川で独自大会が開かれることが決定した。
しかし、やり切れない思いは強く残っていた。
向上高校では選手一人一人がこれまでの練習の記録を日記に残している。その中にはコロナ禍の様々な思い、夏の甲子園中止の悲痛な叫びもつづられていた。
コロナ禍の孤独
休校期間中は自宅で練習、トレーニングに励み、自己啓発書などを読んで過ごす。
日記にはひたすら練習メニューが書かれている。
3/13 三崎
「坂道 階段ダッシュ 下半身自重トレーニングティーバッティング遠投~」
「家の近くの山に行って坂道ダッシュや坂道でランジなど下半身を重点的にトレーニングしました。またスイングの動画を撮ったりバッティングフォームの細かい部分を修正をしました。」
3/13 尾上
「キャッチボール フォームチェックの動画撮影 視覚入力トレーニング~」
「昨日キャッチボールとフォームチェックをして、下半身の使い方がわかってきました。重心を低くし、ステップ足をしっかり相手に向け、股関節を開き、右腕のテイクバックをキャッチャーのように小さくとることで、無駄がいままでより減り、ボールに力が伝わる感覚が少しながら分かった気がしたので継続していけるように意識していきたいです。」
それでも仲間と練習ができない寂しさはあった。
3/19 三崎
「やはり1人でトレーニングは辛くてしんどいです。しかしもう少し1人で追い込めば全体練習が始まります。1人でトレーニングしてきた成果を全体で発揮してみんなと合わせる練習をすることが楽しみです。」
スポーツにおいて非常に重要なメンタル。尾上もこれまでの打席で振るわなかった原因は技術だけではないと感じていた。
精神の弱さがあったから打てなかったんだ。その思いを払拭するためにも多くの自己啓発書を読んだ。
3/15 尾上
「大事な場面で一球で捉えるためにはどういう心で勝負を挑むのか、心に余裕が持てるのか、を読んで学び勝負に強い選手になるために取り組んでいきます。」
信頼、期待してくれる監督やコーチ、仲間のためにも。
次は「冬に取り組んできた力試しの場」春の関東大会へ。
そう思った矢先だった。
新型コロナの影響で春の関東大会が中止となり、追い打ちをかけるように県大会も中止となった。
残すは甲子園だけ___。
2人の出会い
一方、尾上は「三崎より目立って自分がリーダーにふさわしい人間になるんだと思っていた」と振り返る。続けて「しかし、リーダーとして見たときに自分の言葉より三崎の言葉のほうが影響力があると感じた。三崎はグループ全体を見ているが、自分はチームの細かいところをフォローできればよいと考えを改めた」と語った。
代替わりで駆け出しの新チーム、駆け出しのリーダー。お互いが目指したのは、尊重しあい、相談しあえる関係性だった。
そして昨年、新チーム初の公式戦、秋の県大会に臨んだ。
結果は4回戦敗退。
チームは病人やけが人が続出。三崎も脱臼するなど、最悪な出だしとなった。やり切れない思いを残したが、それでも”悔しさはバネにする”と誓い、夏の甲子園へ結束を深めた。
不安と仲間への思い
4月7日に7都府県に緊急事態宣言が発出され、4月16日に全国に拡大された。
近場の海の公園や球場が閉鎖されるなど、影響は身近なところにも起き始めていた。
「甲子園が開催されるよう少しでも感染者が減ってほしい」
三崎はそう願っていたが、このころ世間ではニュース番組で街へ出歩く人や、休業要請に応じず営業を継続するパチンコ店についての話題が連日取り上げられていた。
葛藤や、もどかしい気持ちにもなった。
4/20 三崎
「全員で我慢すればすぐに終息できるのに我慢しないでコソコソと続けていると終息しません。1人1人が責任を持ち終息に協力してほしいと思います。」
そこには「甲子園に出場した横浜高校出身の遠藤圭吾が、プロモーターボートに挑戦する」と書かれていた。
遠藤は野球に見切りつけ、複数の大学からの誘いを断っていたが、普通の大学生活に物足りなさを感じていた。そんなときに高校時代のチームメイトで、現日本ハムファイターズの万波中世から連絡があったという。東京ドームに試合を見に行き、そこでプレーする万波の姿を見て元々興味があったプロモーターボートへの転向を決意したという。
記事を見て、尾上は熱くなっていた。
4/16 尾上
「僕はこの記事を見て、高校時代の仲間は一生付き合いのある大事な仲間というのを改めて感じました。その絆は野球を本気でやってきた仲間同士で無ければ作られないと思いました。」
2人の夢
そのなかには芽生えた夢もあった。
三崎はコロナの影響が出始める前まで、周りから「将来の夢は?」と聞かれても堂々と「プロ野球選手」と言えなかった。中学・高校と周りに自分より上手い選手が現れ、自信を無くしていたが、この期間だからこそ考えを改めることができた。
5/7 三崎
「この休校期間になりプロ野球選手の動画を見る機会が増えました。やはりトップレベルで野球がしたいです。周りには僕より上手い人がいますし、本当に狭き門だと思っています。ですがもう諦めたくありません。足も速くないし、肩も強くない。周りには『お前には無理だろ』と絶対馬鹿にされると思います。それでも僕はプロ野球選手になりたいです。」
日本では1年中同じスポーツをするのが当たり前だが、海外では季節によって違うスポーツをする。その制度は日本でも検討されているという。
5/11 尾上
「もし、その制度が実施されることになれば多くの子供が野球に触れてもらうことになります。僕は将来そのような子供の為に働くような仕事に就きたいと考えているので、多くの人にスポーツをする楽しさというのを感じてもらいたいと思いました。」「将来自分がするべき目標というのがはっきりしてきたと感じる機会になりました。」
お互い、夢のためにも甲子園は絶対条件。そのはずだった。
事態の急変
描いていた阪神甲子園球場から音が消える。球場に響くバット音はもう聞くことができないのか。
正式な発表ではなかったが、ショックは大きかった。それでも2人は気持ちが折れないよう準備をした。LINEでもその相談はなかった。開催を信じて練習をするだけ。
そして20日、中止の知らせが届く。
日記には悲痛な叫びがつづられていた。
5/21 三崎
「最初に中止を耳にしたときは本当に中止になったのか不思議でしたが、何度も耳にするうちに中止を受け止めなければならないと思いました。日本一を獲る挑戦すら出来ないことがもどかしく、ものすごく悔しいです。言葉にならないほど悔しいです。しかし未知の病気には勝てませんでした。」
誰とも話す気になれず、悔しさをどこにぶつけていいのかわからなかった。
三崎は家族の前でこらえていた涙を、布団の中で流した。
甲子園がなくなったこともそうだが、リーダーとして期待してくれていたコーチの1人がこの年結婚式だった。三崎は自分たちの代で日本一になることがプレゼントだと思っていた。
その思いは届かなかった。
「工藤コーチへ 向上高校のバッティングを全国に轟かせることができませんでした。リーダーとして本当に悔しいです。つい最近工藤コーチに『やっとリーダーらしく』なっ
てきたと言っていただきました。僕は今まで名前だけのリーダーでした。本当のリーダーになるのが遅すぎました。」
尾上も同じだった。
報道の段階で覚悟をしていたが、いざ中止と聞くと、受け止められずうなだれた。
5/21 尾上
「最初は1ヶ月程度でまた練習が出来ると思っていましたが、延長の繰り返しで春の大会が無くなりました。それでも、夏の大会は確実にあると思ってここまで来ました。環境が悪い中でも自分たちで試行錯誤して取り組んで来ました。バッティングにも意識を持ってくれる選手が増えこの夏はバッティングで勝ちたい思いでした。」
「僕らの時間は秋で止まってしまいました。今はまだなにをどうして行かなければ行けないのか分かりません。」
モチベーションをどこに向けて最後の高校生活を送ればよいのか、そんな迷いもあった。
甲子園という舞台は、2人にとってそれほどに重たかった。
リーダーとして背負ったもの、それを吐き出す場所が一瞬で砕け散った。
今まで何のために頑張ってきたのか。
スタッフから選手へ
やりきれない思い、それはみんな同じだ。
仲間とも”それ”について話し合ったりはしなかった。神奈川では当時、独自大会が開催されるかは定かではなかった。それでも高校野球生活をあきらめたくなかった。
独自大会の開催を信じて練習を続けるだけ、そんな思いで臨んだミーティング。
張り詰める緊張感の中、監督、コーチからかけられた言葉は救いとなった。
「このような経験ができたお前らは必ず強くなれる。」
下を向けない。コーチへのプレゼントも、監督への恩返しもまだ終わっていない。
自分たちにできることは独自大会の開催を信じて練習を続けるだけ。
そして、甲子園の舞台を後輩に託すだけ。
息を吹き返した2人。ミーティング後は前向きな文章がつづられていた。
三崎 5/25
「スタッフの方々からのメッセージや中学の頃の監督からのメッセージなどを聞き少し整理がつき、前を向くことができました。前を向けたからと言って悔しさは変わりませんがこの悔しさをバネにこれからの人生何が起きてもいいように常に全力で頑張ります。まだ神奈川独自の大会がある可能性が残っています。多くの選手と連絡を取って気合いを入れ直していきます。」
尾上 5/25
「今まで具体的な目標が定まっていませんでしたがこのまま下を向いていても変わらないと気づくことが出来て、前を向こうという気持ちになることが出来ました。僕達にとって最後の高校野球なので悔いは残るのは当たり前ですが、できるだけ後悔はしたくありません。また、僕達3年生が後輩にできることは甲子園に挑戦することが出来なかった悔しさを後輩に叶えて貰うことだと思います。」
独自大会へ(後日談)
今回この日記を拝見して2人への取材を敢行した。
彼らは振り返るだけでも辛いだろう、そう思うと言葉を選んでしまうこともあったが、画面越しの2人はどこか照れながらも、必死に思いを伝えてくれた。
独自大会が決まり、安堵はしたが、甲子園がないことに変わりない。
それでもリーダー、一選手として目指すは優勝のみ。
2人の意気込みにも迷いはなかった。
三崎
「秋の大会で成し遂げられなかった、打って勝つということを目指す。そして県で一番になれるように」
尾上
「休校期間でどのチームよりもバッティングに意識をもってやってきた。それを証明するためにも絶対優勝する。向上のバッティングを証明したい」
複雑な思いはきっと独自大会で晴れるだろう。そう願い、画面が暗くなるのを待ってPCを閉じた。
取材・文/三浦諒輔(mediba編集部)