トロイ・トゥロウィツキー~もはや紙、古びたグローブの遊撃手~MLB「この人を見よ」(7)

03/11 16:40 au Webポータル

 半年ほどカナダのトロントに暮らしていたことがある。別にトロントに住みたかったわけじゃない。なんとなく海外で生活してみたいと思っただけだ。
「NEW IDEAS NEED OLD BUILDINGS(新しいアイデアには古い建物が必要だ)」
 住んでいた家の最寄り駅には、こんな言葉が書かれていた。トロントで得たものは、もうほとんど忘れてしまった。でも、この言葉は今でもなぜだか覚えている。

 トロントには野球チームがあった。トロント・ブルージェイズ。アメリカ以外で唯一のメジャーリーグ球団だ。多文化社会のその街にとって、ブルージェイズを応援することは数少ない共通言語の一つだった。
 初めてブルージェイズの試合を見にいった日は雨だった。ホーム球場のロジャース・センターはなんとも無機質な外観だった。グラウンドはメジャーリーグでは珍しく人工芝。それに雨の日は開閉式の天井が閉められる。雰囲気なんてあったものじゃない。席は安いバックネット裏の5階席だった。腹の出た中年の男たちが、私を挟んで大声で会話をしている。たぶんアメリカの悪口でも言っているのだろう(これもまたトロントに住む人の共通の話題だ)。彼らの体が、容赦なく私に当たる。汗のにおいも強烈だ。ビールの売り子も、なかなか私に気づいてくれない。
 ブルージェイズのショートストップ、トロイ・トゥロウィツキーが打席に向かった。周りのファンが立ち上がったのを見て、私もマネをする。
「トゥロ!トゥロ!」
 密閉されたグラウンドのなかでファンたちが一斉に叫ぶ。最初は恥ずかしかったが、ビールを飲んでいるうちに気が大きくなってきた。私も一緒になって叫んだ。「トゥロ!トゥロ!」
 そうしているうちは、自分もトロントの住人になれた気がした。

3点二塁打を放ち塁上でほえるブルージェイズのトゥロウィツキー 写真:共同通信

古びたグローブ、戦争を生き残ったように

 2015年、トゥロウィツキーがトロントにやってきたシーズン、彼のグローブは汚れていた。いや「汚れていた」という表現では上品すぎるかもしれない。ブルージェイズの球団職員の表現を借りるなら、そのグローブは「スミソニアン博物館から持ってきた」ようにホコリっぽく、「二度の戦争を生き残った」くらいに疲弊していた。グローブのいたるところが擦り切れ、いくつもの穴があいている。手のひらの部分は、ほとんど水分を失っているのだろう、白く硬くなっていた。その球団職員に言わせれば、「それはもはや革ではない。紙だ」
 予想はしていたが、試合中にグローブが壊れることもあった。三遊間の打球をトゥロがダイビングしにいったときだった。打球はグローブに収まったかのように見えたが、レフトへと転がっていった。ちょっとばかり強烈な打球にそのグローブは耐えることができなかったのだ。
 トゥロウィツキーはそのアクシデントをグローブのせいにしなかった。「僕のやり方が間違っていた。網の部分に強くボールを当てすぎたんだ」
 彼はそう言った。でも私はそうは思わない。トゥロが悪いんじゃない。二度も戦争を生き延びたグローブだ。そろそろ往生する時期だっただけだ。

New Star Needs Tulo!

 そのグローブのようにとまでは言わないが、トゥロウィツキーも若いとは言えない年齢になった。33歳。ショートを守るには少し厳しい年齢になってきたかもしれない。
 でもトゥロ自身は最後までショートとして出場したいらしい。地元メディアのインタビューで彼はそう言っていた。
 近年、メジャーリーグでは若いショートのスター選手が次々と活躍している。インディアンズのフランシスコ・リンドーア(24歳)や、去年ワールドシリーズを制覇したアストロズのカルロス・コレア(23歳)。あるいは惜しくもアストロズに敗れたドジャースのコーリー・シーガー(23歳)などだ。
 彼らはトゥロに会ったとき、いろいろなアドバイスを求めるという。そしてトゥロも快くそれに応える。「ただ見ているだけで、知識を隠しているような人間には絶対にならないね。持っている知識は、すべて教えてあげたい」
 彼がそうするのは、ショートストップというポジションを愛しているからだ。そして何より彼は野球を愛していた。「シーズンが終わって、僕が最も誇りに思うことの一つは、どれだけ自分がチームメイトの成長を助けられたかっていうことなんだ。たぶん僕は少しばかり古い考えの人間なんだろうね。周りにはあまりいないのだけど、でも僕はずっとそうしてきた。僕はこの野球っていうスポーツを尊重している。愛しているんだ」

 今シーズン、ケガの影響からトゥロウィツキーは開幕に間に合わないそうだ。でも、まだまだ若い世代にはトゥロの存在が必要だ。もちろん私も、もっとトゥロの活躍を見ていたい。彼のケガが治ったら、もう一度トロントへ行こうかな。そう思う。そのときは晴れてると嬉しい。(棗 和貴)

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