【特集】東日本大震災10年 ベルトコンベアで「希望のかけ橋」URの復興支援

03/09 15:00 au Webポータル

ベルトコンベアで「希望のかけ橋」URの復興支援

2011年3月11日に発生した東日本大震災。あれから10年の月日が流れました。地震だけではなく津波や原発事故の被害も受けた東北の被災3県はどのように復興してきたのか。独立行政法人・都市再生機構(UR都市機構)震災復興支援室の草場優昭室長に話を聞きました。

独立行政法人・都市再生機構 震災復興支援室 草場優昭室長 mediba編集部

復旧・復興とまちづくり支援

 東北地方、特に岩手・宮城・福島、この3県で被災された市町村に支援をしています。まず住宅など建物がなくなっているので、住宅再建。それとあわせて26の自治体と協定を結んで、まちづくりの支援を行っています。例えば宮古市では、現地に我々URの支援事務所を設置して、直接的に自治体を支援しています。

2006年10月 東松島市 野蒜北部丘陵地区

2011年3月 東松島市 野蒜北部丘陵地区

2018年5月 東松島市 野蒜北部丘陵地区

 2011年4月には東北に職員を派遣して、被災されている自治体の支援を始めました。まずは仮設住宅建設など、「復旧」から始まって、その後に落ち着いてくると、「復興支援事業」という形で市街地整備をしていきました。
具体的には、津波で被災した低地ではなく安全な高台に住宅地を整備する。その時に出た土を被災した中心市街地に盛り、かさ上げをするなどして、地区全体を一体的に整備していきました。
さらに、住宅の供給もしています。「災害公営住宅」という形で、約6000戸を整備しました。

2021年1月 陸前高田市 中心市街地

 被災3県のうち、福島の一部は津波被害もありますが、どちらかというと原子力災害なので少し状況が違います。原発事故の被災地であり、住民は避難していますから「帰還する場所」が必要となります。また、住民の帰還だけではなく「移住も」ということなので、新しい人たちが移住してこられるような場所作りを、いま大熊町・双葉町・浪江町という3町の中で支援しています。

ベルトコンベアも導入 生まれた「復興のシンボル」

 復興市街地整備でいうと特徴的な事例が3つあります。1つ目は女川町の被災地と陸前高田市での事業です。被災している規模が甚大で、復興整備の規模も大きいもの。高台整備とかさ上げなどを主にやりました。2つ目は津波で被災した市街地の中に鉄道が入っていた地区の復興支援。東松島市の野蒜(のびる)という地区です。鉄道は住民の生活に非常に重要なものなので、市街地整備などとあわせて、鉄道も高台に移設しました。最後は復興の拠点となる中心市街地の再生支援です。大船渡市が代表的な地区になります。

2019年5月 東松島市 野蒜北部丘陵地区

 いま挙げた中で陸前高田市は、私が現地に行っていたので特に印象に残っています。2016年から2019年まで3年間、事業のちょうどピークの時に行っていました。
当時は、被災した方が仮設住宅に住んでいて、一刻も早く住宅を再建しなければなりませんでした。とにかく「1日でも早く」ということで、復興のスピードアップを図る工夫が必要でした。そこで全長3kmのベルトコンベアを導入したことで、大量の土砂を安全、高速かつ環境に配慮して搬送することができました。当初は9年かかる計画でしたが、6年以上工期を短縮することができ、復興を加速化させました 。

今泉高台から眺めたベルコン設置状況 右側がのちの「希望のかけ橋」 2014年7月 陸前高田市

 このベルトコンベアで川をわたる吊り橋を作っていたのですが、これを地元は「復興のシンボル」だと位置づけていました。そこで子どもたちに愛称を募集して、『希望のかけ橋』に決まったということでした。「復興を、とにかく一日でも早く」と住民の皆さんが期待されていた中で、ベルトコンベアがあったことで復興が進んでいると感じてくれたようです。復興が着実に進んでいることを、目に見えて示してくれる存在だったのかなと思います。このベルトコンベアは2015年9月に役目を終え、撤去されました。

「やっと戻れた」被災者が流した涙

 我々が整備した宅地引き渡しをするときには、やっと自分の家を建てて家族と住めるようになる、ということで、住民の方からは「ありがとう」と言われました。
また、新しく完成した市街地の広場で子どもたちが遊んでいて、それを見ていたお年寄りの方が「子どもの声を何年かぶりに聞いた」と。「やっと戻ってこられた」と涙を流されていて、本当に印象的でしたね。やってよかったと思いましたし、まだ復興の途中だったので、きちんと仕上げて行かなきゃいけないなと改めて感じました。

災害に強いまちづくりと復興支援の今後

 復興支援としては、拠点整備といいますか、基盤整備については完了しました。これは節目だと考えています。ただ、にぎわいや生業など、今までにあった文化を復活させて、繋いでいくことが真の復興だと私は思っていますので、土地の利活用などを通して住民の街づくりに協力できることがあれば支援をしていきたいです。
 そして、原子力災害被災地・福島の復興はこれからです。2020年3月14日に常磐線が全線開通しましたが、まだ避難指示の解除を目指している地域があります。国は2021年度から5年間を「第2期復興・創生期間」と定め、中長期的な対応が必要である、原子力災害被災地の本格的な復興に向けて取り組むこととなっています。URでは原子力災害被災地である福島県大熊町・双葉町・浪江町の3町において「復興支援拠点」「発注者支援」「地域再生支援」のハード・ソフト両面から支援を行っています。今後予定されている避難指示解除に向けて、帰還・移住した方が生活できるような基盤整備、拠点整備を進めていかなくてはなりません。避難者の方々が帰町できる環境づくりをより一層本格化させていくところです。あわせて、先ほども言ったように、真の復興へ向けて、にぎわいや生業復活のための支援もしていきたいと思っています。
東日本被災地の復興はまだ続いています。

(mediba編集部 小澤沙紀)

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