ホームレスの人生をYouTubeで発信「究極の野次馬根性」持つ元吉本芸人の原動力

10/21 07:45 au Webポータル

YouTubeでアットホームチャンネルを運営する青柳貴哉さん

都会の路上で暮らすホームレスの人たちにカメラを向け、その人生をYouTubeを通して発信している人がいる。青柳貴哉さん(41)だ。コロナ禍真っただ中の2020年、「アットホームチャンネル」を開設した。ホームレスの人々の日常を伝えるだけでなく、ときには仕事探しを支援したり、当面必要なお金を手渡したりするなど彼らの思いに全力で向き合っている。個性豊かな人たちとの交流では、その言動に振り舞わされることも。そんな撮影者と出演者の生々しい人間模様もつぶさに記録し配信していることで、チャンネルは評判となっている。ホームレスとして生きる人たちのリアルを追い続ける、原動力はどこにあるのか。青柳さんに会いに行った。

YouTube「アットホームチャンネル」を取材

初対面のホームレスの人にも話しかけてインタビューをお願いする

秋の東京。夕方の新宿駅東口で青柳さんと待ち合わせ、取材を開始した。歌舞伎町の入り口などで青柳さんの写真を撮りながら、普段のYouTube撮影の様子も撮らせてほしいとお願いしていたことから、「少しお話を聞きに行ってみましょう」とホームレスの人たちが多くいるという東南口へと向かうことになった。

到着して高架下に男性を見つけると、青柳さんはすっと近寄り、小さな声で話しかけ始めた。男性は最初、少し戸惑った表情で警戒した様子だったが、突っぱねることなく青柳さんとの会話に応じた。
場所を移し、次は以前から顔見知りの高齢男性を訪ねてみるという。

駅へと続く通路に、物静かなお年寄りが大きな荷物と共に座っていた。久しぶりに実家を訪ねた孫と祖父のような距離感で、2人が会話を重ねる。5分ほど経つと青柳さんは「上のコンビニに行ってきます」とその場を離れた。

この男性が好きだという飲み物を差し入れするためだった。「青柳さんはどんな人ですか」と尋ねてみた。「いい人だよ。今どき珍しいね。あの子ときょう会ったばかりなの? あなたも長く付き合ったら分かるよ」。深いシワの入った柔和な表情が印象的だった。

顔見知りになり、たびたび訪ねる間柄になることもある

上京して吉本芸人に

福岡生まれの青柳さんは、地元での大学生活やバンド活動などを経て、26歳で上京した。「バンドをやめてから、すぐには就職したくないと当時は思った。映画が好きだったので、渋谷の宮益坂下の映画館でアルバイトだけしていました」。

高校の同級生で集まった27歳の正月に、お笑いについて盛り上がったことがきっかけで、中学から仲の良かった友人と吉本の養成学校「NSC」に入り、お笑いコンビ『ギチ』を結成した。同期の東京NSC15期生には、ニューヨークや横澤夏子、鬼越トマホークといった実力派がそろっていた。同期の活躍ぶりに「『こういう売れ方、おれらはしないよな』と思った。自分たちだからこそできる作品づくりや、生きていく道を意識するようになった」という。

お笑い芸人として活動する中、35歳のときに父を亡くした。「孫の顔を見せられず、仕事でも何もできていない。とんでもない後悔の念が押し寄せた」。大事な人を失ったことをきっかけに、『ギチ』は残したものの芸人活動はやめた。その後は子供も産まれ、地下アイドルの運営など会社員として仕事をした。

ホームレスに怒られた経験 忘れられず

上野公園で初めて撮った動画 YouTube「アットホームチャンネル」(外部サイト)

そして2020年のコロナ禍。青柳さんの勤め先もその影響を受け出社が少なくなる。これがYouTubeを始める転機だった。「たくさん時間ができたことで、やってみようと思った」という。

なぜホームレスの人たちを撮ることに決めたのか。「芸人時代、お金をもらえるならどんな仕事だってやってたんですが、その中に金持ちの運転手のバイトがあって。ある日車を停めて待っていたら、ゴミを漁るホームレスの人を見かけたんです。『かわいそう』と思い、たまたま持っていたチョコを渡そうとしたら、そのホームレスの人にめちゃくちゃ怒られた。今はもちろんその気持ちが分かるけど、当時は『なんでキレたんだろう? 』って…。ずっと疑問だった。そのことが頭に残ってて、彼らのことを知りたいと思ったんです」。

緊急事態宣言下の2020年4月、カメラを手に上野公園へ向かい、撮影を始めた。
そこから2年半近く。およそ80人のホームレスの人たちの言葉を撮り続けてきた。

決して簡単ではなかった。朝からインタビューに挑んでも、夜の11時ごろまで1人も撮影できなかったこともあるという。まだ会社員との二足のわらじだったときには、撮影や編集で睡眠時間が2、3時間になることもしばしばだった。

YouTubeを始めるにあたって、決めたことがある。「撮影で向き合ったホームレスの方たちに対して、決めつけや押しつけは絶対にしない。『かわいそう』とか『不幸で大変な思いをしている』『助けなきゃ』とか、そういうことはしない」。動画に登場する人たちは、みんなとても個性豊かだ。自らの生い立ちや考えを思い思いに語る。スマートフォンやWi-Fiを持ち、好きな時間に動画鑑賞を楽しむなど、『路上での生活』というイメージからは想像もつかない日々の暮らしぶりを見せてくれる人もいた。

YouTubeを通じて数十年ぶりの再会も

代々木で暮らすエノビさんの初めての出演回 YouTube「アットホームチャンネル」(外部サイト)

代々木でホームレス暮らしをする、沖縄出身の『エノビ』さんは、素朴な人柄と得意な絵で動画公開後には大きな反響があった。青柳さんがやってみようと提案した絵の路上販売から、エノビさんの作品が評判を呼び、2度の個展開催にもつながって、ことし6月に開いた会では30万円以上を売り上げた。1回目の開催時には、YouTubeで今の暮らしぶりを知ったというエノビさんの沖縄の同級生も足を運び、数十年ぶりの再会に目を潤ませた。

青柳さんは、仕事を探している人や生活を立て直したい、ホームレス生活を抜け出したいとの思いを持つ人には積極的に力を貸している。動画で仕事面の協力を呼びかけたことが就業につながったり、関西までの交通費を手渡した人がその後定職に就き、後日東京の青柳さんにお金を返しに来たこともあった。

しかし、その思いが報われないことも少なくない。「お金に困っている」と窮状を訴える人に用立ててあげたり、ホスト遊びにハマって苦境に陥った女性の、生活再建の後押しをしたりしても、その後逮捕の知らせが届くことや、語っていたことは虚偽だったと関係者から聞かされることもあった。

動画のコメント欄には、「優しくしてあげるだけではダメ」「簡単にお金を渡すのは、本人のためにもならない」など、青柳さんの姿勢に疑問の声が上がることもある。

ホームレス=不幸せ?

深く関わっていくことになるマナミさんの初回出演作 YouTube「アットホームチャンネル」(外部サイト)

それでも、彼らに手を貸し続ける青柳さんの心が折れることはないという。

「ホームレスの方たちには、顔出しを条件に出演料をお支払いして撮らせてもらっている。それで僕はYouTubeの収益を得ています。動画の収益を受け取っていて、その動画に出演してくれた人たちから『助けてほしい』と言われたら、僕には助ける義務がある」と思いを明かす。物心両面で支援する青柳さんの考えは明確だ。「ご本人の気持ちが一番大事。ホームレスを抜け出したいという意思があれば、僕はそこへの協力を惜しみません」。

ただ、語気を強めてこうも付け加えた。「いわゆる『普通』の価値観で見たときに、彼らの生活ぶりが『落ちぶれている』と思うかもしれないけど、僕が接してきた人たちは、ホームレスでいることを幸せだと思っていることが圧倒的に多かった。『早くこの現状をどうにかしたい』と感じている人は、実は少なかったんです」という。

「接してきた彼らのことを『かわいそうだな』とか『不憫だ』と思うことはないし、思わないようにしている」と強調する。「エノビさん自身も、『早く(ホームレス生活を)やっておけば良かった』と言うぐらい、今が本来のあるべき姿だとの思いを持っている」と青柳さんは説明する。

「収入は得ていても、毎日通勤電車に揺られ自由に使える時間が限られるサラリーマンと、収入はほとんどなくてもホームレスとして好きなように生きる彼らを比べてみると、何が幸せか分からなくなると思う」
先入観や『普通』の尺度で決めつけることをせず、彼らのありのままを受け入れる。思いが裏切られることもあるが助けを求める人に対しては、手を貸すことを惜しまない。そんな青柳さんの姿勢は、ホームレスの人たちから信頼され、多くの視聴者の感動も呼んでいる。

チャンネルのマネジメントを担う八木原翔胤さんは、青柳さんについて「究極の野次馬根性を持っている人。傍から見て『うわ…面倒くさそう』と思うことこそ『面白い』と思って突っ込んでいく」と評する。

そんな青柳さんとアットホームチャンネルは、今後どう進むのか。

「YouTubeでも、炊き出しなど支援活動を広げているチャンネルもあるが、僕はホームレスの人たちの一つ隣りにいると思っていて、彼らのことを『知りたい』という思いでやってきた。支えるためにやるべきことを見つけたら何かを始めるかもしれない。でもいま言えることは、ただただ撮り続ける、ということだけかもしれないです」。ひとりひとりの人生と真っ直ぐ向き合う、謙虚な人柄が言葉ににじんだ。

取材・記事・写真 普久原裕南(au Webポータル編集部)

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