追悼連載~「コービー激動の41年」その40 水と油のコービー&シャック

ファイナル3連覇のあとジャクソン監督との関係がこじれた故ブライアント氏(AP)

 2003年シーズンの開幕戦直前。練習場の監督室でビデオを見ていたフィル・ジャクソン監督に向かってコービー・ブライアントはこう切り出した。「もう彼は終わっていますね」。英語では「He popped off」。直訳すると「出て行く」「見えなくなった」だが「死んだ」という意味もある。

 ジャクソンは最初その「He」が誰なのかすぐにはわからなかったと言う。それでも時間の経過とともにそれがオニールであることを理解。なぜならブライアントが新聞に書いてある記事を話題にしてきたからだ。そこにはオニールの「今季のレイカーズは躍進する」という予想が書かれてあった。しかもコメントの最後はブライアントについてのもので「完調になるまではチームメートの助けが必要だ」と結ばれていた。ジャクソンは「そうカリカリしなくてもいいだろう」と切り返したが、ホテル従業員への性的暴行事件の前から信頼関係を失っていたブライアントには暖簾(のれん)に腕押しだった。

 「彼は僕のプレーについて語る資格などない」。すでに開幕戦で対戦するマーベリクスにどう立ち向かうのかといった作業は二の次になった。激高している25歳の若者をどう落ち着かせるかが指揮官にとって最優先の課題になった。

 そこへ当時38歳だったホーレス・グラントが部屋に入ってきた。険悪なムードを察していたのだろう。当然、彼はブルズ時代から苦楽を共にしている「恩師ジャクソン」の方についた。そしてブライアントに「我慢するんだコービー。さほど大きな問題じゃない」と説き伏せるように語った。ブライアントが冷静さを取り戻したのはここからだった。長い沈黙。張り詰めた空気の中でやっと自分が何を口にしたのかを理解できたようだ。ただ一歩下がったのもほんのわずかの間だった。そして練習後、第2ラウンドが始まる。

 「僕へのプレーのアドバイスなんて必要ない。彼はローポストのことだけ考えていればいい」。ブライアントが練習後に番記者たちに語った言葉がこうだった。売り言葉に買い言葉。当然、オニールも黙ってはいない。「オレは自分の意見を言うさ。もしそれに従わないなら出ていってもらってもいいんだぜ」。

 

 なぜ2人はうまくいかないのか?この問いへの答えをジャクソンはこのように考えていた。「すでにオニールは1年で2500万ドルも稼ぐ選手になっていた。しかしコービーは経験が浅いゆえにまだ労使協定の恩恵を享受できていなかった。これで亀裂が入った。だから7年も一緒にやってきたのに、この2人はジョン・ストックトンカール・マローン(ジャズ)、カリーム・アブドゥルジャバーマジック・ジョンソン(レイカーズ)といったような息の合ったコンビじゃなかった」。一種の経済格差。本当の気持ちはわからないが、少なくともジャクソンはこう分析していた。

 オニールはジャクソンに自分の本音をぶつけている。「自分には義理の弟が1人いて、オレがまだ若かったころ、善は弟で悪がオレだった。同じ悪さをしても殴られるのはオレだった。今、同じような状況だ。やつ(コービー)はどうせ何人もの医者の元へ行くだろう。そしてオレはそんな愚か者を批判する唯一の人間になる」。ジャクソンはうなづきながら同調して見せた。ただし「なあシャック(オニール)、今はこのもめ事を脇に置くことがチームにとって必要なんだ」と説得。オニールは反論ではなく“沈黙”という手法を受け入れることに同意した。

 ジャクソンによれば、ここがオニールとブライアントの違いでもあるという。「シャックに何かを頼むと一度は断られる。だがしばらくすると受け入れてくれる。だがコービーに同じことを頼むと、最初はOKと言うのだが、そのあと彼は自分のやりたい放題にしてしまう」。実際、グラントに「我慢しろ」と言われてうなずいたブライアントは、その後のインタビューでは「自分が今季終了後にレイカーズを出て行くかどうかは、シャックの子どものようなわがままと嫉妬次第だ」とまで口にしている。ファイナル3連覇を達成しながら当時のレイカーズのツートップはまさに水と油。指揮官もGMも戦術や補強面を考える余裕などなかった。(敬称略・続く)

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には一昨年まで8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは2013年東京マラソンの4時間16分。昨年の北九州マラソンは4時間47分で完走。

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