異例の豪華ボクシング・プロテスト実現で未来の世界王者候補が3人同時合格

大橋ジム期待の世界王者候補の桑原拓(右)は先輩の元3階級王者の八重樫(左)とテストスパーをして合格した

ボクシングのプロテストが17日、後楽園ホールで行われ、アマチュア時代にタイトルを持つ未来の世界王者候補が3人同時に受験するという異例のプロテストとなった。大橋ジムの桑原拓(23)、セレスジムの南出仁(22)、ワールドスポーツジムの高橋拓磨(24)の3人で彼らへの期待を示すように桑原には元3階級王者の八重樫東、南出には、IBF世界Sバンタム級王者の岩佐亮佑、高橋には日本ミドル級王者の竹迫司登が3回のスパーリング相手を務めるという超豪華なプロテストとなった。もちろん3人揃って合格。桑原は5月25日に井上尚弥がバンタム級で3階制覇を狙う興行の前座で、南出、高橋の2人は6月2日に後楽園で同時にデビュー戦を行う。

セレスジムの南出仁(右)も現世界王者の岩佐がプロテスト相手をした

 ボクシングマニアが見れば垂涎の光景に違いない。
 元3階級王者の八重樫、現IBF世界王者の岩佐、日本ミドル級王者の竹迫が、それぞれジムの後輩のプロテストに胸を貸したのである。それだけでもジムの期待値がわかる。3人もの“金の卵”が揃ってB級のプロテストを受けるのも異例中の異例だ。
最初にリングに上がったのは、大橋ジムのライトフライ級の桑原。身長164センチで通常体重が57キロ。大橋秀行会長が、「井岡一翔にそっくり。ウチのジムはパワー系のボクサーが多いが珍しくスピードタイプのボクサーだから楽しみ。間違いなく将来の世界王者候補」と送り出した。
 元3階級王者の井岡を彷彿させるようなスタイリッシュな攻守がまとまったボクシング。もちろん八重樫は手加減をしながら相手をしていたが、リーチを生かしたスピードに乗った左のジャブからのワンツーだけでなく、左のボディも使い、うまくパンチを散らす。寸止めをしたが、右のカウンタータイミングも抜群だった。何しろ目を引いたのは、その距離感。八重樫との距離を常に一定に保ちながらの出入りのボクシングは、とてもプロテスト受験生とは思えないものだった。
 桑原が東農大時代からスパーをしている八重樫に長所を聞く。
「井岡に似ているでしょ? タイミングとスピードがドンピシャでくる。距離感と足がいいですね。まだパンチが軽いが、アマチュアの良さを残しながら強くなって欲しい。プロとして面白いと思う」
 統一戦を井岡と戦った八重樫が言うのだから説得力がある。

 桑原は「小学校でボクシングを始めて夢だったプロへの第一歩です」と感慨深げだった。
「リングに上がる前に『攻撃力はわかっているからディフェンス力を見せなさい』とJBCの試験官に言われたので、ディフェンスを意識しました。パワーはないけれどスピードやカウンターのタイミングでは負けていません。打たせずに打つ。そこを見せたかった」
 井岡のスタイルを真似てきたわけではないが、「似ていると言われると嬉しい。プレッシャーにもなりますけど」と、人懐こい笑顔を見せる。
 大阪市平野区出身の関西人らしく口達者で面白い。筆記試験は99点。人気の出そうなキャラだ。 
 幼年期は魔裟斗が君臨するK-1全盛期。その影響を受けて空手をしていたが、小学校5年のある日、父親に車に乗せられると、途中ショップに寄ってボクシング道具を揃えられ、そのまま自宅近くの大鵬ジムで降ろされた。問答無用のボクシング入門をさせられたという。
 最初は「やらない」と言っていたはずのボクシングにすぐに魅了され、その後、興国高、東農大と、まさに井岡と同じボクシングの王道をたどった。高校では2年のインターハイ(ピン級)、3年の国体(ライトフライ級)で2冠。主将を務めた大学では、全日本3位。井岡と違うのは、途中でプロ転向せず卒業したこと。「興国の卒業の際に校長先生に、おまえは卒業してくれよ」と懇願されていたという。
 東農大時代にスパー相手をした井上尚弥には、右拳を痛めていた時期で左手一本でボコられた。
「ぼこん、ぼこん、です。頭が揺れてジョットコースターに乗っているみたいでした」
 「プロは凄い」。何度も心が折れたが、プロ入りを決断した。
「卒業時は就職しようかと悩んだ時期もありました。でも、シンプルに大好きなボクシングを職業にしないと後悔すると。初めは無理にジムへ連れていかれたけど、その後は、ずっと自由に好き放題させてもらった。3兄弟なんですが、次男の僕だけ本当に自由に。プロになるのは両親への恩返しの気持ちもあったんです」
 理想のボクサーは、5月に対戦することになった3階級制覇でWBA世界ライト級王者のホルヘ・リナレス(ベネズエラ、帝拳)のスピードと2階級王者のワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)のステップワーク。
「3年でなんらかのタイトルをとって5年以内に世界ベルト」。そんな夢を抱く。
 

高橋拓磨(右)は村田諒太の直系の後輩。パンチ力はえげつない。日本王者の竹迫(左)もタジタジだ

 続いてリングに上がったのはセレスジムの南出だった。バンタム級で岩佐と同じくサウスポー。世界を取った岩佐が速さとタイミングを変える左ジャブで牽制するが、負けじと左を差し合い、パワーにあふれた右を打ち込む。とにかくひるまない。闘争心と共に体の軸をぶれずに打ち込む姿に体幹の強さを感じた。 
「フィジカルには自信があります。子供の頃からパンチに自信がありました」 
 腕っぷしが強いのだ。
 世界王者の岩佐に聞く。
「僕とは真逆のタイプでしょ。パンチがある。特にフック系が強い。リズムと距離で詰められると相手がついていけなくなるでしょう」
 南出がセレスジムに入門したきっかけは、3年前に岩佐がリー・ハスキンス(英国)とのIBF世界バンタム級王座決定戦が決まった際、駒沢大生だった南出がスパー相手として呼ばれたことにある。そのボクシングを見て小林昭司会長がひとめ惚れした。真面目な性格もプロ向きだと感じた。
 岩佐もその時の印象が深いという。
「何人かパートナーを呼んだんですが、真っ向からがんがん向かってきたのが南出だけ。こいつ凄いなと」
 和歌山出身。格闘技が好きで空手から始めて、近くのクラトキジムへ入門。和歌山東高から駒大へ進んだ。 高校時代は選抜で2位、駒大でも全日本、国体で2位。「練習が足りなかったんです」。その悔しさがプロ転向の理由のひとつにもなった。
 プロで理想とするスタイルは?の質問に「マニー・パッキャオです」と即答したが、目の前で着替えていた岩佐が目をぴくっとさせると、「岩佐さんです。次にパッキャオです」と、慌てて言い直した。
「面白い好戦的なボクシングをしたい。でかい相手にもガツガツいくような」
 現在、ジムの後援者が経営している介護施設で働いている。その高齢者マンションが今の住まいだ。
「世界チャンピオンになってテレビに映りたいしお金持ちになりたい。有名になりたい」
 最近では珍しい剥きだしのプロ志望。いいじゃないか。

 

 3人目は最重量、スーパーライト級の高橋だ。身長172センチで通常体重は72キロ。ミドル級日本王者の竹迫にみるからに重たそうな右ストレートをズシン、ズシンと打ち込んでいく。
「懐かしさがこみ上げました。後楽園独特の足のふみこみ具合や風景があるんです」
 3、4年と、主将を務めた東洋大時代に何度もリーグ戦で試合をしたリングだ。
 第1回U-15全国大会の60キロ以下級の優勝者。この大会で井上尚弥も別の階級で優勝しているが、決勝でKO勝利したのは高橋一人だけで、しかも、相手が体重超過だったため、グローブハンディをつけた上でのKOだった。名門の南京都高(現京都廣学館高)へ進み、選抜、インターハイ、2度の国体制覇の4冠。東洋大へ進学後、当時、選手兼コーチだったWBA世界ミドル級王者の村田諒太に教えを受けた。中量級の高橋は、五輪前には村田のスパー相手を務めることもあり「相手というか、玩具です(笑)。村田さんの背中をずっと見てきました」という。村田が薫陶を受けた故・武元前川先生の最後の教え子でもある。
 だが、平成5年生まれの高橋は、ここまで少々遠回りした。
 大学4年で右膝を故障。「プロにいってもパフォーマンスを出せない」と引退を決意して外資系の医療器具メーカーに就職した。他の新卒よりも好収入を手にしてボクシングとは、一切縁をきった。すぐに福岡に転勤となり、運動は接待ゴルフで動く程度。体重は80キロを超えた。
 「心の奥底にはずっとプロがあったんです」
 高校で1学年上の大森将平(ウォズ)が世界挑戦し、3学年上の久保隼(真正)が世界王座を獲得したのを見て「俺もできるかな」と、封印していたものが目を覚まし始めた。トドメは、村田が世界王座を取ったアッサン・エンダム戦。福岡の自宅テレビで見たが「背中を押されました」。翌日、中学時代に基礎から叩きこまれた高校の先輩でもあるワールドスポーツの藤原俊志トレーナーに電話を入れた。
「決めました。お世話になりたいです」
 藤原は、その電話口で泣いた。それほど、思い入れのあるボクサーだったからだ。
「これまで僕が見てきたボクサーで最もパンチ力があります。重硬い。そんな質のパンチです。誰かに怒られるかもしれませんが、神の右です。彼の人生なので無理に誘うことはしませんでしたが、よく決断してくれました。この階級の世界は簡単ではありません。でも拓磨を世界王者にしないと誰をするんだという責任があります」。3日後に会社に辞職を伝えると、営業成績がよかっただけに「どこかに引き抜かれた?」と、転職を疑われ、プロボクサーへの転向とは信じてもらえなかったという。
「人生は一度きり。やるときにやらないと後悔する、やれるのに、できへんではもったいない」
 24歳の決断だった。
 上京しジムの合宿所に入りトレーニングを始めたが、ブランクの間に、たっぷりと脂肪がつき、ぶよぶよに錆付いた体は悲鳴をあげた。藤原トレーナーの持つミットを3ラウンド打つだけで腕がパンパンになり力が入らなくなった。3か月間は、バイトをせずに3部練を課した。6時からロードワーク、昼に基礎練習、夜には実戦練習。安定した生活を捨てたことを「やっぱり転向は遅かったか」と悩んだこともあったが、ようやく「体や体力は70パーセントくらいまで戻った」という。
「KOこそがプロの美学」
 藤原トレーナーの教えが、そのまま高橋のプロ哲学だ。
「一戦一戦、目一杯戦っていけばチャンスはくると思います」
 高橋は6月2日に後楽園で、竹迫の試合の前座でデビューすることになっている。

 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)

 

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