「これでダウンを取るんですか?」なぜ井上拓真は堤聖也に敗れ王座陥落したのか…猛抗議の10回“微妙”ロープダウンと12年の歳月が生んだ無骨な手数…再戦可能性も

 プロボクシングのWBA世界バンタム級タイトルマッチが13日、有明アリーナで行われ、王者の井上拓真(28、大橋)が0-3判定で元日本同級王者の堤聖也(28、角海老宝石)に敗れて王座から陥落した。堤は手数と攻勢ポイントで圧倒。12年前にインターハイの準決勝で敗れて以来の12年越しのリベンジを果たした。また10ラウンドに微妙なロープダウンがあり拓真が猛抗議したが、判定は覆らなかった。次戦で、今日14日に防衛戦を行うWBC中谷潤人(26、M,T)との統一戦が計画されていたが白紙となった。拓真は“今後”について語らなかったが、大橋ジム側がオプションを保持しており再戦の可能性がある。

 手数とボディ攻撃で拓真を攻略

 堤は自らを信じろとばかりに胸をポンポンと2回叩いた。
「判定を聞く瞬間はすごく怖かった」
 米国から飛んできた名物アナのジミー・レノン・ジュニアが「ユナシマステジション(3-0判定)」だったことを先に伝え、ジャッジペーパーを読み上げていく。
「114-113」、「115-112」、「117―110」…そして「AND THE NEW(新王者)…」と続いた瞬間に堤は飛び上がって涙を流した。
「”AND THE NEW”と言うのを何日も前から想像して、頭の中でこうなるんだと描いていた」
 WBAの赤いベルトを両手で天に向かって掲げた。
「この日のこの瞬間のためにずっと生きてきた」
 井上拓真はうんうんと納得したかのように2度うなずいた。
「判定を聞く前から負けたと思った。後半あたりから相手のペースにつきあっちゃった。ポイントを考えた上でも負けたなと感じた」
 リングサイドに座っていた兄の井上尚弥は残念そうに体を後ろに反らした。 
 拓真は敗因を問われ「技術うんぬんではなく気持ちで相手が上回った。自分が弱かっただけ」と同じ95年生まれの新王者を称えた。
 序盤は拓真がスピード、反応、引き出しの違いを見せつけてパンチを浴びても「来い!」と何度も挑発ポーズをとるなど余裕があった。左目の上もカットさせた。ロープを背にしてもボディワークで決定打を許さずアッパーで反撃した。だが、堤は「スピードは想定内。1ラウンドで慣れた」という。
「すごくうまくて練習してきた動きがなかなか出なくてどうしようかな」とも感じていたが、石原雄太トレーナーの「ボディを攻めろ」「前へ出ろ」の支持を忠実に守った。
「なかなか下(ボディ)が当たらない」
 拓真のディフェンスに舌を巻いたが、堤は前に進み手を出し続けた。
 セコンドからは「ボディを嫌がっているぞ」の激励の声が何度も飛んだ。それに確信は持てなかったが、自らも拓真のボディ攻撃を受け、「自分も痛いんだから相手も痛いはず」と信じて、ぶれずに攻め続けた。
 それもワンツースリーフォーまでの連打を繰り出して、そこに必ずボディを絡める。上下の打ち分けは、ボクシングの基本だが、いざ試合では、なかなか実行できないもの。それを堤は我慢強く12ラウンドの間続けた。
 足のポジションを左右にスイッチしながら前へ出られることへの戸惑いもあったのか。中盤から終盤にかけて拓真がロープに詰まるとボディワークで対応しきれなくなってきた。どこか根負けしたように見えた。
「すべてが中途半端だった」
 ロープを背に手数で圧倒されては攻勢点の評価でポイントが堤に流れるのも当然だ。右、左の一発狙いに切り替えたのもミスだった。質を求めても圧倒的な量には勝てない。しかも堤は打たれ強い。
 そして10ラウンドに試合の分岐点となる微妙なジャッジがあった。
 堤のプレスに押され、ロープを沿いに足を使った井上が、体を変えようとしたタイミングで、左フックを浴びてロープに吹っ飛んだ。まったくのノーダメージで、ロープに体を預けただけだったが、世界挑戦経験もある元日本バンタム級王者で、審判歴11年の池原信遂レフェリーは、ロープダウンを取った。
 ロープダウンとは「もしロープがなければダウンしていた」との判断のもと取れられるダウン。拓真は両手を広げて猛抗議した
「これでダウン取るんですか?」
 大きな声がリングサイドまで響き渡った。

 

 結果的に「8-10」と採点されたこのラウンドが「9-10」なら一人がドロー。それでも後の2人の堤勝利の判定結果は変わらなかったが、試合の趨勢を決めるジャッジとなったことも確か。
 試合後、大橋会長は「どっちが勝った負けたは置いといて、ダウンを取られるのはどうかとクレームをつけた。スリップダウンだと思う。勢い余って(ロープに体を預けるように)なっただけでダウンじゃない。武居(比嘉大吾戦)のときもそう。ダウンがスリップになったり、スリップがダウンになったり、違和感を感じる」との不満を露わにした。
 この問題に関するJBCの見解はこうだ。
「ロープがなければダウンしていたというレフェリーの判断。映像によるインスタントリプレーを導入していない以上、レフェリーの判断が最優先で、10ラウンド終了後、ジャッジ3人にも確認をしたが、パンチも効いていたしレフェリーの判断を支持した。そのあと映像でも確認したが、著しく不合理のある判断ではない」
  
 その10ラウンドの終わりに真吾トレーナーが大声で拓真を叱咤した。
「何やってんだ!気持ちを見せろ」
 井上尚弥も「徹底しろ!」と叫んだ。
 だが、最後までパンチを出し続けたのは堤の方だった。
 最終ラウンドの採点でジャッジの3人が堤を支持したのが象徴的だった。
 プロ6年目、14戦目にして無敗のまま初の世界挑戦で栄冠を手にした。
 試合後の会見で拓真の敗戦の弁を伝え聞いた堤は「そうは感じなかった。こっちが弱気になっているんじゃないか、とずっと怖かった」と返した。気持ちの差を生み出したのは、12年前のインターハイの準決勝で敗れた悔しさをずっと忘れなかった堤の無骨なまでのメンタルと努力、そして背負うものの違いだったのかもしれない。
「拓真がいなかったらプロに来ていない。高校生のときから拓真のことを考えていた。リベンジしたいと。拓真からすれば、インターハイで一回試合をしただけの、それ以上でもそれ以下でもない印象のない選手。こっちが片思いをしていただけ。追いかけて、追いかけて、追いついて超えることができた。本当最高ですね」
 そして昨年の12月24日にここ有明アリーナで起きた悲劇。堤が「井上尚弥4団体統一記念・バンタム級モンスタートーナメント」の決勝を兼ねた日本バンタム級タイトルマッチで対戦した穴口一輝さんがリング禍で帰らぬ人となった。年間最高試合にも選ばれたこのトーナメントの優勝が今回の世界戦のパスポートだった。

 

 

「あの試合は誇りに思っている。彼に問わず、これまで戦ってきた人…人生の潰し合いと思ってボクシングをやっているから。戦ってきた人たちへの思いはある。(穴口氏には)よりその思いは強い。拳に彼らの思いが乗っている。すべてを覚悟した上で、今後とも自分のスタイルのボクシングを皆さんに見せていきたい。世界は必ず取ります」
 そう語ったのは今年2月の年間表彰式。
 誓いを果たした堤は「報告したいっすね。でも、ここで言うことではない」と、それ以上の思いは胸にしまった。
 実は、拓真が堤に勝ち、今日14日にメインを張る中谷も防衛に成功すれば次戦で2つのベルトをかけて拳を交えるビッグカードが実現する予定だった。だが、その構想も幻に終わった。
 リベンジをしたいか?そう拓真に質問すると「今はゆっくりと休みたい」と明言を避けた。大橋会長も「本人に任せます」とした。だが、大橋陣営はこのベルトに関しては、2つのオプション(興行権)を持っていて、それを行使すれば再戦は可能だ。「負けたままでは終われない」。井上家の家訓とも言える哲学からすれば間違いなく再戦を求めるだろう。
 微妙だったロープダウンの判定を巡り「それ(提訴などのアクションを起こすこと)はないが、意見はしたい」と話した大橋会長が、この問題をなんらかの形で文書にしてJBC及びWBAに訴えればダイレクトリマッチが実現する可能性もある。
 堤は「(バンタム級の王者は)4人とも日本人じゃないですか。誰との対戦が見たいとかも出てくる。そういう試合をやっていきたい。他のベルトを欲しいのは自然の流れ。井上拓真という評価あるチャンプに勝ったのでそういうことも言っていいのかなと思う」と、統一戦へ進みたい希望を口にした。彼のボクシング人生を変えた井上拓真という男との物語は、まだ終わりではない。
(文責・本郷陽一/RONSPO、スポーツタイムズ通信社)

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