あの運命の最終回に何があったのか…WBO世界バンタム級王者の武居由樹と比嘉大吾の名勝負の裏を追跡…元K-1王者は那須川天心戦を熱望し比嘉は引退を示唆した

 モンスターのアンダーカードで最高の名勝負があった。プロボクシングのWBO世界バンタム級タイトルマッチだ(3日・有明アリーナ)。王者の武居由樹(28、大橋)が元WBC世界フライ級王者で同級1位の比嘉大吾(29、志成)に11ラウンドにダウンを奪われながらも3-0の判定勝利で初防衛に成功した。試合後に武居は10月14日にWBOアジアパシフィック王座に挑戦する那須川天心(26、帝拳)の名前を出した対戦を熱望。一方の比嘉は「やりきった」と引退を示唆した。勝敗を分けた12ラウンドに何があったのか。名勝負の裏側を追跡した。

 

スコアカード

 

 互いのすべてをぶつけあった。技術、パワー、そして魂。とても激しく美しい血みどろの死闘だった。
 11ラウンド。比嘉の至近距離からの渾身の左フックで武居が倒れた。比嘉は「倒せると思っていなかった」と言い、武居はジェスチャーでスリップダウンをアピ―ルした。
「滑った。(ダウンと)とられたのも仕方がない。気持ちを切り替えた。パンチの受け方の印象も悪かった。自分の力不足」
判定は覆らない。2ポイントを失い、武居は覚悟を決めた。
「ラウンドの計算はできなくて。なんとなく印象は良くない。このままだと負けてしまう。倒しにいこう。ダウンを取られて火がついた」
 その最終ラウンドを前に元3階級制覇王者の八重樫東トレーナーは「ぶっ倒して来い」と伝えた。
「10ラウンドから残り3つ全部取らないと勝てないぞという話をしていた。それなのにダウンでしょう。ポイントでは負けていると思った。最終ラウンドに倒せないと勝てないと」
一方の比嘉陣営では野木丈司トレーナーが檄を飛ばす。
「自分に勝て!ぶっ倒しにいけ!お前の最大の敵は比嘉大吾だぞ。人生を変えて来い!」
 3人のジャッジのうち2人のフィリピン人は11ラウンドまで「104ー104」のイーブンだった。まさに12ラウンドを取った方が勝者である。しかし、その運命の最終ラウンドに、意外な展開が待っていた。ダウンを奪い、勢いのあるはずの比嘉が動けなくなっていた。
「ガードの上からでもパンチが効いていた」
 4ラウンド頃から蓄積したダメージに加えエネルギーも使い果たしていた。
「がんがん前に出た」という武居が猛ラッシュ。右アッパーから左ストレートのコンビネーションブローで追い詰めると、比嘉は、もうひたすらクリンチで逃げるしかなかった。いつ止められてもおかしくない。途中、大きく腰を落としかけた。立っているだけがやっとの比嘉は、必死で最終ラウンドのゴングまでこぎつけた。武居と健闘を称え合い抱き合った。
 八重樫トレーナーと野木トレーナーも同じ光景を見せた。
 野木トレーナーが神奈川県内に複数ある長い階段を使ってスタミナや下半身強化を指導する通称「野木トレ」に八重樫トレーナーは現役時代から参加していた。武居もその階段を比嘉と共に走ってきた。大橋秀行会長は「大橋ジムの強さの根幹に野木トレあり」というほどの盟友。戦いが終われば、また苦楽を共にした同志に戻る。
 米国から飛んできた名物アナのジミー・レノン・ジュニアが甘い声で「ユナシマステジション(3-0判定)となったことを先に伝えた上で判定を読み上げる。
115―112が1人。114―113が2人。「スティル!」と発したと同時に武居の左手が掲げられ、比嘉は、納得したかのように爽やかに笑った。
 武居は泣いていた。
「すみません。この勝ちは納得がいきません。きつい試合でした。ただ大吾さんと最高試合ができたことは良かった」
 比嘉は大きな拍手に包まれて控室に戻った。
 会見場に現れた比嘉は晴れやかな顔をしていた。
「初めていい試合ができたんじゃないか。やりきった感が強い」
 悔しさは微塵も出さなかった。
「出所が上手い。距離感が上手い選手だった。ちょっと自分に強引さがなかった。ボクシングをうまくできている感覚はあったけど、いつもの強引さがなく、最後に自分がしないといけないことを相手にされた。それ以外は納得いきます」
 敗因を雄弁に話す。

 

 

 サウスポーの武居が自分の距離で戦えるのか。それともその壁を突破して比嘉打撃戦に持ち込めるのか。八重樫トレーナーには誤算があったという。
「前へ出て来るときに左フックで入ってくるとは思っていなかった。過去の映像から右ストレートを使って入ってくるパターンを想定していた。そこに右ストレート、左フック、右アッパーを使って迎え撃つ予定が右では入ってこず左フックばかりで入ってきた」
 試合前から両陣営は心理戦を展開させていた。野木トレ―ナーはあえて「比嘉は頭を下げて入る」とクセをばらし、その話を機会ある度に繰り返した。八重樫トレーナーは「クセはそこだけじゃない。すべてわかっている」と返した。
 1ラウンドは、互いにけん制し合ったが、比嘉が、終盤にいきなり左フックを放ち、浅かったが、その一撃をジャッジの2人が評価した。
 比嘉は空振りしてもお構いなしに、ガンガンと左フックを振り回してきた。武居は、それをステップバックして外してから右アッパーを打ち込んでいく。入り際に右アッパーから左フックのコンビもヒット。比嘉は簡単に内側に入れなくなる。だが、4ラウンドにはガードを固めて強引に突っ込み、武居にロープを背負わせて左右のフックをラッシュ。5ラウンドから武居はステップを使いペースを奪い返しにいく。中盤のラウンドのポイントは武居が取った。6ラウンドには比嘉が右目の下をカットしている。
 だが、比嘉は武居の厄介な右のアッパーに左フックを合わせ、7ラウンドから左ジャブを使い始めた。野木トレーナーが「大吾のジャブは伸びる」としていた左ジャブが、武居の作っていた壁を突破し始めた。八重樫トレーナーは「右アッパーに左フックを合わせてきたにも嫌だった。最後まで対処できなかった。さすが野木トレーナー。勉強になった」という。
 9、10は比嘉のラウンド。武居をロープに詰めて左右フックを、これでもかと浴びせて、自分の時間帯を作った。武居が今度は左目上から血を流した。
 だが、武居は体を変え、絶妙のクリンチで逃れ、致命的な一撃は打たせなかった。このケースを準備していたのかと思うほど巧みだったが、八重樫トレーナーは、こちらの見立てを否定した。
「そんな練習はしていない。リングの真ん中で戦うことを想定していた。ああいう詰められる時間帯を作らせてしまったのも想定外だった」
 あげくの果てに11ラウンドにダウン。終盤にペースをつかんだ比嘉がポイントでリードしているとの見方もあったが、2人のジャッジはここまででイーブン。そして「最終ラウンドを取った方が勝ち」という死闘に武居が決着をつけたのである。
 大橋秀行会長は「ベルトをとったモロニー戦は最終ラウンドに倒されかけた。それが今回はまったく逆の展開。成長と運の強さを感じる」とV1戦に成功した元K-1王者を称えた。

 

 5月6日に東京ドームでタイトルを獲得したジェイソン・モロニー(豪州)戦は、最終ラウンドにもう立っているだけでやっとの苦しいラウンドを乗り越えての辛勝だった。だが、今回はうって変わってその12ラウンドに強さを見せた。
なぜなのか?
 八重樫トレーナーは、試合前から「あれはガス欠に見えたかもしれないが、実は違うんです。その理由はわかったし、解決した」と自信を持っていた。
 一夜明け会見で後日談としてその理由を明かした。
「栄養素の問題です。ナトリウムが足りなかったんです。それで動けなかった。ナトリウムを汗と一緒に排出しやすいタイプと、そうでもないタイプがいてまちまちなんですけど、武居は排出しやすいタイプだったんです」
 しかも、試合当日、武居は水しか飲まなかった。八重樫は、計量後のリカバリー、そして試合前にも電解質のナトリウムを含んだ水分を武居に取らせた。
「試合前にナトリウムを入れると試合の間の36分間は持つんです」
 八重樫トレーナーは、現役時代からサプリメント博士で知られ、井上尚弥らにも指南してきた。肉体のメカニズムに詳しく、知識を学ぶと同時に、自らの肉体を使って“人体実験”もしてきた。その見識と武居のメンタルの強さがリングして、あの勝負の最終ラウンドが演出された。武居が言う。
「大吾さんの気持ちの強さを感じた。乗り越えられてはいない。ただ、その気持ちの強さに負けないようにした」
 試合後、リングでインタビューを受けた武居は、最後に「天心君。10月の試合、頑張ってください」と突然、那須川天心の名前を出して呼びかけた。
 事実上の王者からの挑戦者指名だった。
 天心は10月13、24日の2日間、有明アリーナで行われる7大世界戦のプラスアルファとして2日目の14日にWBOアジアパシフィック・バンタム級王座決定戦に挑む。ボクシング転向5戦目にして23歳の9戦全勝のジェルウィン・アシロ(フィリピン)と対戦する。 
 荒っぽい強敵だが、勝てばこれが世界戦へのパスポートとなる。すでに世界ランキングもWBA、WBCで3位、武居のWBOでも10位にランキングされている。帝拳サイドは、世界挑戦は、早くとも来年の秋以降だと考えている。大橋会長は「今やったら天心に勝てない」という。ただ天心が地域タイトルを獲得すれば、否が応でも「武居×天心」の元キックボクサー同志の対戦の気運は高まるだろう。
「ファンの方からの天心戦を見たいとの声が大きい。ボクシングに転向する前からずっとやりたかった相手なので軽く名前を出させてもらった」
 武居が天心の名前を出した理由を明かした。

 

「正直、K-1時代からやりたかったが、交じあうことはなかった。K-1でモチベーションが下がった頃に、天心がボクシング転向を発表した。僕も(ボクシングに)もいってみようという気持ちが芽生えた。その時からやれたらいいなという気持ちがあった。THE MATCHで天心が東京ドームで武尊選手で戦ったときには悔しい気持ちもあった」
 2年前に天心はK-1王者の武尊と東京ドームで世紀の対戦をしたが、武居は複雑な気持ちで観客席に座っていた。だが今は武居が王者。新たな運命が動き始めている。
「ただ、今日の内容じゃまだまだ。もっと引き出しも増やして底上げしないと。まだまだ成長できると思う」
 未来に燃える武居と対照的に比嘉は引退を示唆した。
「やりきったという感じがします。ボクシング人生に色々あって、野木さんとは、18歳から一緒にやって、まだ途中で色々あって…楽しい10年間でしたね。勝ったら次頑張ろ、負けたら、もう悔いがない…野木さんもチームのみんなも(僕が辞めることを)わかっていると思う。最初から最後まで楽しめました」
 6年前のWBC世界フライ級タイトルマッチの計量で体重超過を犯して王座を剥奪され、当日体重に制限をつけて行われた試合でもTKO負けを喫した。JBCからは無期限の活動停止処分を受けた。引退を考えたが、野木トレーナーの熱心な働きかけで、再起を決意し、ジムも移籍した。だが、引退を撤回したのは「お金のためだった」という。
「でも今日気づいた。みんなは無償で僕のことを思ってくれている。世界戦を組み、トレーナーをしてくれた。チャンピオンに、なれなければ恩返しはできないけれど、また今後違う形で恩返しができればいい」
 2か月前に、野木トレーナーに喫茶店に呼び出されて「死ぬ気でやる」と誓った。気持ちも練習にもムラがあり才能を持て余していた沖縄からきたボクサーは、死ぬ気で野木トレーナーのメニューについていった。試合前に比嘉は、二宮マネージャー、野木トレーナーらスタッフ全員に感謝の気持ちを伝えたという。
 そしてリング上で武居にこういうメッセージを残している。
「もっと上へいけよ」
 実は、野木トレーナーも二宮マネージャーもまだ比嘉の引退の申し入れを受け入れていない。あと3分間頑張れば世界王者だったのだ…。時間を置き、また再び比嘉大吾が立ち上がることを待つつもりだという。

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