「何のため?」疑問の声相次ぐが…本当にパリ五輪女子マラソンで骨折欠場した前田穂南の補欠選手をレースに出さなかったことは日本の“不手際”なのか…鈴木優花は6位入賞の大健闘

 パリ五輪の女子マラソンが11日、パリ市庁舎前からアンバリッドの42.195キロコースで行われ、初出場の鈴木優花(24、第一生命)が2時間24分02秒の自己ベストで6位入賞を果たした。東京五輪8位入賞の一山麻緒(27、資生堂)は2時間34分13秒で51位。日本記録保持者の前田穂南(28、天満屋)が右大腿骨疲労骨折による欠場となり補欠選手だった細田あい(28、エディオン)は日本独自のルールで補欠が解除されていたため代役出場しなかった。金メダルは2時間22分55秒の五輪新記録を叩きだしたシファン・ハッサン(31、オランダ)。

 日本独自に補欠解除期間を設定した

 

 最後は〝壮絶なラスト勝負〟が待っていた。10000mと5000mで銅メダルを獲得したハッサンと2時間11分53秒の世界記録を保持するティギスト・アセファ(エチオピア)が激突。42㎞以上を駆け抜けてきながら、トラックレースのようなスパート合戦を繰り広げたのだ。
 勝ったのはハッサンで3つめのメダルを〝金〟で彩った。優勝タイムは五輪新となる2時間22分55秒。言葉を失うほどの〝衝撃的な強さ〟だった。
 世界の怪物たちに必死に食らいついた日本人ランナーがいる。マラソン4回目の2鈴木だ。
 レース3日前の記者会見では、「当日は海外選手の雰囲気やオーラを感じると思うんですけど、その気迫を逆にもらう気持ちでいきたいです。経験が少ないからこそ、楽しんでレースに臨みたいと思っています。一番の目標は8位入賞すること。流れのなかでしっかり判断をして、冷静にレースを進めたいと思っています」と話していたが、有言実行ともいる快走を見せた。
 序盤はトップ集団を後方から追いかけるかたちで進み、15㎞通過は先頭集団と14秒差。ここからの上り坂でグイグイ上げていき、16㎞で先頭集団に加わった。
 鈴木は中間点を1時間13分25秒で通過。この時点で先頭集団は20人いた。レースが大きく動いたのは28.5㎞からの急坂だった。最大勾配13.5%の難所でも「上りが得意」だという鈴木がアフリカ勢に食らいつく。
 急坂を上り切った29㎞地点で5番手。30㎞地点はトップから4秒差の8位で通過した。
 その後の急な下り坂では米国ボルダー合宿で養った〝下りの走り〟を駆使して、トップに追いついた。しかし、33㎞でエチオピア勢がペースを上げると、鈴木はついていけない。それでも力強い走りが消えることはなかった。
 先頭集団はエチオピア出身のハッサンを含めると5人全員が東アフリカ勢。その背中を必死で追いかける。38㎞付近で先頭とは100mほどの差。「メダル」は目の前だった。
 終盤、メダルの夢は遠のいたが、鈴木は五輪史上最も美しく最も過酷なコースを自己ベストの2時間24分02秒で走破。アフリカ勢と互角に近い戦いを演じて、大健闘ともいえる6位入賞を果たした。
 レース直後のインタービューでは、「初めて世界のペース変動を体感できました。つくのに不安がよぎったんですけど、つかないと入賞はできないと思っていたので、いけるところまでいこうと決めて、必死に食らいつきました」とレースを振り返ると、「これだけ起伏のあるコースはなかなかないんですけど、米国合宿で山下佐知子アドバイザーと相談しながら、アップダウンの激しいコースを走ってきたのが一番の要因かなと思います」とボルダーで取り組んできたコース対策が入賞につがったことを喜んでいた。

 五輪での入賞は東京五輪の一山麻緒に続く快挙。一山が2時間20分29秒の自己ベストを持っていることを考えても、今後の鈴木には記録面でも大きな期待がかかる。
 本人も「このコースで自己ベストを更新できたことで、自分はどこまでいけるのかというのが、ちょっと見えたと思います。第一生命に入ったからには、入賞だけではなく、世界大会でメダルを獲得できるところまでなんとしてでもいきたいです」と話すと笑顔が弾けた。

 

 鈴木とほぼ同じ時期に米国ボルダーで合宿を行った一山麻緒(資生堂)にとっては厳しいレースになった。序盤は集団を自分のペースで追いかけていたが、高低差156mの超難関コースに大苦戦。15㎞からのアップダウンで徐々に順位を落としていく。25㎞は61位での通過になった。それでも平坦になる終盤で順位を押し上げて、2時間34分13秒の51位で2度目の五輪を終えた。笑顔のフィニッシュにこれまでの〝苦悩〟が伝わってきた。
「順位を見るとすごく惨敗なんですけど、走る前は怖くて仕方なかったんです。でも実際に走ってみて、たくさんの方に応援していただいて、背中を押してもらいました。振り返ると、悔しいことの方が多かった3年間なんですけど、今日は無事にスタートラインに立てて、苦しいじゃなくてうれしい気持ちで、このマラソンを走れることができました。最後はありがたいなっていう気持ちでゴールしました」
 そう話すと涙がとまらなかった。東京五輪の8位入賞が重圧になっていたのもしれない。
 今回、日本勢の出場は2人だけ。日本記録を保持する前田穂南(天満屋)はまさかの「欠場」になった。
 レース3日前の記者会見では、「身体の状態はだいぶ疲労がたまっていて、いま抜けていっている状態になります。スタートラインにいい状態で立って、自分の最大限のパフォーマンスを発揮して最後まで走り切りたいと思います」とコメントしていただけに、本当に緊急アクシデントだった。
 日本陸連によると、前田は7月31日の練習で右大腿部付根付近に張りを感じたが、強い痛みでなかったため、チームドクターに連絡をとりながら練習を続けていたという。8月6日にチームドクターの診断とレントゲン検査を行い、8月7日にエコー検査を実施するも、大きな所見は確認されなかった。
 その症状が改善されないため、8月9日にMRI検査を行ったところ、「右大腿骨疲労骨折」との診断を受けて、パリ五輪を欠場することになった。すでに日本が定めていた補欠解除指定日(8月2日)を過ぎているため、補欠選手との入れ替えはなかった。
 一方パリ五輪の男子マラソンで優勝したエチオピアのタミラト・トラは補欠選手だったが、出場予定選手が直前に負傷離脱したことで前日に出場が決定した。
 そのためファンからは「何のための補欠?」「補欠解除が早くない?」という疑問の声が上がっている。

 

 大会のルールでは前日朝(男子は8月9日、女子は8月10日)まで選手変更は可能になっていたが、日本は独自に補欠解除指定日(8月2日)を決めていた。その理由は、「正選手が調整段階に入ることでけがのリスクがほとんどなくなったこと、補欠選手の精神的ダメージを配慮したため」としている。
 前田のケガは非常に微妙なタイミングで起きたため、対応が難しかったといえるだろう。
 長距離ランナーの「疲労骨折」はスプリンターによく起こるハムストリングスなどの「肉離れ」と異なり、自分で認識するのが難しい。今回のようなリスクを回避するとしたら、補欠解除日の前に選手全員がMRI検査を含むメディカルチェックをするしかないだろう。
 一方、補欠選手を前日解除するとなると、現地まで帯同する必要がでてくるし、その予算も負担しなければならない。補欠選手も出場するのかわからないレースに向けて「調整」をすることは大きな負担となる。たいていの補欠選手は万が一の五輪に備えつつ秋のマラソンレースに向けてトレーニング計画を立てているからだ。
 日本陸連がレースの約1週間前に補欠解除日を設けているのは、非常に合理的な判断といえるだろう。
 なおパリ五輪マラソン日本代表選考要項では、補欠選手は「MGC上位の競技者を補欠として選考する」と記されており、男子はMGC4位の川内優輝(あいおいニッセイ同和損保)、女子は同3位の細田あいが選ばれていた。そもそも補欠選手は強制ではなく「辞退」もできる。彼らもシステムを理解したうえで、納得して補欠に入ったと考えるべきだろう。
 もし前田穂南細田あいが走っていたら、どうなっていたのか。ひとりのファンとして妄想しないことはないが、日本陸連の対応を責める声には違和感がある。ただ今回のパリ五輪の教訓を生かして補欠解除日を該当選手と相談して決めるなど、「アスリートファースト」の視点で新たなシステムを構築していっていただきたいと思う。
(文責・酒井政人/スポーツライター)

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