火事で妻を失い重度のやけど負ったアメフトのゲームドクター、リーグ戦に復帰…「第二の父」との約束で再起

 アメリカンフットボールの関西学生リーグで、ゲームドクターを務める垣内英樹さん(66)が、自宅の火災で重度のやけどを負いながら、今秋に現場復帰を果たした。兵庫医科大(兵庫県西宮市)の学生時代にアメフトをプレーし、医師として30年以上、選手の安全対策に尽力。火事で家族を失ったが、ある約束を胸に再びフィールドに立つ。(平野和彦)

関西学生リーグでゲームドクターを務める垣内英樹さん(中央)(9月14日、神戸市灘区の王子スタジアムで)=河村道浩撮影

 9月14日、神戸市で行われた4部リーグの天理大―流通科学大戦で、選手の動きを見つめながら、けがや熱中症に備えた。

 この日は試合前の暑さ指数が基準値を超えたため、垣内さんが中心となって定めた特別ルールを適用し、各クオーターが1分ずつ短縮された。

 1~4部で構成するリーグ戦で、足を運ぶのは主に下位の3、4部。競技環境が充実している強豪大学が多い上位と違い、選手数が少なく、専属ドクターもおらず負傷のリスクが高いためだ。「(試合を)最後までやらせたいけど、危ないと思えば止める」と言葉に力を込めた。

 今年1月、西宮市の自宅が全焼。妻が亡くなり、垣内さんは上半身にやけどを負い、約1か月間、人工呼吸器をつけた。両手にやけどの痕が残り、勤務先の病院を退職した。精神的にも打ちひしがれたが、「第二の父」と慕う人との約束が、自身を奮い立たせた。

 その相手は、日本アメフト協会理事長を務めるなど国内のアメフト発展に尽くし、昨年92歳で亡くなった古川明さん。三十数年前、兵庫医科大の選手が判定を巡って関西学生連盟に抗議し、コーチだった垣内さんが釈明に追われた。その対応をしたのが当時、同連盟専務理事だった古川さんで、「元気があってええこっちゃ」と笑い飛ばし、切り出した。「先生、力を貸してくれへんか」――。それが安全対策だった。

 日本アメフト協会の資料では、1981年~89年に全国で起きた死亡事故は22件。関西でも学生が亡くなっていた。「若者が命を落とす事故は防がなあかん」。古川さんの訴えに共感し、講習会などで脳しんとうや熱中症の対策、応急処置を広めた。2005年頃には原則、リーグ戦全試合で医師の配置を実現した。

 審判や指導者らの意識が高まり、近年は深刻な事故が減ってきた。古川さんと目指した環境が整いつつある。垣内さんは「動ける限り、続けなしゃあない。妻も『しっかりしいや、へこんでいる場合やないで』と言ってくれるんちゃうかな」と表情を引き締めた。

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